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聖剣物語  作者: はち
鏖殺編
136/137

笑宴

 住人の居住、在住が確認できない領地は国が取り上げ棄地(きち)とする。

 これは、スナイル国の律令である。

 建国以来、死令とされていた律令が息を吹き返した。律令の専門家すら研究しなかった律令をキルク王の筆頭侍従補佐 オリヴァ・グッツェーはこの律令対応を引き受けた。

 彼は、懸念の領地であるトリトン村に足しげく通い、生存者の確認、新規居住者の確認等を一つの季をかけて行った。

 結論を述べれば、トリトン村は棄地・棄村となった。

 村にに居住を構えた生存者はおらず、魔獣襲来以降トリトン村に住み着いたものはいない。唯一の住人である王都留学中の()領主 コンラッドの子息とその母親(コンラッドの妻)の両名はトリトン村への帰還を望まなかった。これにより、トリトン村の住人は存在しなくなったのである。

 オリヴァはこの棄地(きち)棄村(きそん)作業を二本の星の剣に記した。

 一本は王への献上品。

 もう一本は図剣館への蔵剣。

 以上をもってトリトン村の長い歴史に終止符が打たれるのであった。

 トリトン村に突如襲来した魔獣によって村は壊滅。王都から派遣された調査団によって、トリトン村の住人は確認できず、トリトン村の歴史に終止符が打たれた。


 窓辺に立つ王妃は、熱を帯びる窓ガラスに触れた。彼女の目は遠くを見つめるように焦点をぼかす。その姿は、まるで話にできたトリトン村に思いを馳せているようにも見える。


「フィオレンティーナ様」


 まっすぐ透き通るに声に、彼女の細い方がブルリと震える。ガラス越しに見える片膝をつく青年 ニクラス・シュリーマンに視線を移すも、まるで見てはいけないものを見てしまったかの如くすぐにそらしてしまった。

 彼女は軽く下唇の内側を噛み、髪と同じ空色の瞳を伏せた。


「何故、私にそのようなことを」


 消え入りそうな声に、ニクラスは顔を上げ、ニコリと作り上げた笑顔をフィオに向ける。ガラス越し、間接的に目があっただけなのだが、彼女の体にうすら寒い感情が駆け抜けた。フィオは自分の腕をかばうようにさする。季節は雨季。暑さが厳しさを増すこの季節にしては、彼女の挙動はおかしかった。


「ハシム様が是非とも、フィオレンティーナ様にグッツェー氏の功績を伝えてほしいと」


 自分の主の妻 この国の女王が相手だからか、彼の口調はとても丁寧であった。物腰穏やかで他人をいたわるような甘い響き。情熱的で色っぽい赤褐色の瞳。彼の素性を知らぬ若い娘ならば彼の姿だけで虜になっていたことだろう。

 だが、彼女は彼のその姿、一挙手一投足が恐ろしく、自分を見つめる視線、声色は猛毒を孕んでいるように見えた。何故ならば、彼の人の好さそうな表情、感情に優しさ、労りなどを微塵も感じないからだ。人の好さそうな表情と口調のみで相手を屈服させようとする意思を十二分に感じ取ることができる。

 そうでなければ、あえてオリヴァの名前やハシムの名前を出す必要はない。彼は、彼女の感情を揺さぶり、零れ落ちた実を弄びたいのだ。

 彼女の心が、彼を見るな、彼と話すなと激しく警鐘を鳴らしている。だが、彼の威圧と彼の背後に立つハシムの存在が小さな警鐘を押しつぶすのであった。


「私に、ですか」

「はい。貴女様に、です。貴女様ならば、我がごとのように悲しみに憂いてくれるはずだと」

「そう、ハシム様が?」

「えぇ」


 彼女は違うと声高に叫びたかった。ハシムは彼女にそのような役を求めていない。彼彼女に求めていることは、彼女が自分の妻である、という事実なのだ。

 村一つが無くなり、多くの村人が死んだ。それを悲しみ多くの国民に知らしめろというのであれば、彼女にはトリトン村以前に多くの機会があったはずだ。それこそ、イヴハップ前王の葬儀に参列させることが最たるものである。


「……。私がそのようなことをしても意味などないでしょうに」


 伏せられた空色の瞳は物悲し気にニクラスの体の線を見た。


「意味?」

「……。はい。意味でございます」


 フィオはそう言うと、再び窓の外の景色を見つめた。

 彼女は彼が一刻も早くこの部屋から退出することを望んだ。夫の腹心とはいえ、彼女は人妻だ。人妻の部屋に独身男性が訪室しているという事実だけで王宮では数多の捜索話が風潮される。悪意に満ちた話など耳朶にも触れたくなかった。

 彼女は退出を促すよう、ガラス越しにニクラスを見た。彼女の視線に気づいたのか、彼の顔がゆっくりと上がる。

 赤褐色の大きく鋭い瞳。軍人らしく武力で全てをねじ伏せた経験とプライドが塗りたくられている。

 軍人でありながら筆頭侍従に選ばれる、など異例の登用だ。文官の頂に近い職位を得たのにもかかわらず、彼はそれ以上のモノを望んでいる。

 ソレを得るために、彼はおかざりである彼女に近づこうとしている。

 誰も意識しない彼女に、あえて声をかけ、こうして接点を持ち始める。

 ギラグラと粘りつく野心に繊細な彼女はサッと視線をそらした。自身の怯えを隠すよう、白く細い人差し指を唇に当てた。

 

