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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第一章 織田弾正忠家の墾道
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鳴海城

 織田信秀の死後、弾正忠家は表向き平静を保っている。


 信長様はこれまで通り那古屋城を領有し、先代信秀の家臣たちに安堵状を発給して自分こそが弾正忠家の主であることを示したのだ。普段、陰でうつけと呼んでいる者たちは、信長様への反感を抱きつつも今は弾正忠家として結束する必要を感じて大人しくしている。


 そんな中、意外だったのが佐久間氏の多くが信長様に忠誠を誓ったことだ。どうやら安祥城で一緒に戦った佐久間盛重が、織田勘十郎信勝の家老でありながら同名の者たちに呼びかけてくれたらしく、これが信長様に有利に働いた。


 遺領配分において、信勝は信秀存命時に文書を発給したことがある熱田周辺を欲しがったけれど、すげなく退けられたのは大きい。結局、配分されたのは末盛城周辺のみとなり、織田三郎五郎信広、織田喜蔵秀俊といった元服している兄弟たちにも多くを譲らずに済んだ。ただ、まだ幼い弟妹たちが母親の土田御前と末盛城で暮らすことになったのには、信長様はとても残念そうにしていた。

 

 とにかく今川と戦うためには、少しでも力を集めておきたい。ただでさえこれからは鼠退治が多くなるのだから、潜在的な敵には分けたくはなかった。


 事実、信秀の死後一月と経たずに今川に寝返る者がでてきた。おそらく、以前から接触があったのだろう。寝返ったのは鳴海城城主の山口左馬助教継。亡き信秀に信用された重臣であった。

 山口教継が治める鳴海城は、那古屋城と安祥城のほぼ中間に位置しており、このままでは今川との最前線となっている知多半島の水野藤四郎信元と断絶されてしまう。

 もし水野信元が降ってしまえば、予想以上に早く尾張中枢に食い込まれるのだ。


 山口教継が、今川の武将を引き入れて砦を築いたとの急報に接し、信長様は瞬く間に出陣を決めた。急ぎのために兵数僅かに八百という少数だ。


「見えました。近いのが左馬助教継です。奥の笠覆寺にいるのは、旗印からして岡部五郎兵衛元信と思われます」


 岡部元信は今川義元の宿将だ。そんな人物を送ってくるからには、今川の本気度が伺える。


「殿、如何されますか?」


 信長様に問いかけたのは、丹羽五郎左衛門尉長秀。少し前に信長様に従うようになった新顔ではあるが、とても優秀で且つ恐ろしい人だった。信長様よりも一歳下なのに、瞬く間に頭角を現して、今回も兵の一部を預けられた将となっている。すでに那古野勢の副将と言った立ち位置だ。


「まだ砦は完成していない。左馬助((山口教継))は任せた。蹴散らせ五郎左」


「かしこまりました!」


 長秀は信長様の命令がわかっていたかのように、すぐさま行動を開始した。この日のために模擬戦を繰り返した猛者たちが、長秀を先頭にして山口教継の居ると思われる建設途中の砦へ駆け出していく。


「よし! 残りはわしに続け! 笠覆寺を落とす!!」


 信長様の号令一下、岡部元信が守る笠覆寺へ突撃していく。この時代の寺社仏閣は、すでに砦の様相を呈している。それに補強を加えて、寺を城にしようとしていた。時間をかければ城砦化されて手が打てなくなってしまう。

 だから、完成前に勢いに乗って素早く潰すに限る。


 俺は池田勝三郎恒興とともに、信長様に引っ付いてとにかく走った。走りながら右方を見ると、丹羽長秀の手勢がすでに山口教継へ攻撃を仕掛けている。

 前方に視線を戻すと、笠覆寺から今川軍が出撃してきていた。


「こちらを小勢と侮っておるぞ! 寺内に逃げ込まれる前に一気に叩け!」


 信長様の檄で、先頭集団が一気に加速していく。矢が放たれるが、散発的なので気にせず一直線に走る。

 戦に出るのはまだ二度目ではあるが、安祥城で火縄銃に突撃した経験が活きていた。あのときの方が周囲の状況もあって危機的で、矢の数も比べようがないくらいだ。


 長い槍を持っての突撃も、模擬戦で演習を繰り返した。初めは慣れずに走れもしなかったのが今では慣れたものだ。


 先頭集団が雄叫びを上げて槍の叩き合いを始めた。三間((約5.4m))にもなる長い槍は遺憾なく威力を発揮している。一方的に今川を叩きのめし、攻勢に耐えきれずに後退を始めた。


「行けぇい! 進め!」


 信長様が叫ぶ。各所での戦闘が激しさを帯びて、今川が崩れはじめると後は簡単であった。


 笠覆寺に逃げ込むも、そのまま裏手から逃亡してしまう。一目散に鳴海城の方向へ逃げ散っていった。本来なら追撃を繰り出すのだが、強行軍の移動だったためにそのまま笠覆寺を接収して見逃す。

 やがて、同じように山口教継を蹴散らしてきた丹羽長秀も合流してくる。


「敵は全て鳴海に逃げ込みました」


「休息が済み次第に三王山に登る」


 笠覆寺の一角で、信長様はちょうど乱妨停止の禁制に署判していた。俺は、右筆が書き続けている禁制を取りに行っては信長様に署判してもらって、それをまた右筆に届けている。

 本来なら戦が始める前に、近隣の村や寺が禁制を求めに来るのだが、今回は奇襲だったので山口教継の領内は大慌てになっていた。ひっきりなしに禁制の発給を求めにやって来て、金を支払っていく。戦場となった笠覆寺の坊主は、今川が逃げるやすっ飛んできて禁制を求めた。思わずたくましさに感心したものだ。


