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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第三章 桶狭間の坂道
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木地師 参

 市場の座商人たちによって前田孫十郎基勝が連れてこられた。そうして俺の身元が確認されたことで、木地師の老人は殴打されることなく銭を払うだけで無事に開放された。もし、俺と会うことがなかったら、老人は手持ちの全財産を没収された上にひどい暴行を受けていただろう。

 それがわかっているから、老人は大人しく屋敷までついてきた。


「俺の領地に来てくれたらしいな」


「ええ。豊かで、良い村でした。孫が安心して、物を売れておりました」


「そのまま逗留してくれてもよかったのだぞ」


 俺の言葉に、老人は瞑目して少し頭を下げるだけで答えた。まだそのつもりはないということだろう。


「そうか……残念だが、仕方ない。しかし、仕事は頼まれてもらう」


「わかりました。それで……どのようなものを作ればよろしいのでしょう?」


 俺は、庭先にある一台の弧輪車に視線を向ける。細々した物の荷運び用に持ってこられたものだ。無茶な使い方をしていないはずだが、車軸が壊れてしまった。


 老人が俺の視線に釣られて、弧輪車を見る。


「あれは?」


弧輪車(ひとつわぐるま)という。あれの、肝心要の部分を制作してもらいたい。作ってもらいたい物は他にもあるが、まず弧輪車の車軸と車輪が第一だ」


「車輪は作れません」


「普通の車輪は、だろう。今の弧輪車には、細工で作った車輪を使っているが、それでは強度は強くない。一つの木材から、作ってみたいのだ」


 老人が胡乱げな視線を俺に向ける。その正直な目つきに、俺は苦笑を浮かべた。初めて千歯扱きを作っていた頃、周囲に同じ視線を向けられていたからだ。


「どのような物なのかは、作りながら説明する。口だけでは、とてもではないが表現できそうにない」


「まあ……承知しました。作ってみましょう」


「ありがたい。作っている間は、我が家に逗留してくれたら良い」


 老人は、うとうとと船を漕ぎだしている孫娘を見ると、俺に向かってしっかりとうなずいた。


「お世話になります。名乗りが遅れましたが、小椋谷(おぐらだに)道右衛門(どうえもん)と申します。この子は、孫の(しず)です。しばしの間、お世話になりまする」


「道右衛門か。こちらこそ、よろしく頼む。これで弧輪車の方も前に進めそうだ」


 千歯扱きは、村人たちの意見をもとにどんどん改良が進んだ。細工師の道杉に、木地師の道右衛門が力を貸せば、きっとより良いものができるようになるだろう。


「では、早速で悪いが、作業の方にとりかかろう」


「承知いたしました」


 老人がそう返事をしたところで、とうとう眠気が限界に達してしまった静が、崩折れて道右衛門に寄りかかって寝てしまう。道右衛門が困り顔で起こそうとするのを手で制して、静が起きないよう、俺は客間を用意させるために立ち上がった。









 秋の収穫を終えると、篠岡八右衛門が道杉を伴って那古野まで報告にやって来た。道右衛門の協力を得て改良された弧輪車は、それを見た道杉にまるで憑き物を落とさせたようであった。


 みるみると顔つきが変わり、道右衛門の紹介を待たずに、弧輪車の車輪辺りを検分し始めてしまった。


「どうだ、道杉?」


 篠岡八右衛門も、弧輪車の傍らに座り込んで道杉に問いかける。


「輪木を組んで車輪を作るのではなく、削り出して一つの車輪を作るなんて……確かにこれだと岩に当たっても壊れにくいかも……」


「殿、試しはもうお済みで?」


「いや、まだだ。その車輪を作るために、轆轤から手を入れないといけなかったからな。道杉が来るから、ただ急いでそこまで仕上げたんだ」


 道杉の作る車輪に比べて、道右衛門に作ってもらったのは原始的な車輪だ。これそのものはまったく新しいものではなく、恐らく最初期に作られていた代物だろう。それが、時代を経るに従って、任意の大きさに加工できる細工で組み合わせた車輪に形を変えていったのだと思う。

 弧輪車は牛車などに比べて車輪が小さいので、まだ容易に材料を揃えることができるから、何も細工で作らなくても良かったのだ。


 道杉は、自分で弧輪車を押してみたり、横に傾けてみたりしながらうまく回るのか確かめている。やがて満足したのか、持ち手を篠岡八右衛門に譲って、俺のところに駆けて来た。


「驚きました。単純なものですが、それだけに真円を作るのに苦労したのではないでしょうか? 押してみたところ、車輪がつかえることなくきれいに回っていますので、あれを作られたのは素晴らしい職人です」


