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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
プロローグ 遥かなる行き先の道
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転換点

元亀元年(一五七〇)四月廿(にじゅう)七日


 旗指物をはためかせながら騎馬武者が味方を追い越していく。味方も伝令とわかっているので、騎馬に道を開けながら進軍している。


 やがて騎馬は、目的の集団近くで馬を飛び降りひざまずく。


「殿! 疋田の城、滝川彦衛門殿と山田左衛門尉(さえもんのじょう)殿よりご報告! 塀・矢蔵の破却を終えたとの由でございます!」


「うむ。二人には疋田に留まり、高嶋との連絡を密にせよと伝えよ」


「かしこまりました!」


 伝令が再び馬にまたがり、来た道を引き返していく。


「いやはや順調でございますな。さすがは、織田信長殿と言いますか」


「なに、朝倉など所詮はこの程度よ」


 信長は不敵な笑みを浮かべた。


「久秀、おぬしも若州まで来たというのに無駄足であったな。武功を立てる機会など、朝倉相手にはないわ」


 信長が大笑し、松永久秀も同意するように笑い声を上げた。


「武藤が企みし悪行は潰え、それを示唆した朝倉を討伐するは全て天下静謐のため。公方様の御威光も殿のお陰でますます輝きますな」


「まったくまったく。しかし、手筒山以外がこうも歯ごたえがなくては、山城守様((松永久秀))と同様に、我らも来た甲斐がないというもの」


 信長の周囲からも追従の声が上がり、信長はますます上機嫌となっていた。


先手(さきて)修理((柴田勝家))に伝えい! 木目の峠を越え、朝倉領内へ乱入せよとな!」


 信長の下知を受けて、馬廻りの中から伝令が駆け出していった。


 そこに、再び後方から伝令が駆けつけてくる。先程来た伝令以上に馬が疲弊しており、潰れていないのが不思議なくらいであった。


「殿! ご注進、ご注進にございます!」


「何事だ? 金ヶ崎のハゲネズミ((木下藤吉郎))が兵糧を盗み食いでもしおったか?」


 上機嫌で冗談を口にする信長。


 しかし、伝令は笑いもせず、疲れきった様子でひざまずいた。


「浅井備前守((長政))手を反覆((裏切り))させました! 軍勢を率い、こちらへ進軍しております!」


「この阿呆!」


 報告を聞いた信長が、間髪入れずに激高する。そして、戸惑う馬廻りたちを無視して馬を進めた。


「つまらぬ空言に惑わされおって」


「しかし信長殿。確認もせずに宜しいのですかな?」


「長政は妹の市を嫁がせている儂の縁者たるぞ。あまつさえ浅井には江北一円を任せている。それに何の不足があろうか」


 もはや聞き耳をもたぬとばかりの信長。家臣たちも、信長の怒りが黙って通り過ぎるのを待つしかなかった。


 その後も、同様の伝令がやって来ては、信長が怒声を上げることが続いた。


 しかし、方々からのあまりにも多くの伝令が、信長の考えを揺るがせ、馬廻りたちも動揺した。


「殿! もはや疑いようもありませぬ。浅井は裏切ったのです!」


「ご決断を、殿!」


 信長は瞑目し、やがてかっと目を見開いて馬廻りたちを振り返った。


「…………売僧(まいす)はどこにおる。売僧!」


 信長が高らかに渾名を呼ぶ。


「そんなに大きな声を出さなくてもここにおります」


 馬廻りたちの奥から、駕籠に乗った男が手を振りながら現れる。


「遅い!」


 信長は馬から降り、その場でどかりと座る。そして不機嫌な顔を売僧に向けたまま、小姓に催促するように手を突き出す。


(さい)と銭だ。早くしろ」


「まったく、殿はいつも突然だ。おや、山城守様。昨夜賭物(とぶつ)にされた酒はなかなかに――」


「売僧!!」


 信長の怒気に売僧が身を竦ませる。それまでの、のんびりとした様子から一転して信長の前に慌てて座り、椀を二人の間に置いた。信長も小姓が差し出してきた賽子(さいころ)三つを手に取る。