「殿、今川が残した兵糧を坊主が引き渡しません。如何なさいますか?」


「兵糧はくれてやれ。だが、銭を払わせろ。脅して構わん」


 島田所之助秀順が、信長様に報告する。この島田秀順も丹羽長秀同様に新顔ではあるが、信長様の政務の側近として活躍し始めていた。那古野城に残っている村井吉兵衛貞勝とともに、奉行として活動している。


「よろしいので? 強行軍で手持ちは少のうございますが」


「所之助殿よ、それがしが左馬助の砦からぶんどってきたのがある。あれで足りんのか?」


 食い下がる秀順に、長秀が口を挟む。


「足らなくはないが、心許ない。こうも禁制を出されては、村から取るわけにもいきませんので」


「鳴海の城周辺には禁制を出しておらん。足らないのなら、所之助は先に三王山に向かえ。周囲の乱取りを許す」


「二百ほど連れて行きます。殿はゆるりとお越し下さい」


「任せる」


 島田秀順が手配のために走っていく。丹羽長秀も腰を上げた。


「それがしも戻ります。乱取りを聞きつけた者が逸ってしまうかもしれませんので」


「怪我で走れぬ者は置いていく。選別を済ませておけ」


「かしこまりました」


 丹羽長秀が去って行くのを尻目に、信長様が署判を済ませた禁制を放ってくる。


「何ぞ考えはあるか」


「鳴海城は一度見ています。なかなか攻めるに難しいかと」


「容易い城などあるものか」


「八百の手勢では、難しいかと」


 信長様の質問はいつも短い。何を聞きたいのかわからない時があるし、こうして揚げ足を取ってくる。


「ここで鼠を潰さなければ増えてしまうな……藤四郎((水野信元))をどうするか……」


「禁制の銭、全てを贈られては如何でしょうか。戦を続けるには銭が必要です。それを援助して、今川に降るのを防ぎます。必要なら、鳴海周辺からさらに徴収するというのは?」


「鳴海が落ちなければそうするとしよう。勝三郎に言って、使者を用意させておけ」


「わかりました。では、残りの禁制にも署判しておいてください。勝三郎様に伝えてきますので」


 俺が幾枚もの禁制を置くと、信長様が嫌そうに顔をしかめた。丹羽長秀の鬼の怒声を聞きながら、俺は信長様が放った禁制を拾い上げる。









 翌朝、那古野勢は鳴海城のすぐ北にある赤塚という場所で、山口教継の息子山口九郎二郎教吉の率いる軍と対峙した。

 今川の援軍を含めて、おそらくこちらの倍近くの兵数だ。よくこの短期間でこれだけ集めていたものだと感心する。


「山口の兵が多いですな」


「おそらく近辺からかき集めたのかと。如何なさいますか?」


 長秀と秀順の報告に信長様がうなずく。山口軍は、中と右備えが山口の兵で、左備えを今川軍が受け持っていた。


「左の山口兵から崩す。中は五郎左。右は勝介。左はわしが率いる」


 勝介は安祥城で戦死した内藤勝介の息子だ。父の戦死によって名前を継いでいた。身代から、こうした場合には一角を任されることが多い。


 各人が散っていき、配置につく。


 そして、信長様の命令で貝が鳴らされて前進を開始する。


 今日は昨日と違って盾を構え、矢に備えながらゆっくりと進む。そして、弓の範囲に入る前に信長様の下知が轟いた。


「放てえ!」


 下知の数瞬後、前方から破裂音が響く。たった十丁と、まだまだ数は少ないがそれでも大きな効果を発揮する。山口の先鋒が目に見えて動揺している。


「弓! 放て!!」


 そこに、鉄砲の二射目のために弓での援護を強める。山口が矢で抵抗するが、そうしている間にまた二射目が響き渡った。


「左近め、やりよる。撃つ度に倒しよるわ」


 滝川左近一益は鉄砲の名手だった。遊歴していたのを、賭博で負けて困っていたところに信長様が助けた人物だ。

 信長様は、鉄砲の腕を見込んで貴重な鉄砲全てを任せている。これには一益本人が仰天し、仲間内以外の賭博をつつしんで、真面目に兵を鍛えていた。それが、今回の戦いで発揮されている。


 木の盾では火縄銃を防げないため、あっさりと山口の右備えは崩れていった。


「止めい! 槍持て!」


 崩れたところに突撃する準備が整う。


「進め!」


 信長様自ら前進し、突撃を開始する。丹羽長秀の部隊も、同時に前進して絶妙な援護を開始していた。


 みるみると山口右備えが崩壊し、それは中央にまで波及しだす。山口右備えを追い散らした信長様率いる左備えは、山口の中央に横から攻撃を加える。


 攻撃から逃れるように山口中備えが今川の左備えに後退すると、混乱は拍車をかけた。瞬く間に山口・今川連合軍は崩れだして、鳴海城に退却を始める。


 これを、今回は全力を上げて追撃した。鳴海城付近まで追いかけ、十町((1km))ほど短い距離なので打ち取れた数は多くはないけれど戦果はあった。


 信長様は、鳴海城を囲むだけにとどめ、城下を放火し、周辺を荒らし回った。これで山口教継が力を再び整えるのに時間がかかるはずだ。

 ここで収奪した銭や帰りには余分な物資を、結局池田恒興が使者となって南の水野信元に届けられる。


 鳴海城を落とせず、鼠駆除はできなかったけれど、効果はある。二日後、再び鳴海城周辺を焼き払い、多勢の敵が反攻に出る前に退却した。


 信長様の当主として初めての戦は、戦には勝ったけれども城を落とすことはできなかった。評価としては引き分けであるが、やるべきことはやれたはずだ。

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