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聖剣物語  作者: はち
初夜編
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初夜編  眠り蕾03

「ねぇ、親方」

「なんだ?」

「ちょっと良いですか?」


 そう言うと、ベルは立ち上がり、親方の手を取る。彼は、彼女の一瞬の顔つきに息を飲んだ。

 胸が、ガーンと尖塔の鐘を鳴らすかの如く激しく叩きつけられる。恋に落ちる感覚に少し似ていた。久しく忘れていた感情だ。ザワザワと波紋を描く心の底からゴポゴポと沸き立つ音が響く。

 ベルの手に自分の手を重ね、立ち上がる。女性の手に触れることも久しぶりの事であった。彼女に連れられ、歩く。それだけでも胸のざわめきが止まらない。良いことか、悪い事か、全く判断が付かないが“何かが起こる”と予感させる胸騒ぎがあった。


「この部屋ですけど」


 ベル達が足を止めたのは、彼女が借りた部屋だ。

 一部以外整理整頓された部屋。白い木の幹を何本も積み重ね、丁寧にくり貫いた衣装棚。乱れた平たい布団。そして、窓の上には女性の絵が2枚飾られていた。


「親方は、誰の部屋を私に貸してくれたのですか?」

 

 彼は、すぐには答えない、目を細め、部屋に鎮座しているもの一つ一つを食い入るように見つめる。時折、「うっ」と咽から音を漏らした。彼の目は、設備一つ一つに込められた記憶をなぞるように見つめる。そして、咽輪を締め付けられる痛みに抗うよう、ゆっくりと湿った溜息と共に、ゆっくりと答えを口に出す。


「ここは娘の部屋ばい」


 答えるというより、重たい感情を隠すように言った。と言っても良い。

 彼は部屋の中へ入ると、衣装棚に触れる。撫でた掌には何も付着していなかった。


「お前に用意した服も、娘のやった」

「……嘘」


 ベルは思わず漏らしてしまった。親方の体格と服のサイズ。屈強な父親を持ったとは思えないほど細い。


「わざわざそのような服を……。良かったのですか?」

「あぁ。服が大きいと不平不満を言ってたからな。着る事は無いヤツやった。着れる者が着ればあいつも喜ぶやろう」


 ベルは服の件に関しては口を閉じた。これ以上何かを言えば大きな墓穴を掘ることはたやすい。ベルは早速本題を切り出した。

 彼女が気になったのはこの部屋に掲げられている2枚の絵。

 絵画を嗜む習慣は、王都でちょっとしたブームである。王宮内でも王の威厳を示すべく、歴代の王の肖像がが所狭しと掲げられている。壁だけではなく、天井画も、曲線模様に淡彩と金色を併用した画が描かれている。

 これだけの絵画を前にし、迫力ある絵。愛らしい絵。と感想を持つことは出来ても、理解できるものはどれだけいるだろう。それだけではない。息を飲むような絵。そのような「絵」を描ける人間はどれだけかけるだろう。よもや、鄙びた村で王都に飾られてもおかしくない、息を飲む「絵画」が存在するとは思いもしなかった。


「親方」

「何だ?」

「この絵」


 ベルはまず、窓の上にある水彩で書かれた人物画を指差す。


「あぁ。それは俺の妻だ」


 親方はそう言うと、また深い溜息をつき、妻の絵を見る。


「あれは、妻だ」


 切りそろえられた髪。目力が強すぎて睨んでいるようにも見える。どことなく、執務室に掲げられていた睨み絵の女性に似ている。本格的に絵を描き始めたのだろう。線は弱弱しく、人間と風景の境界線もあいまいだった。


「本当は、もっと美人なんばい」


 彼は照れ隠しのように言った。きっとそうであろう。この絵には、「予感」を与えるだけで、印象に残る絵ではなった。

 ベルが口を開くより前に、彼は、もう一つ隣の絵(本命)を指差す。


「そして、隣が娘が愛した人 聖女リーゼロッテ様」

「へぇ。聖女がこの村にいたんですか?」

「あぁ。もうどれぐらい前になるか忘れたけんど、おったんばい」

「ふぅん」


 ベルは声を漏らす。こうして、彼らはこの村に影を落とした人物を見上げる。


(聖女リーゼロッテ。かぁ。若い聖女ね)


 血管が透けて見えそうなほど白い肌。青いベールを頭からすっぽり被り、垂れた目尻は彼女の人の良さを如実に表している。また、油絵で描かれているため、人の厚みを感じ取ることが出来た。背景の濃い青と、ベールの淡い青。濃淡がはっきりしており聖女の名にふさわしく、清廉潔白の印象を強く与える。絵のタッチは隣の絵とは異なり、とても力強い。息を吹きかければ、額縁からひょっこりと聖女リーゼロッテが現われ、すぐにでも説法をしそうな気さえした。生きている人をはめ込んだような油絵。ベルはこの絵を見たとき、はっと息を飲んだ。


