マダラカルト
彼女は夢を見ていた。
彼女は十歳と思しき外見で、腰まで伸びる水色の髪を揺らし草原の散歩道を歩いていた。
野獣の出現など恐れる必要のない場所で、彼女の手に縋るのは上品な服を来た二人の少年だ。
彼女を真ん中に、左手には怯え顔の六歳ぐらいの少年。
右手には、怜悧な顔立ちをした五歳ぐらいの少年。
二人とも黒髪だが、兄弟ではない。
彼女は三人の中で一番の年長者。二人の少年は、彼女にとって愛らしい弟のような存在だった。
「フィオ姉ちゃん、どこにいくの? ねぇ、どこにいくの?」
怯え声の少年は恐々とした様子で彼女に問いかける。彼女は小心者の彼を労わる様「怖くないよ」と声をかけた。
見上げれば透き通る青空がある。太陽は高く、頬をかすめる風は心地よく冷やされ、清潔さを感じる。
彼女は後ろを振り返る。連なる山々の稜線。山頂はすっぽりと白く氷を被っていた。
「見て、キィ君。お山が真っ白よ」
少女は腰を落とし、顎で山を示した。
「綺麗ね」
「でも、怖いよ」
キィ君と呼ばれたキルク少年はフィオの前に立ち、今にも泣き出しそうな顔で言った。
「白は怖いよ。白は消えるから怖いよ」
キルクはそういうと、彼女に抱き着いた。桃色のワンピースの肩口が少年の涙で濡れる。
「キルク様、怯えていますともっと怖いことがおきますよ」
「ひっ」
少年は顔を上げ、怜悧な少年を見る。
「ダメよ。オリィちゃん。そんな事を言ったら。私まで怖くなっちゃう」
「で、でもね、フィー姉ちゃん。言葉にはマナがあって。マナを含んだ言葉は剣と同じなり。って言われているんだ。だから、気持ちを込めた言葉は、良いことも悪いこともぜーんぶ引き寄せちゃうんだよ」
「すごい。オリィちゃん、良く知ってるね」
オリィことオリヴァは少々照れくさそうにしながらも「先日教えてもらいました」とモジモジと体をくねらせ、上目遣いにフィオを見る。
キルク・フィオ・オリヴァ。
三人は肩を寄せあい、山々を見つめる。
「ずっとこんな時間が続けばよいのにね」
と、彼女が口にすると、晴れ渡っていた空が薄黒く変化していった。
彼女にしがみついていたキルクとオリヴァは彼女の体から離れ、山の方へ引き寄せられていく。いや、彼らは引きずられていた。抵抗する様子すらない。
二人は、目に見えない何かに手繰り寄せられ、追随した。フィオとの距離が広がると、少年の体は青年の体に変化していった。
成長にともない、顔付きも変化する。
キルクは神経質そうな顔が陰鬱に。
オリヴァの怜悧な顔はより一層冷たく。
彼らの顔には共通して諦めが見えていた。
「待って」
フィオは立ち上がり、彼等を追いかける。走り出すと、身軽な体の線に沿い肉が付き、肉が重石となって動きを鈍らせていく。それでも彼女は彼等を追いかけた。
「キィ君、オリィちゃん」
二人は彼女が視認できる限界点に存在した。見える限り助けられる。自分に気付いてくれる。と、自分に言い聞かせ、必死になって二人の名前を呼んだ。だが、彼らは振り向かない。それでも彼女は、可愛い弟を救うべくに手を差し伸べ、重い脚を必死に動かし続けた。そんな彼女の必死な動きとはよそに、弟達の影から一つずつ楕円形の影が現れた。
赤と黄色の影。
影の意味を察すると、彼女は絶叫した。
「やめてっ‼ 二人から離れてっ‼ 近づかないで。二人を……。二人を連れて行かないで‼」
フィオは手を伸ばして 伸ばして 伸ばし、自分の周りにちらつく赤色と黄色の鱗粉を払いのける。無様な動きを晒す彼女を誰かがせせら笑う。細い肩を、背後から大きく強い手が掴むと「ハハッ」と嘲笑が続いた。。
彼女は動かし続けていた足を止め、ぎこちなく後ろを見る。
そこにいたのは人ではない。眼前を覆うのは巨大な存在。形容するとすれば、果ての知れぬ分厚い壁のような光だ。屈強な白く太い光にギョロギョロとした無数の目が存在し、目の一つ一つが彼女を見ている。
「な、何?」
問う彼女に、光の目から白い長い腕が二本現れ、ヌルリと彼女の心臓を貫いた。
人間の枢要部である心臓を貫かれたというのに、彼女は、痛みは感じなかった。頭からバリボリと存在の中に放り込まれても同じだった。ただ、不思議と人肌の温かさを感じるのであった。
そこで夢は終わった。
フィオレンティーナは飛び起きた。
部屋は暗い。馬蹄型の窓にはキラキラと純粋な星が輝いている。星の光が、彼女は生きていること。そして、寝室にいることを教えてくれた。
上体を起こしたまま、ベットの上で彼女は大きく息を吐く。
自分は生きていると安心した後、強烈な寒さが襲ってきた。乾季の夜。底冷えのする寒さ。彼女の体はブルリと震えた。分厚い生地の寝巻の袖を握りしめる。
彼女の生まれ育った場所は、王都よりも気温が低い。夜の寒さは、今以上――短剣で全身を刺すような――寒さである。
そのような環境で育ってきたこともあり、寒さには強いと思っていたが、年を経るごとに、自信が窄まっていく。
そして、先ほど見た夢のせいだろうか、彼女はキルクとオリヴァはこの寒さに慣れたか心配になった。
キルクとオリヴァ。二人は、彼女の幼馴染である。厳密に言うと、キルクの母親が、年の近いオリヴァを「付き人」として。フィオを「女中」として宛がった。期間にして約五年。
フィオが人生の中で一番楽しかった時期でもある。
「今でも変わらないのかな? 寒がりだったもんね」
少年時代、彼女よりも多くの服を着こんでいた二人を思い出し一人でクスクスと笑う。
そこで、先日、廊下を歩いていた二人を思い出す。
表情を変えず、愁いを帯びた顔のキルク。そして、顔から下を仮面で隠し、胸を張ってキルクの後ろを歩くオリヴァ。
彼等はフィオを視界に捉えていたが、認識を避けていたようだ。致し方ない。
彼女は、イヴハップ王の第一子息 ハシム・ペイトンの妻となっていた。
かつてのような関係はもう望めないのだ。
郷愁が現実を強烈に引き寄せる。そのふり幅の激しさに彼女の心は軋みを上げた。
フィオはベットの上に体を折って震えた。
「もう一度……。もう一度、名前を呼んで。フィー姉ちゃんって呼んで」
彼女の声に、クゥと腹が鳴った。
「おなか、減っちゃった……」




