悪夢が日常に変わるまで 02
「ベル」
「何?」
「……。エイドは、ヘーグの子孫に当たるんだよな」
「そうよ。彼もまた、ヘーグの名前で獣の聖剣に関する星の剣を収めている。今代は異常よ。獣の聖剣の力を利用した場合の人間の変化。魔獣の人為的な作成等々。もちろん、マルトへの狂信もね」
非人道的な内容を彼女は顔色一つ変えずに口にした。まさに「司剣」の職業柄がなせる業だろう。そしして、それを記した当代のヘーグ こと エイド。彼は「死亡」したことになっている。「死亡」と自分で報告したものの、彼の死をオリヴァは素直に受け入れていない。
魔獣がはびこる中、誰も彼の名前を口に出さなかった。けが人が多く発生しても救護所が作られることもなかった。そして、オリヴァと親方が足を踏み入れた診療所。あの診療所は、あたかも魔獣の襲撃を予想していたかのように綺麗に整理整頓がなされていた。誰が足を踏み入れても迷惑にならぬように。との配慮がこめられたような美しさである。
オリヴァの中で浮かぶ疑念を彼はようやく口にした。
「まさか、エイドは」
「彼は、ただヘーグの名前を継ぎし者なんかじゃない。彼の本質はヘーグそのものなのよ」
「じ、時代が合わない。年齢も……」
「そういう不可能を可能にするのが聖剣の力じゃないのかな? おりんりん」
不可能を可能にするのが聖剣の力。
オリヴァは覚えている。腕と腹部に刺青のように彫られた青黒い内出血の傷。それを付けたのは年端もいかない幼女だった。小さな体で金属の鎧越しにこのような痣を作るのは不可能だ。だが、彼女が聖剣の牙がかかっていたとすればありえない話ではない。
「ベル、もしもだ。もしもエイドが聖剣使いだとして――」
「おりんりん。エイドは聖剣使いじゃない。エイドは聖剣の一部を借り受けているもの。本当に聖剣使いなら、彼はトリトン村なんかにおさまらず、もっと早くに王都に進行していたはずよ。親愛なるマルトと共に」
ベルの言葉にオリヴァは黙る。獣の聖剣の力を過大ともいえる表現で表現しているヘーグ。彼女の言う通り、獣の聖剣にそのような力があるのであれば、とっくの昔に「彼の望む世界」の一端が創り出されていただろう。だが、獣の聖剣は、今日に至るまで秘匿され、人々の片隅に追いやられている。つまり、獣の聖剣の本来の力は未だに日の目を見ていない。
オリヴァは彼女に「何故、ヘーグが聖剣使いでないといえる」と反論を試みたかった。おそらく、彼女はオリヴァの答えに答えられない。一方、彼女が似たような質問をすればオリヴァも答えることが出来ない。つまり、彼が投げかけようとしている質問は質の悪い無駄話なのだ。
二人の間で共通している認識は、ヘーグは聖剣を「所持」している。そう簡単に「死ぬ」ことはない。であった。
「多分よ。多分。獣の聖剣は物語の通り割れたまま。片割れをヘーグが持っていたとして、残りは誰が持っているのか。それは物語の通り、この国」
「あぁ。この国が持っている可能性は高いな。俺は知らないが、キルク様なら何かしら知っているかもしれない」
オリヴァは筆頭侍従の立場を失ったことを悔やんだ。手になじんだあの鈍色のメダルさえあれば、彼は堂々とキルクに問うことが出来る。そして互いにどうやってこの情報を取り扱うべきか考えをすりあわせていただろう。描けていたはずの未来にかぶりを振り、彼は口を開く。
「国もエイドも聖剣を有している所有者だ。だが、支配者ではない」
「そう。おそらく獣の聖剣の支配者が決された時、その者が聖剣使いとなる」
「なるほど。それなら多少は合点がいく」
オリヴァは細い頤を縦に振った。
「以上。これで私の話は終わり。で、おりんりん。貴方も私に何を話したいことがあるんじゃないの?」
そういうと彼女は普段通りの小憎らしい笑顔をオリヴァに向けた。
獣の聖剣の話のあとの為、オリヴァはすぐに話を切り出せなかった。しかし、黙っていても同じこと、と自分に言い聞かせて口を開いた。
「……。親方が死んだ。死ぬ直前、あの人は、お前のことを案じていた」
オリヴァの報告に彼女は特段表情を変化させなかった。むしろ、彼の死を予想していたのだろう。淡泊に「そう」とだけ返すのみであった。無感動な返事に、一瞬だけこれがベルの性格か、それとも女性特有のしたたかさなのか判断しかねた。
「ついでだから聞くけどさ。小さい子供は見なかった? ブラとスタンちゃんっていう子供なんだけど」