(これは、絵画ってやつよね」


「聖女さんの絵は素敵な絵ですね」

「……。俺の娘が描いたんばい」


ベルはもう一度絶句した。


「人はな。死んで最初に忘れるのは声なんばい。娘は、二人の顔を見れば、声を思い出せるかもしれない。っち言って、いっつも描きよった」


 彼の発言から、あの絵は時期を異にし、被写体の死後描かれたものと推察される。ベルは親方の顔を目だけで追う。彼は彼女を見ていない。きっと、この部屋の主に語りかけているのだろう。目尻を下げ、口の端を引き締め、父親の威厳を匂わせつつ語るのだ。


「アイツが筆を持ったのは早くてな。よく俺のあぐらの中で筆を持っていた」


 親方の目は現実ではなく、過去を捉えている。

親子は、家の軒下に座っている。親方の胡座の中に幼女が座っていた。親方が背中を丸め、幼女の頭に顎を置く。彼女が持つ枝の先を彼が持ち、「こうこう」と絵の流れを伝える。砂の上に描かれる複数の丸。丸の中に点を三つ穿てば、「お母ちゃん」と彼は言う。娘は、砂の上に現れた母を見て口元を緩ませる。

 今度は、幼女が絵がを動かした。歪な線と丸、四角を書き、何かを描こうとしている。父は、彼女の描きたいものを察し、また嬉しそうに枝を動かした。最後に無数の点を丸の中に打つと、大きな声でこう言った。


「とーちゃん!」


 満面の笑みを浮かべる幼女の顔。彼は、背後から小さな背中を抱きしめる。背中にずっしりとかかる父親の体重。頭上から噴きこぼれる父の息遣い。幼女は小さな体で父親全てを受け止める。遠くでは妻が二人を呼んでいる。父親の大きな胡座の中で彼女はケラケラと笑い声をあげるのだ。



  それは、ある日の夕暮れの思い出だ。


「アイツはな。絵師になりたかったんばい。アイツは……」


 ベルは彼の言葉を最後まで聞き取ることが出来なかった。


「父ちゃんの絵を描くっち、あいつは、俺に……」


 部屋に足を踏み入れた時点から、彼の心は揺さぶられていた。

 部屋の主が家を去って以降、娘の思い出を語ることは無かった。彼には語る相手はいない。トリトン村自警団の頂き。弱味を見せることなどできようか。

 心の奥底で沈殿していた記憶がじゎっと、鼻にまとわりつく木の皮の匂いと共に共に想起される。親方の心の水面は、ドウドウと白波を立てて湖岸を叩きつける。分厚い手の皮が人の頬を打ち抜くよう、何度も何度も感情が平常心に食らいつく。


「娘は……。娘は……」


 親方はしわがれ声で呟いた。彼の感情は、平常心にかぶりつく。堪えていた思いが堰を切った。

 次の言葉は出てこない。彼はその場で膝をつく。いかつい顔を皺々に歪め、ボロボロと人目を憚らず泣き始める。顔を伏せれば、ボトリボトリと音を立て涙を落とす。薄い絨毯に濃い沁みを描かれる。水彩画の滲みに似た跡を見ると彼はまた涙を零すのだった。


「アイツは、良い娘なんばい。自慢の娘で、どこへやっても、恥ずかしくない立派な娘やったんばい」


 親方は、伏せていた顔を上げ、滲む世界で部屋を見つめる。

 もう、何年も部屋の窓を開けていない。窓を開けてしまえば、彼女の残り香が、彼の手を離れて、どこかへ消えてしまいそうだったからだ。

 部屋の中も極量区掃除はしない。部屋の中に彼女の髪の毛 爪の破片。彼女の身体を構成していた一部を捨ててしまうかもしれないからだ。

 ある種、この部屋は封じていた記憶そのものである。

 封じていた記憶を、彼は何故か開けてしまった。何故と自分に問うより先に声がかかる。


「でも、死んでしまったんですよね」


 熱い感情に雪よりも冷たい超えが降り注ぐ。冷や水に驚いたのか、自分の意思とは関係なく、流れていた涙がピタリと止まった。親方は歯を食いしばり、ギリギリを歯軋りをさせ、口を開いた。


「いいや、違う。……。お前さんのいう、物語病に、娘は殺されたんばい」

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