ムテキのうた
正確なタイトルは知らないのですが、ムテキングというアニメが70〜80年代に放映されてたそうです。製作元はタツノコプロ。あのタイムボカンシリーズの一作らしいということは見たことない自分も知ってる程度です。
というか、タイムボカンシリーズはほとんどリアルタイムで見たことがないので、辛うじてヤッターマンを子供の頃に視聴した記憶がある程度で、内容まではさっぱりです。とはいえ、最近は何作かリメイクもされてるので、イマドキの子の方がずっと詳しいのかもしれませんね。
で、なんでムテキングなのかというと、実は自分はそのオープニングテーマを歌えるのです。さすがに通しは無理ですが、サビの部分は結構歌える自信があります。ノリが良くキャッチーで、アニソンの中でも名曲の部類に入るのではないでしょうか。実際、自分も鼻歌でもやれば結構ノレます。コアなアニメファンの方の間でも名曲として盤石の評価を受けていることと思います。
見たこともないしビジュアルさえよく知らないのに、なんで主題歌歌えるの? とか疑問に思う人がいるかどうかはさておき、種を明かせば学生の時分、学校行事の出し物のダンスでこの曲が使われたというだけの話であります。
大体、多感な学生が出し物でダンスやるとなれば、これほどつまんないこともありません。男子学生ならブルーハーツとか流行りのポップスグループの曲を流したいだけでダンスをやろうとか提案するのでしょう。女子学生ならファンのアイドルやアーティストの布教活動の一環とか、好きなドラマの啓蒙活動とか。
要は音楽を流したいだけで、心から踊りたいとかダンスを見せたいなどという殊勝な心掛けからではないものです。
というか、学生風情の出し物となればもう歌を歌う、ダンスする、応援っぽいことやる、と相場は決まってます。それ以上の発想なんて出やしません。分かりきってます。
まあ、イマドキの若い子なら漫才やったり、コントやったりしてそうですが。最近の若い子の方がずっとクリエィティブな気がするのは気のせいでしょうか?
要は学校行事なんてダルいのです。できることならスルーしたい面倒事です。一応、生徒の自主性を重んじるみたいな体裁を取ってはいますが、あまりはっちゃけすぎると教師連からダメ出し食らって無難な出し物にならざるを得ません。そんな重石が乗っかってて、楽しい出し物になどなるわけないのです。楽しくないならモチベーションなど当然期待はできません。団結など望むべくもありません。
どんだけ頑張ってやっても偏差値に加算されるわけでもない、笑いものにはなっても異性にモテるなんて絶対ない。それならテキトーにやってテキトーにやり過ごすのが吉です。
案の定、出し物企画会議は無駄のひと言。「ダンスがいいと思います」「歌がいいと思います」ていうか、お前らどうせその二択しか用意してないだろッ! どっちになろうが大差ナシ。ただただつまんない練習やって、大して見る価値もない素人芸の歌やダンスを披露して、早く終われやと陰口叩かれるのが関の山です。
予定調和という名の半ばヤラセ会議は全く予想を裏切ることなく当時の流行歌を使ったダンスに決定。ああ、これからひと月ほど無駄な練習に付き合わされることになるのか、と、クラス全体が諦めモードになり、チャイムと共に会議はお開きになったのでした。
が、後日、担任が前の会議で決めた曲は他のクラスとかぶってるので、曲を変えると言ってきた。もちろん、曲を再選定するためにまたも一時間授業を潰してくれるほど学校は甘くない。なんとその担任は独断で、しかも会議ではエントリーさえされなかった昔のアニソンを強引に引っ張ってきたのです。今のようにアニソンが社会的に認知されてなかった時代に!
