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聖剣物語  作者: はち
初夜編
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初夜編 御伽噺のゆりかご02

 天から雨垂れが降り注ぐ。雨粒は一転の迷いも無く、オリヴァの身体めがけて落ちてきた。ゆったりとした作りの薄緑色のシャツは濃い緑色のウェットスーツに変わっていた。ムンムンと大地から吹き上げる湿気に、身体の穴という穴から汗がどっとこみ上がる。一つ、雫が落ちた。彼の鋭角な顎のラインを伝い、落ちたのは汗なのか、雨なのかわからない。


「気持ち悪い」


 彼が一歩足を踏み出すと、地面はグチャッと滑る音を立てる。もう一歩足を踏み出せば、今度はぬかるんだ土が彼の足を掬おうとする。

 三歩目。オリヴァの足は茶色い水溜りへ突っ込んだ。ベチャリとまとわり付く音の後、つま先からじんわりと水分が浸食する感触が伝わってきた。


「くそったれ」


 彼は憎々しげに呟いた。彼の腕の中、高熱でうなされているベルは窮屈そうに身体を動かす。身じろぎするような動きをする度に、彼は足を止める。彼女の身体は華奢だ。タイミングとバランスを崩せば、彼女を落としかねない。オリヴァの腕に伝わる重さと熱さ。重さと熱さは「人の命だ」と言い聞かせるも、体力と気力の限界は見えてきた。


 ベルが倒れて、どれぐらい歩いただろうか。振り返りたい思いであった。長い時間歩いたような気分だった。


 けれども、彼は振り返らない。それは、頑張った やりきった と思い、早計に結果を見たところで、突きつけられる現実は惨憺たるものだ。頑張りなど評価に値せず、己が有していた自信はあっという間に音を立て、バラバラと零れ落ちていく。これらは、過去にすべて経験している。痛手を思い出せば、振り返る気持ちはあっという間に萎えていく。


 彼の足は一歩 一歩と前へ進む。進んだ。という結果で満足しろと逸る自分に言い聞かせる。

 平たい道が続く。辺りには靄がかかり始めた。周囲を見渡せず、まさしく、五里霧中である。右も左も感覚が覚束ない。


「これで、合ってるんだよな」


 ポツリと呟いた後。背後で再び大きな音がした。世界が眩しく光り、絹を切り裂くようなヒステリックな音が響き渡る。落雷だ。

 2度目の落雷。光と音がほぼ同時だった。近場での落雷だ。その衝撃に鼓膜は細かく振動し、グワングワンとありえない音を捉える。視覚だけではなく、聴覚も麻痺していく。周囲の距離や空間を知らせる震えを一時的であるが捉える事が難しい。

 音と光の衝撃に、彼の腕の中で寝ていたベルが、うっすらと目を開ける。焦点の合わない目は、呆けたような言葉を呟くと、そのまま再び目を閉じた。


「トラン……。これで、いいんだよな」


 閉じた瞳をもう一度開けるように声をかけたが、彼女は何も言わず、腕の中で眠りに落ちた。


「ふざけるなよ。本当に」


 困惑は怒りへ変わる。

 出来る事なら、ベルをその場に放り出し、自分一人でトリトン村へ行きたい気持ちになっていた。震える腕は、長時間、女性の身体を支えていた為、ビリビリと痺れている。


 (捨ててしまえ)


 悪魔の囁きに、彼の心が揺れ動く。ベルと彼は仲は良くない。それなのに、相方とし選出された。その相方がこのざまだ。仕事に支障が出る。そう思えば、あれだけ踏ん張っていた足は膝から崩れ落ちる。ぐちゃりと衣服越しに泥が付着する感覚があった。

 放り出せば という己の声がもう一度彼の頭の中に響き渡る。心臓がひときわ高く鳴る度、オリヴァの腕は地面へ地面へと近づく。



「大体、こいつが……。」


 ベルの顔が苦悶の表情へ変わる。常識がオリヴァを止め、肉体は苦役からの解放を求める。天秤はグラグラと落ち着く無く触れ続けた。

 遠くから馬のいななきが聞こえた。その後には複数の蹄の音が聞こえる。パカラパカラと短いリズムを刻み、徐々にこちらに向かい大きくなっていく。生臭い生き物の臭いが湿気に混ざり、鼻につく。オリヴァは咄嗟に顔をあげた。全身に走る警戒の気配。好機の兆し。頭の中がグルグルと状況と可能性を詮索する。あらんばかりの可能性を絞り 絞り 絞り 最適解を求める。立ち上がり、走り出す。走る余力はオリヴァにあるのだろうか。 逆に、逃げ出す。この道は一本道だ。馬の足にオリヴァが適うわけはない。では、その場に蹲る。何もしなければ、馬に蹴られて終わり。ベルもオリヴァも打ち所が悪ければ死んでしまう。


 馬の蹄の音がどんどんと大きくなる。手には汗が滲み、拭うようにベルの身体をきつく抱きしめた。思考は体力を奪い取り、自然と、肩で息をする。靄の奥に隠れる足音に耳を傾ける。ドクドクと高鳴る心臓の音。ゴクリと生唾を飲み込み、腹に力を込める。彼は、選択肢を一つに絞り込んだ。



「止まって下さいいいいいいいいいいいい」



 靄の中から栗毛の馬が現れた。手綱がきつく引っ張られ、馬は戸惑ったように、いななきと共に、前足を天高く上げた。飛び散る泥がオリヴァとベルの顔にベチャリと音を立てて付着する。