 珍しく矢継ぎ早に話す道杉。


 俺は横にいる道右衛門の背を押して、道杉の前に出す。


「作ったのは木地師である小椋谷の道右衛門だ」


 道右衛門が戸惑った顔を俺に向けてくるが、それに関わらず道杉が道右衛門に詰め寄った。


「車輪を作るところを見せていただきたい!」


「あ、ああ……構わないが……」


 道右衛門に対して、俺もうなずいて許可を与えると、次々と問い続ける道杉に辟易した様子で轆轤を置いている部屋に案内していく。


 道右衛門は困り顔であるが、すぐに道右衛門も道杉に向かって問いかけている様子だ。


 俺は二人が見えなくなると、いつの間にか弧輪車に集まっていた人だかりを目にしてため息をついてから、声を上げる。


「八右衛門! どうだ、使えそうだろう!?」


「ええ。これで壊れにくくなったのであれば、普請も楽になりそうです!」


 篠岡八右衛門が、弧輪車を押しながら俺の下までやってくる。


「村にある弧輪車は、田畑や水路を作る時だけでなく、米などを運ぶのにも使っています。そのため、村人の中でこれを使えない者は居ないくらいにまでなりました」


「使うこと自体は難しくないからな。しかし、これで道杉には次の物に取り掛かってもらえそうだ」


「次はどのような物を?」


「弧輪車に土を入れるための円匙(えんし)という物だ。(すき)に手を加えた物になる」


「どのようなものかはわかりませんが、鍬や鋤では弧輪車に土を入れるのは一苦労ですから、それが楽になるのであれば良いですな」


 円匙であれば、弧輪車に土を入れる際にこぼすことなく入れられる。作業効率が良くなったら、それだけ他に手間を掛けられるので、村を豊かにできるはずだ。

 篠岡八右衛門もそれを察しているようで、うれしそうにしていた。


 まだ弧輪車の周りで騒いでいる村人たちを遠目に、俺は重々しく口を開く。


「八右衛門」


「はっ」


 俺の雰囲気を読み取った篠岡八右衛門は、俺の前に立って声が村人たちに届かないようにする。


「近々、出陣することになるだろう。村からの陣夫は弧輪車を使える者を加えた最小限だ。足りない人数は雇え」


「冬前なので、人手は出せますが?」


「おそらく長くなるだろう。村から出す陣夫は半数ずつ入れ替えで、交代制だ。銭が心許ないのであれば、今のうちに借銭しておけ」


 俺の命令に、篠岡八右衛門は考える仕草をしてから答える。


「……ご命令どおりに、銭は貯めてありました。周囲の不作のせいで、人は安く雇えるでしょう。しかし、どれだけ長くなるのでしょうか?」


「長くて一年だ」


 篠岡八右衛門が天を仰ぐ。


「駿河まで攻め込むのですか?」


「今川の館まで行くには一年では無理だ。で? 銭は足りるのか?」


「雇うなら足りません。しかし、もし人を雇わなければ次の田植えなどに差し障ります」


「ああ、結局は銭を借りるしかなくなる。後で足元を見られるより、今のうちに借りておいた方が利足を押さえられるかもしない」


「津島の方で、話をまとめておきます」


 ここ那古野でも借りられるだろうが、蒲黄の伝手がある津島のほうが顔馴染みで貸してくれるかもしれない。


「そうしてくれ。八右衛門、孫十郎、道家兄弟は俺と出陣する。与力の新次郎も当然、連れて行く。村は(たえ)に任せるしかないだろう」


「藤十郎は如何なさいますか?」


「大蔵殿の許可が出れば連れて行く。しかし、連れて行っても領地との連絡役で行ったり来たりになる」


「わかりました。それでは、密かに合戦の準備を致します」


 篠岡八右衛門が踵を返して、弧輪車にできている人だかりに向かう。


 俺はそれを眺めつつ、何気なく懐からサイコロを取り出して、掌中で転がし始めた。そして、サイコロを投げてみようとするが、思いとどまる。


 脳裏に信長様の影がちらついたからだ。吉凶を占うには、まだ早い。


 俺はサイコロを握りしめて、東の空を仰いだ。


「舞台は整えてやったぞ。その首を取られる((歴史再現))ために、今川義元、桶狭間に来い」









 篠岡八右衛門が村に戻っていった数日後、大高城で謀反が起き、城が陥落した知らせが那古野城に飛び込んできた。



更新が遅れて申し訳ありません。木地師こと道右衛門が登場すると、なぜか仕事が忙しくなります。

お陰で重版して手に入れた『武田氏家臣団人名辞典』をちゃんと読むことが出来ていません。


ともかくも、ようやく戦争パートに突入していきます。


次話もお付き合いくださったら幸いです。

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