当然そんな曲、誰も知る訳ありません。アニメのタイトルだって知りません。まあ、そのキャッチーなノリに、初めて聴いた時はみんな爆笑しましたけどね。しかしこれを出し物のダンスに使うというのは問題です。
大体がして学生ってのは結構シャイで妙に大人ぶりたがるものです。ダンスとはいえ異性と人前で手を繋ぐのさえ羞恥に耐えかねるものがあります。そんな学生にこんなアニソンでダンスやれとは一体どういう罰ゲームなのかと。
当然というか、クラス全員不満の嵐。歌やダンスはかったるいけど、唯一の利点である好きな楽曲を流すという、ささやかな欲求さえ満たされないのですからそりゃあ不満が噴出します。というか、担任が勝手に決めたことでもう納得できるわけがないのです。やらされてる感はどうしたって出てきます。いい齢した大人が、と、自分では思い込んでる小僧が子供向けアニメのキャッチーな曲で踊らされるのです。担任に憎しみを抱くなという方が無理な話でしょう。
大体なんでその担任は誰も知らないそんなアニソンを無理やり引っ張ってきたのか? そりゃもう自分がそれをやらしたかったに決まってます。担任にどんだけそのアニメに思い入れがあるのか知りませんが、あわよくば生徒が面白がって決定して、自分はなにも知らないというポーズを決め込んでやろうという下心が透けて見えます。
ま、その担任は英語を担当しており、「ここのジェントルメンというフレーズはリズムの関係でジェントルメンとだけ言っているが、レディースアンドジェントルメンと言うのが一般的な用法なので覚えておくように」などと英語教師としての職務の一環なんだぜ、という体裁を一応、取り繕ってはおりましたが、その程度言われんでも知ってるがな。というか、そもそもこんな曲知りもしなけりゃ間違えるなんてありえないし!
本人がこの曲を学校行事の名のもとに合法的に流したいという野望はもうミエミエなので全員がそれに付き合わされていたというか。
で、いよいよ出し物本番。当然というか、他のクラスは無難に記憶にも残らぬ歌やダンスを披露して、見事に羞恥からスルーしましたが、我がクラスはそういうわけにはいきません。誰も見ないでくれ、聞かないでくれ、などと心の中で願っても体育館は爆笑の坩堝。退屈極まりない出し物の時間は妙なテンションのアニソンのお陰でひととき、好奇と熱狂、そして一部の羞恥に包まれていたのです。いまどきローラーヒーローって……
当然、翌日からはクラスの全員が前日の記憶を抹消し、平穏な学生生活に戻りました。あの出し物について触れるものなど一人もおりません。担任にしてもどこ吹く風。「あれはお前たちが自主的にやったことなんだろ?」とでも言わんばかりです。
それからわずか数カ月後に我々は卒業。卒業前にとんでもない恥をかかされたものですが、もはや黒歴史になってしまってるので特に話題になることもありませんでした。
しかしあれからもう何年経ったでしょうか。自分はそれなりに大人になり、あの恥ずかしい思い出も笑って回顧できる程度にはなりました。
自分は知っています。いや、他のみんなもきっと知っていたでしょう。あのキャッチーな曲を聴いて、みんなそれなりに楽しんでいたことを。すごく恥ずかしかったけど、誰も練習をサボろうとしなかったことを。
自分たちはもう大人だ、と思う一方で、まだ子供でいたい、ずっと子供のままでいたい、そんな繊細な心を持ったまま卒業しなければならなかったあの時期に、あの曲は自分たちをひととき、童心に帰らせてくれたのです。
なぜ自分たちはあのまま静かに卒業してしまったのか、それだけが悔やまれてなりません。そこは出し物が終わればみんなが担任を交えて、盛大に打ち上げをやるべきではなかったのではないでしょうか。カラオケであの曲を全員で熱唱するべきではなかったのではないでしょうか。
あの担任はもう定年で引退しているのかもしれません。所在も定かではありません。あの曲を無理矢理出し物に引っ張ってきた担任の真意は今となっては分かりようもありません。しかし、もう大した記憶も残っていない学生時代の記憶で、鮮明に残っているのは、この、一番に抹消したかった思い出なのです。