「大和国、春日社の神鹿から切り取りし角から作った賽だ」


「……殿、山城守様に頼まれたんですね。では、わたしも本気で受けて立たなくてはなりません」


 売僧も、不思議な光沢がある賽子を取り出す。


「殿は何をかけますか?」


「銭一貫文。……このまま進む」


 小姓が紐でまとめた銭を幾つか椀の横に並べる。


「承知。では、振ります」


 売僧が賽子を椀へ静かに落とし入れた。軽い音が鳴り響いた後に、目が六・六・三を示す。


「親、三。では、殿も賽を振って下さい」


 信長が持っている賽子を勢いよく椀に振り入れる。軽い音が鳴って、賽子の一つが椀から飛び出した。


「しょんべん。親の勝ちです」


 売僧が小姓の置いた銭を掴み、駕籠を担いでいた男に渡す。


 信長は自分の賽子を(もてあそ)びながら、椀を睨んでいる。


「銭一貫。京へ退く」


「わかりました。では、振ります」


 小姓が銭を置いてから、再び売僧の賽子が椀に入れられ、一・三・四を示す。


「出目なし。もう一度……」


 今度は乱暴に賽子が振るわれて三・三・一が出た。


 周りをぐるりと囲んで、成り行きを見守っていた馬廻りや小姓から安堵の声が漏れる。


「親、一。殿の番です。どうぞ……」


 信長は、親である売僧の役が低いにも関わらず、難しい顔をしている。そして、しばし賽子を握りしめてから、椀に投げ入れた。 

 信長の賽子は二・二・一。


 周囲から落胆の声が上がる。


「子、一。引き分けです。吉凶を読み解くならば、進むと引くでは、引く方に分があります」


 小姓が自分の置いた銭を回収しようとする。それを、信長が手で止めさせた。

 そして、信長は口元に手を当てて考え込む。


 皆が固唾を呑んで、見守っていると、ようやく口を開く。


「売僧、銭一貫。……金ケ崎に留まるだ」


「そう、きますか。わかりました。……振ります」


 落とされるように入れられた賽子は、一・一・四を示す。


「親、四になりました。どうぞ……次は殿がお振り下さい」


「どうした? いつものお前らしくない」


「……お振り下さい」


 売僧が頭を下げる。信長はうなずき、賽子を振った。

 賽子が示す目は、二・三・六。


「出目なしです。もう一度振って下さい」


 信長は黙って、賽子を掴んで再び椀に投げ入れる。

 長く転がって出た目は、一・二・六。


 周囲からまた嘆息が聞こえる。信長も眉間に皺を寄せていた。


「出目なし。次で最後です。お振り下さい」


「……売僧。儂が負けたことがあったか?」


「銭をかけた勝負では、何度でも」


 売僧は信長と目を合わせず、椀だけを見つめている。


「しかし……吉凶で、殿に勝ちがなかったことはありません」


「であるか」


 信長はうなずき、賽子を乱暴に椀へ投げ入れる。


 軽い音が鳴り響いた後、賽子が目を示す。


 三・三・五。


 周囲で歓声が沸き起こり、売僧は天を仰いだ。


「子の出目は五。子の勝ちです。金ケ崎の城にて戦うことが……吉と出ました」


 立ち上がる信長。馬廻りたちも、信長の号令を今か今かと待ち望んでいる。


「金ヶ崎に行くぞ! 勝家には、朝倉を警戒しつつ戻らせよ!!」


 大慌てで退却の準備が行われる。


 信長は馬に飛び乗ると、小姓衆と松永久秀を連れて急ぎ戻っていった。


 一人、売僧だけが座り込んだまま、その場に取り残されている。


「ついに歴史が変わってしまった。これまで、なんとかやってこられたけれど……もう、どうなるかわからない。姉ちゃん、おっとう……俺、うまくやれるかな?」


 プラスチック製のサイコロを太陽にかざす。その顔は笑っているようでもあり、泣いているようでもあった。


 売僧と呼ばれていた男の名前は、道祖(さや)長通(ながみち)。数百年の歴史を遡り、戦国の時代へと転生した信長の軍師である。

売僧まいすの意味は、「堕落した僧」というのがまず思い浮かぶと思います。

『邦訳 日葡辞書』は、当時の宣教師たちによって作られた辞書を訳した本なのですが、そこには「いつわり」「うそ」という意味が載せられております。そこで、ここでの意味は「うそつき」といった意味で、渾名にしています。

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