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聖剣物語  作者: はち
初夜編
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初夜編 夢魅る少女じゃいられない05

(なるほどね)


ベルは膝の上に肘を乗せ、顎に手を当てる。口をへの字に曲げ、触れた物語について考えた。


(初夜権誕生にはそういう経緯があったのかー)


彼女は、開いた絵画を見上げる。

 ベルは瞳を伏せた。初夜権とは、確実に子孫を増やす為の手段として取り入れられている。当初は、一定の成果はあっただろう。それこそ、マルト時代は、効果は絶大と言っても良い。

 なぜならば、当時の村人は魔獣に激しい憎悪を抱いている。失った同胞。失った家屋。何もかもを魔獣に奪われた。魔獣は討伐され、この世にいない。やるせない思いをどこにぶつければよいだろう。行き場の無い感情を、どうすることも出来ない。肥溜めに溜まる大便のように、感情は積み重なっていく。「どうにかしてやりたい」そのような感情に隙間風のような一言が囁かれる。「魔獣に一矢報いてみないか?」

 領主の一言に、村人の心が傾く。

 魔獣は、同胞を殺したくて殺したくてたまらなかった。同胞の数を減らしたかった。減らせたので満足している。だが、初夜を捧げれば、減らせた同胞の数を増やすことが出来る。

 村人は、時機に遅れた反撃に大いに盛り上がった。初夜を捧げろ。初夜を捧げろ。と多くの人間が、女の背中を押す。そして、多くの女は股を開いた。本人の意思であろうが、そうでなかろうが、村の空気は“股は開いてナンボのもん”という風潮にかわっていた。憎しみを土台にした手法。ベルはマルトのやり方にニヤニヤとしたり顔を浮かべた。


(そう。これは()()()()()()()()()()()()()()のよ)


 憎悪を利用したマルト。だが、憎悪という感情は当人だけのもの。時代が変わる毎に魔獣に対す憎悪は薄まる。

 数字と感情に訴えていた初夜権も時代と共に、正当性を失っていく。初夜権は既に時代遅れの産物となってしまった。なくしても構わない代物。だが、領主としては、何の苦労も無く女を抱ける権利をホイホイと捨てるわけにはいかない。

 なので、失われつつある正当性に少し補足を始めた。初夜権は原罪なき村人を産む為の行為。失われた村人を、原罪無き村人として。祖先をイグラシドルの樹の下から呼び戻す儀式。などと付言し、初夜を掠め取っていく。


(マルトの時代に打ち立てられた初夜権はマルトだから意味があった。他の領主の時代は、時代と共に意味を成さない。時代は、正当性を奪い、村人に知恵も与えた)


 知恵の証左は記載されている。

 マルトの物語の後、記載されているのは初夜権に関する記録。マルトの時期をピークに初夜権は緩やかに減っていく。


(そりゃそうね。あの初夜権は原則、初夜は領主に捧げるべき。例外は先客がいる場合。その先客っていうのは、腹の中にすでに子供がいること。結婚前に子を孕んでいる状態であれば、初夜権は免れる。そのカラクリを見破れば後は簡単。結婚する前に子供を仕込めば大丈夫)


 ベルの口角がゆるりと上がる。コンラッドのひとつ前の時代。その時は初夜権は片手で数える程度の数となっていた。


(本当に。これだけの数で一体どれだけの子供が出来たことやら)


 鼻で笑い、次の記録を漁る。


(嘘……)

 

 ベルの想像とは違った答えがそこに刻まれていた。コンラッドの時代に入り、状況は変化する。廃れていたはずの初夜権が勢いを取り戻している。その数は両手を超えていた。もちろん、トラン(ベル)の名前も刻まれている。状況の変化に、ベルは下唇をかむしかない。


(なんで。なんでコイツのときだけ数が増えているの?)


