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聖剣物語  作者: はち
初夜編
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初夜編 深い眠りから覚めたなら37

おまへは、はへは(お前は誰だ)


 頭上から低い男の声が響く。女は、自分の奇妙な過去を振り返り、乾いた笑いを零した。ロバであったはずなのに、今では、ロバではない別な生き物として生きている。そのような生き方はありえないことなど、当の昔に、彼女は気づいていた。


(あぁ。本当だ。わたしは何なんだ)


 自分が何者か。彼女自身理解できていない。「ロバ」でも「人間」でもない。このような生き物を果たして何と言うだろう。自分の存在分類も知らず、ただ、“在る”だけのイキモノ。彼女が生きるカテゴリーなどもはや存在しない。世界からノケモノにされた事実に、ホロホロと涙が零れる。彼女の上に立つ男に、涙など見せまいと、アヌイは下を向く。ポトリ ポトリと黒いシミを作り、よだれと鼻水の橋が架かる。


(私は、ロバのアヌイだったもの。私は、この村に来てあの子を苛め抜く人々を見た。そんな人間が許せなかった。そんな人間が、ケラケラと笑いながら何事も無く生きていくことが許せなかった)


 だから、彼女は村人を殺した。苛めた人間も、苛め抜いた現場を逃げるようにしてみていた人間も。そして、彼らの破片がイグラシドルの下へ行かぬよう、肉体は一部を除き、胃袋の中へ納めた。だが、殺せば殺すほど、アヌイの中では不安が踏まれる。なぜならば、殺された人間はカタルカを除いて必ずこう言ったのだ。


「聖女リーゼロッテ様。おやめください」


 アヌイは悲しかった。自分は、リーゼロッテではない。ロバのアヌイだ。


「私はアヌイだ! リーゼロッテはお前達が殺した。お前達が殺した」


 アヌイがこのように叫んでも、彼らは怪訝そうな顔をするだけだ。それでも彼らは、「聖女様」と呟く。

 アヌイは思った。


(これでは、まるでリーゼロッテが村人を殺しているみたいじゃないか)


 アヌイは苛立つ心を隠さず、村人を殺す。

 村人を殺せば、殺す度、「アヌイ」は否定され、「リーゼロッテ」が訂正される。村人を殺しているはずなのに、知らず知らずのうちに、アヌイも一緒に殺されていた。

 気づけば、アヌイは村人の期待に応え、リーゼロッテになった。死に行く村人に、聖剣書の言葉を投げかけ、人の道を説く。リーゼロッテの声で、リーゼロッテの仕草でアヌイは村人を殺す。なぜならば、彼らはこうあるべき。と望んでいるのだからだ。


(ごめんなさい)


 アヌイは村人を殺す度、リーゼロッテに謝罪する。自分がリーゼロッテを汚している事。いつまでたっても、静かに眠らせられない事を非常に悔いた。


(リーゼロッテすら眠らせられない。そんな私はだれなの? 私はだぁれ)


 アヌイは自分に質問する。


(わたしはアヌイ。聖女リーゼロッテの愛するロバ)

(おかしなモノ。あなたは二本足で立っているから、ロバではないわ)


 見知らぬ自分が答えた。


(私はだぁれ?)


 アヌイは自分に質問する。


(私はアヌイ。聖女リーゼロッテの愛するロバ)

(おかしなモノ。あなたは聖女の言葉を借りたドロボウよ。そんなイキモノを聖女が愛するわけないわ)


 リーゼロッテの顔をした自分が答えた。

 アヌイは心がきゅうきゅうと心細くなり、縋るように質問した。


(私はだぁれ?)


 アヌイは自分に質問する。顔のないドロッとした塊がアヌイに答えを教える。そして、示された答えに、彼女は納得した。やはりそうなのかと。


 

ほはへほ(答えろ。)ほはへは、はへはんは(お前は、誰なんだ)


 男はアヌイの背中を踵で蹴ると、背から降り、顔の前に立つ。長い足を折り、男らしい太い手でアヌイの髪の毛を掴む。引き上げられた顔は土と砂と涙、鼻水でぐちゃぐちゃに汚れている。汚ない顔に、男は眉ひとつ動かさない。女も、そうだ。緋色の目玉だけを動かして彼を見た。


「|ほはへるひははるんはろ《こたえる気があるんだろう》」


 男の問いにアヌイは不適に笑って見せた。


「あぁ。答えてやる。お前に答えをくれてやる」


 アヌイの表情が気に食わなかったのだろう。オリヴァは親指に力を込め、彼女の頭を握りつぶそうと圧をかける。一方、アヌイとて負けてはいない。彼女もオリヴァの手を破壊せん勢いで彼の手を片手で掴んだ。


(そうなんだ。やはり。私はそうなんだ)


 アヌイとは何か。決定的な答えは、あの雨の日に遡る。あの日、彼女が彼らを追いかけた理由は“娯楽”だ。

 彼女は、今まで村人しか殺していない。彼女にとって村人だけが、殺して良い相手だったからだ。彼女が村人を殺せば殺すほど、彼らは自警に走る。人間が慌てふためく姿を見てケラケラと笑う。村の外に村人の姿がなければ、ションボリと肩を落とす。外出する場合も、村人は必ず複数人で行動する。どれだけ力のあるアヌイでも、一人で複数人を相手にすることは出来ない。それならば、と知恵をめぐらせる。村人は殺すべき存在。そのための手段を考える。その時期は、彼女が“生きている”と実感できるほど充実した日々であった。

 だが、彼女が村人を仕留められない日が続けば食料が減っていく。笑う事も出来なくなり、考えることも出来なくなった。溜まった鬱憤を晴らすべく、とうとう、彼女は初めて“禁”を犯す。

 村人以外を殺すことを決めたのだ。その相手が、オリヴァとベルだ。

 そうやって、殺そうとした人間から彼女は殺されようとしている。


(あぁ。これだ。コウでなければ私は生きている実感を得られない! 私は、こうしなければ、生きることを覚えられなくなったのだ!)


「聞けよ人間。その耳をかっぽじって、よーーーく聞け」


 アヌイは空いている手で砂を掴みオリヴァの顔に振りかけた。突如として襲うチリチリとした痛みに、彼の力が弱まる。そのスキを見逃さず、膝を擦り上げ、ガラアキの鳩尾に膝を叩き入れた。膝を通じ、音が聞こえる。オリヴァの身体が「く」の字に曲がる。

 彼女は、膝立ちになり、力の抜けた男の腕を今度は両手で掴み、彼を背負う。


「私は、バケモノ(魔獣)だあああああああああ」


 絶叫とともに、彼を前方へ投げ倒した。

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