オリヴァは仮面の下で下唇を噛む。一番聞かれたくない内容だった。
ブラは魔獣と化し
スタンは生きたまま、親方に首を刎ねられ絶命した。足がビクビクと痙攣し、瞳を閉じたまま血塗られた生首がポーンと天井に向かって放たれ、次の瞬間畳の上をコロコロと転がっている。白色と赤色のまだら模様に死に化粧されたことが不服だったのだろう。焦点が合わずぼんやりと開かれた濁った目。彼女の目はオリヴァも、生きているもの全てを捉えることはない。だが、彼女の生首は、この世に生きるもの全てを恨んでいる気配を漂わせていた。
親方が彼女の死体を耕すように斧で打ち付けた理由を考えるよりも、肉と水が混濁した肉体を思い出し、体の奥から痺れる液体がこみ上げてきた。
「そう。死んだんだね」
死んだ。とても便利な言葉だった。ブラもスタンも死んだ。人間として死んだ。いつ人間として死んだか、どのように死んだのかオリヴァは知らない。
ならば、と問う自分がいる。
ブラの肉体を持ったアレは何なのか。魔獣だが、本当に魔獣なのか。おぼろげな記憶の中、ブラがアヌイと通し自分を見据えて、仮面を投げた時の言葉を思い出す。
「この仮面、お兄ちゃんの大切なものでしょう」
破壊に突き進む魔獣でありながら、彼女は仮面の本質を見抜いた。大人の女性にあこがれる背伸びした女の子が一瞬だけ、アヌイの中にいるオリヴァを見ていた。女の子は他人の大切なものを破壊せず、こちらへ投げ返した。これらの行為は、人間くさく、また愛らしい行為である。ブラは死んだ。そう切り捨てられるほど彼は情を失っていない。
ブラは人間としてかろうじて生きながらえている。けれども、ベルには言えなかった。
「おりんりん、あの村はどうなるの?」
「……。棄村として処理される。俺もしばらくその処理で忙しい」
「そう。だから倉庫で埃ネズミのようにゴソゴソと星の剣を探していたのね。お目当てはその棄村に関するものかしら」
「お前、気づいてたのか? なら手伝え。司剣だろ。」
「あら、私を誰だと思ってるの? 図剣館の有能司剣のベルちゃんよ。私、そんなとこでの仕事を安請け合いする程甘い女じゃないのよ」
彼女はそういうと、腰に手を当て、胸を突き出して自慢げに言った。
そういうふるまいはどこにでもいる性格の悪い女だった。親方はオリヴァに言った。「お前さん如きが理解できる存在ではない」
それだけ性格が悪いのか。とも思ったが、オリヴァは違うと認識する。彼女もまた、ヘーグと同じように何かを隠している存在なのか。
ふと、ベルという人物に対する興味を覚える。彼女は、オリヴァ・グッツェーという人物をよく知っているが、彼は「ベル」という女性をそれほど把握していない。
「お前、本当に性格悪いな」
「あら、性格の悪いおりんりんから性格が悪いって言われるってことは、私の性格って良いって事なのよね! うそっ。褒められてるの? こわっ」
オリヴァは心の中で首を振った。ベルの詮索を一度心の隅に置く。何気ない会話。何気ない表情が、オリヴァの中で忘れていた日常を思い出す。穏やかな時間は自分の中は手を差し伸べればすぐそこにあると、今更ながら気づいた。
「ベル」
「何よ」
「ありがとな」
ベルの大きな目が見開かれる。驚いたような困惑したような突然の感謝の言葉の意味を上手く理解できず、「えっ」と一度問い返す。
「何のこと?」
「……。別に。今回は色々とお前に助けられたな、って。ただそれだけ」
オリヴァの目尻が僅かに下がる。彼女の横を通り過ぎる間際、彼の手がベルの頭に触れる。ワシャワシャと父親が子供の頭を荒々しく撫でるよう彼女の頭を撫でた。
ベルはオリヴァの手を振り払い、思わず振り返る。
白シャツと黒いベストに腰高のズボン。スラリと伸びた足は、トリトン村の山を駆け抜けたせいか線が太くなっている。
目の前の異変にオロオロするだけだった男が、いつの間にか広い背中に姿を変えている。肉体だけではなく人間 オリヴァ・グッツェーの成長を示しているようだった。
「おりんりん」
ベルはオリヴァを呼び止めた。
「目が少し赤いけれど泣いたの? 冷やさないとキルク様が心配するよ」
オリヴァは目を細め、彼女の声に答えるよう片手を上げた。
穏やかな時間の愛しさを伝えるよう、針と冷える風が吹いた。
回廊を歩く互いの足音に耳を傾け、二人はその場を離れていく。庭園の枯草が風の流れを音で示す。
風がやむころ、回廊には足音は無くなっていた。