 知恵をつけたと思しき村人が知恵を放棄したのか。あるいは、“魔獣”に対する憎しみが蘇ったのか。ベルの頭の中で、ブラとスタンとの間で交わされた会話が思い返される。2人が口にした“コトウの呪い”トリトン村。スナイル国を恨んで。恨んで。滅ぼすまでこの世にとどまると残した一言。


(呪いが今の時代になって蘇ったとか? 馬鹿な。コトウの呪いはマルト時代によるもの。時間がかけ離れすぎている)


 頭を振り、何度もコンラッド時代の記録を血眼に読み漁る。羅列された名前と金額。無味乾燥な記録はベルに訴えかけるものはほとんど無い。


(わからない。わからないわからない。どうして。どうして初夜権が――。初夜権が今になって……)


 ベルの指の動きが止まる。一度、思考がピタリと音を立てた。米神から伝わる汗は、彼女の細い顎を伝い、赤い絨毯へ吸い込まれていく。

 不愉快な笑い声が聞こえる。馬は値踏みするかのように彼女の背中を見つめ、絵画の女は、したり顔でベルの表情を見下ろす。


「考えても無駄よ。貴女は私と同じなんだから」


 聞こえない声が聞こえる。ベルの表情が青白く変化した。


(落ち着け私。違う。声なんて聞こえない。この場所には私しかいない。私しかいないのよ)


 ベルの変化を楽しむように、彼女は耳元で囁く。絵画という存在が額縁からニュルリと身体を滑らせ、細い首にトグロを巻くようにして手を回す。


「私の初夜は、消えた。みーんな消えた。私の初夜は一番最初に消えた。散ってしまった。でもね、仕方ないの。魔獣に殺された人たちがイグラシドルの下から戻ってくるのなら、それでいいって思ったの。けどね。けどね。殺された人たちは戻ってこない。やってきたのは、つぶれた顔をしたバケモノだったの」

(聞くな。聞くな。誰もいない。誰もいない。誰もいないんだから。考えろ。何故、初夜権は蘇ってきたのかを)

「貴女もそうじゃない。領主に身体を売り、夫以外の男を知る。本当は、夫だけのものになって、夫だけに愛されて、夫に独占されたい。夫を独占したい。それだけの願いを、初夜権は踏みにじった。魔獣のせいで。コトウのせいで。全てが無くなった。村が壊れた。村はおかしくなった。いつだってそうよ。何かが壊れれば、誰かが尻拭いをしなくちゃいけない。どうして私達なの? 私達が身体を売らないといけないの? おかしいよ。おかしいじゃない。おかしいけれど、声を出せないならば、恨むしかないじゃない。貴女だって声を出して抗議したいでしょ。おかしいって言いたいでしょ。でも、言わせてくれない。若い女だから、そんな事をいうもんじゃないって言って言わせない。ならば、恨みなさいよ。私みたいに恨めば楽になるわ」


 ベルは下唇を軽くかむ。迷走する思考。考えども考えども、すわり心地の良い思考は姿を見せない。見えない答えがもどかしい。彼女の中では筋道の流れが少しずつ明るみになっている。輪郭をなぞるように思考を辿れば、その手をはたくように雑念が入り乱れる。手が届きそうで届かない歯がゆさ。皮膚の下で蠢く掻痒。皮膚を抉り出したくなる発作を押さえ込み、彼女は考えあぐねいていた。


「トラン、貴女は私を苛める。って言ったわね。でも、本当に苛めたいのはこの村じゃないの? 身体を売り、苦しめられた貴女。その衝動から、知りたかったんでしょ? どうして初夜権が生まれたのかって。生まれた理由をしって何が分かった? 結局、この村はどうしようもない歪んだ村ってことしか分からないでしょ。もう、諦めなさい。認めなさい。この村は歪んでいる。貴女は体を捧げて汚されているの。誰もが夢を見る、光ある女の幸せというのは絶対に手が届かない。望めない。望んではいけない。暗闇の袋小路に閉じ込められているのならば、嘆きなさい。恨みなさい。あなたは嘆いて恨む資格があるわ」