「意味とはまた曖昧なことを。フィオレンティーナ様。貴女には貴女にしか出来ないことがあるでしょうに」


 ニクラスは片膝をついたまま身振り 手振りで伝える。


「ハシム様はこの国の王。王は国に関する全ての責を背負いし者。一つ一つの事象に一喜一憂することは許されず、国の器としてあらなければなりません」

「国の……。器?」

「えぇ。もっと言えば、王の器である以上人間らしさ、感情など縁遠きところにあらなければならない。国の為に強く猛き、もっといえば獣の如き凶暴さと天秤のような冷静ささえ備えていれば良いのです」

「……」

「フィオレンティーナ様。貴女は王妃です。人間です。人間は人を失えば悲しいでしょう。家を奪われれば悔しいでしょう。貴女はハシム様に出来ない感情を(おもて)に表し皆に伝えることが貴女様の指名だと思います」


 ニクラスの弁に彼女は何も言い返せなかった。国とは、王とは、王妃とは。ハシムに嫁ぎ、たえず考えてきた哲学問題である。ニクラスの示す王妃のあり方は理解できる。彼の考えは彼女が一度考えた道だ。だが、彼への苦手意識故か、素直に受け入れることが出来ない。彼女はゆるく噛んでいた人差し指を口から離し、両手を豊満な胸の谷間に埋める。

 空色の御簾のような長い髪の毛先が広がっていく。彼女の体は震えていた。

 ニクラスは彼女の背中を見つめ、そのまま立ち上がる。

 分厚い絨毯のおかげで、足音は響かない。音と心を削ぐ空間で彼は改めて彼女に言葉を投げた。


「フィオレンティーナ様、覚えておいてください。貴女はハシム様の妻である。何の問題もなく、あの方を支えることが出来る唯一のお人だ」


 フィオの背中が丸くなる。彼を窓越しで見ることは亡くなった。遠くの景色も、近くの風景も。彼女は目を閉じ、耳に幕を張り、全てを拒絶した。

 そのような彼女の後ろ姿を見て、ニクラスは残念そうな顔を浮かべ、絨毯を見つめる。だが、再び顔を上げた時、そこには違う顔があった。冷ややかで淡泊で冷酷な、人を威圧し、蹂躙するかのような冷笑を浮かべていた。

 ニクラスは絨毯を蹴り上げ、腰のベルトを緩めた。

 フィオレンティーナは、自分がニクラスから襲われたと気づいたのは、彼の手が背後から伸び、口元を抑えられた時であった。


「――んーー! んんっ!!」


 フィオの体が窓から離れ、部屋の中央へと引きずり出されていく。

 ニクラスの腕の中で、彼女は彼女の持ちうる力で反抗をして見せた。だが、武術など増えてな彼女はすぐに息が上がり、胸板にもたれかかり、尾翼をせわしなく開閉させるだけとなった。

 ニクラスは緩めたズボンからあるものを取り出した。

 動物の角で作られた柄に付けられた赤褐色の錆びた刃。柄と刃は時代が異なるようで、綯交ぜの造りをしていた。


「ハシム様を支えることを放棄する馬鹿な女。その位で胡坐をかき、命を終わらせるぐらいなら、その男好みな肉体でも使ってハシム様にお支えしろ」


 そういうや否や、ニクラスは手にした刃物を彼女の背中に勢いよく突き刺した。


「ーーんんんんっっ!!」


 彼女は悲鳴を上げた。けれども、その声はニクラスの分厚い手に押し殺されていく。

 不思議と痛みは感じなかった。ただ、もぞもぞと体の内側をまさぐる不穏な手の感触があった。この感触は初めての感触ではない。自分はいつこの不快感を経験したのかと考えるに連れ、視界の輪郭がぼやけていく。


――助けて――


 叫び声が上がらない。いや、彼女は誰に叫ばば良いのか分からなかった。




「ニクラス様」


 ニクラスの執務室に茶を運んできた女性が声をかけた。

 彼は机の上に広げていた地図を丸めると、彼女を見る。


「その腕、どうされましたか?」


 視線を送る彼女に習い、彼は自分の腕を見た。白い左腕 白いシャツに赤い斑点が滲むように付着している。見れば、手指にも赤い傷のような線が点在している。ニクラスは特段驚く様子もなく、また汚れも隠すこともせずに肩をすくめて言った。


「絵を描いていたんだ。その時に汚れたんだろう」

「絵、ですか」

「そう。赤い岩料をたくさん使ってね」


 武人として名を馳せた彼の意外な側面に彼女は驚いた。彼は絵を描くよりも剣の修練を行うか、彼に好意を寄せる女性と肩を並べて歩くイメージのほうがしっくりくる。とでも思ったのだろう。訝しげに彼女は彼に質問した。


「その……。どのような絵ですか?」


 ニクラスはその質問を待っていたのだろう。口元を緩め、彼女に笑顔を向けた。その笑顔は表彰された少年のように爽やかものであった。


「赤い肉を食べる女性の絵。どうして赤、かって? 何故って、君たち女性は健康のために赤いものを食べたほうが良いんだろう。だから、私の描く女性というのはそういう……。女性らしい人物なんだ。あぁ。そういう女性らしい女性が好きなんだろうね。私は」


これにて「鏖殺編」終了です。

ここまでお付き合いいただきありがとうございます。

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