「危ねーやろ。何しちょるんね」


 馬上から訛りの強い声がした。オリヴァは目を大きく見開いた。一か八かの賭けだった。声が届かなければ、オリヴァもベルも大怪我をしていた。声が届いても、彼らの姿が見えなければ、気の迷い。という事で見過ごされる。靄の中で、なおかつ二人の姿が分かる距離。至近距離で止まってもらうしかない。そのための手段はリスクが高すぎた。

 生きている実感に、オリヴァの指が細かく震える。眼球は馬上の人をしっかりと見つめる。腕には、トリトン村のエンブレムが刻まれた腕章をはめている。


「あっ……」


 言葉が続かなかった。腕章の男の後ろからゾロゾロと人がやってくる。目視で5人。全員男だ。先頭にいる男以外、誰も腕章をしていない。



「た、助けてください。妻が……。妻が、倒れて……」


 オリヴァは差し出すようにしてベルを男に見せた。腕章の男は鞍から飛び降りると、すぐにベルの元へ駆け寄った。そして、腰を下ろし彼女の額に触れた。

 男は「おおっ」と驚きの声をあげた。


「すげぇ熱やないね」

「はい。昨日までは元気にしてたのですが……。」

「いきなりかい?」

「はい」


 男は、立ち上がり、無精ひげの生えた顎を親指でなぞり、「うーん」と喉からうなる声を上げた。ベルとオリヴァの顔を交互に見つめる。背後は見たことのない人物にザワザワとざわつきだした。親指の爪を何度か噛むと、意を決したように、後ろを振り返った


 男は自分の愛馬の後ろで待機している仲間に声をかけた。


「やっちゃん。いっぺん村戻って荷台持ってきちょくれんね。病人がおるっちゃん。かっちゃんも村戻っちょってくれんね。先生を呼んじょってなぁ。」


「親方ぁ。こいつらの言う事信じちょるんすか?」


 火がついたように、背後が再びざわつく。オリヴァは親方の背中越しに、事の行方を見守るしかない。


「しゃーしぃ。病人がおるんばい。俺らがこいつらを見逃して死んだみぃ。寝覚めが悪りぃやろ」


 親方の一言に、水を打ったように静かになった。やっちゃんとかっちゃんと呼ばれた二人の中年の男性は互いの顔を見合わせる。不承不承といったように、「わかった」と言うと、鐙を軽く蹴り、元来た道を戻っていった。

 2頭の蹄の音が小さくなっていく。周りは腕章をつけた男の事を「親方」と呼んだ。隊列の先頭を走ってきたこと。一人だけつけている腕章。それだけではない。他の男達と違うのは、その体格だ。若い頃は筋骨隆隆だっただろうと用意に想像させるたくましい身体。人を威圧する鋭い「猛禽類」のような目つき。スナイル国トップであるあの騎士団長を彷彿とさせる。「親方」と彼が呼ばれる外見的要因は十分ある。では、信頼はどうか。やっさんとかっちゃんが不承不承と言ったところだ。考察の余地がある。




「あんただん、どげんしてこんなとこにおっちょるんや」




 親方は再び腰を下ろし、オリヴァに声をかけた。オリヴァは一拍の間をおき、あえて、表情を暗く崩して見せた。




「逃げて来たんです」


「どこからね?」




 オリヴァは周りを見渡すような仕草をする。小動物のように怯える姿に、男は訝しげな表情を浮かべた。数秒の沈黙の後小声で呟いた。




「言えません。僕たち、駆け落ちをしたので……」




 男は、驚いた表情でオリヴァを見つめた。その視線をオリヴァは心地よく感じる。心の中がまたウズウズとし始める。自分が蒔いたエサに親方が興味を持っている。早く。喰らい付け。と心の中で念じていた。


 雨がざあざあと再び強く降り始めた。靄の中から再び蹄の音がする。やっちゃん もしくは かっちゃんが戻って来た。ガラガラと木の車が引きずられる音もしている。木の荷車を引いた馬がオリヴァ達の前に止まった。思わず、オリヴァは心の中で舌打ちをした。馬の上から飛び降りると、手綱を近くのものへ託し、親方の近くへ駆け寄った。




「親方。戻ってきたばい」


「やっちゃん。どげんね。先生はなんち?」


「村の入り口でまっちょるって」




 やっちゃんと呼ばれるひょろっと細い中年の男は浅黒い腕をグルングルンと回し、オリヴァに荷台に乗れとジェスチャーする。オリヴァは慌てる様子でドンドンと荷台に乗ると、やっちゃんと親方の会話に耳を傾けた。


 やっちゃんと親方は何かを話し、数度首を縦に振っている。何度か、見張るように、オリヴァ達を見るも、すぐに視線を外し、言葉を交わす。小声であることと、鉛の強さから何を言っているのか検討が付かない。ただ、話は落ち着いたようで、やっちゃんは荷車に戻り、手綱を取り戻していた。馬に乗り、鐙を蹴ると、「行くばい」とオリヴァの顔を見ずに声をかけた。馬は高く啼くと、蹄の音を立て、走り出した。オリヴァは首を伸ばし、親方を見つめる。親方は何も言わず、オリヴァを見つめると、そのまま背を向けた。親方たちの姿は靄の中へ消えていった。



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