 ベルの首元に回る手に力が込められる。外部と内部 双方から付け入る隙がないぐらいに雑音がたたきつけられる。まとまらない思考。たきつけられる感情。行き場の無い憤り。波打っていた温度は、瞬く間に上昇し、脳天を突き破る。感情の瀑布は彼女の身体を支配する。ブーツに差し込んでいた光源を引っこ抜く。踵で仕掛け扉を蹴りあげる。バタンと激しい激しい音と冷たい風が彼女の頬を横切る。ふわりと浮き立つ金色の髪。風の流れで揺れ、衝動がかき乱す。手にした枝は、容赦なく、真っ直ぐ絵の鍵穴(眼球)に打ち付けられた。


「黙れ、幻想」


 怒気を纏いし、鮮やかな茶色の瞳。


「私は、アンタとは違う」


 頬にかかる髪を払い、絵画を睨みつけた。


「残念ね。アンタが食い物にされたのは、馬鹿だからよ。男に身体を売ろうが何だろうが、私は知らない。初夜権で散った女に同情の言葉を投げかけても、同情はしない。わぁわぁ泣き叫んでいる女の惨めな姿を見る方が好き。だって、馬鹿はブスっていう理論の証拠になってくれるんだもん。馬鹿なブスというどうしようもない底辺を見て笑って何が悪い」


 床に唾を吐き、もう一度、鍵穴に枝を叩きつける。


「本当に憎んでいるなら何故、アンタは絵になった。絵になってしまえば、アンタはどうなるかわかる?」


 ベルの白い歯がチラリと見えた。


「あんた、現実の人間から幻想のイキモノになってしまったのよ」


 彼女にまとわり着いていた女の影が霧散する。

 消えた影は絵に吸い込まれ、睨み絵は、初めて違う表情を見せた。


「今頃気づいたの? だからアンタは馬鹿で食い物にされたのよ」


 ベルは言う。絵とは幻想の産物。ありえないものをあたかもあるかのように描くのが絵画だと。絵画とは全て幻想。女が睨み絵のモデルとなった理由は不明だ。だが、マルトのことだ。最初に春が散った女は、睨み絵として最適だと。思い彼女にモデルを依頼したのだろう。

 初めての春を散らせた女は、どこの誰よりも恨みが深い。彼女の恨みを絵画に載せることで、深い怒気が部屋から人を払わせる。

 一番最初に春が散った女は、どこの誰よりも嘲笑する。彼女の嘲笑を海外に乗せることで、不快が、部屋から人を払わせる。

 後世に伝えたい貴方の存在。という形の無いものにホイホイと乗せられた女は、肉体が死んでも、感情は絵に打ち付けられた。現実の存在が、幻想のイキモノに転じてしまう。真の意味で死ねるのは、絵画を焼き払わない限り無理な話であろう。


「言ったでしょ。だから、アンタは馬鹿なのよ」


 女の目から一筋の雫が滴り落ちる。涙とは、感情の高まりの証左。カラクリを知った女は、ベルに自分を焼き払うように懇願する。彼女の目は三日月に歪む。


「だーかーら。私、あんたをイジメるって言ったじゃない」


 とびっきりの笑顔を向け、クルリと背を向ける。絶叫はすでに耳に入らない。


「ごめんなさいね。私、()()()()()。身体を売ろうが何しようが全く何も思わないのよね」


 独り言を最後に、部屋から音は無くなった。荒れ狂う風もピタリと止まる。突き刺すような敵愾心も感じられない。この部屋に敵はいなくなったのだ。

 ベルは優雅に髪を払う。ブーツに足を通す。ショートブーツに手に入れた剣を収納した。さぁ、この部屋から退散しようとした時だった。


「こんな夜分に。何かお探しですか?」


低い男の声。ベルの足は止まった。

ドアにもたれかかるように立つ男。手に持つ松明は太く、離れた彼女の耳元までバチバチと激しい音が聞こえる。火の揺らめきにならい、彼の光と影も揺らめく。睨み絵とは違い、彼の表情は均一だ。


「失礼ですが、人に声をかけられたら不審者以外、言葉を返すよう貴方は躾けられませんでしたか?」

「ごめんなさい。夜遅くに声を掛ける男は不審者だって教えられたので」


ベルは薄笑いを浮かべる。背中にスゥと冷たいものが走る。今までとは異なる威圧感。再び、肩に重石を乗せられた苦しさを彼女は感じるのであった。


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