ひだまり 02
王宮の役人に休日は与えられない。もぎ取るものである。
ベルは先輩の金言にならい、とても貴重な一日の休みを手に入れた。
風景の輪郭が明瞭になるこの時期。太陽は高々と気高く輝く。太陽の威光は地上に降り注ぎ、水面には太陽の使者である黄金の肴が泳いでいた。
まさに彼女の勤労っぷりをほめたたえるかのように、その日は清々しい休日日和である。
このような清々しい日において、彼女の過ごし方は決まっていた。読書だ。仕事中気になっていた星の剣を借り、近所の川辺の長椅子に座りゆっくりと読みふける。後輩たちからはもったいない。と言われるが、これが彼女の楽しみなのである。
冷たい水気を含んだ風が毛の短い草の上を走り、ベルの頬に触れる。彼女の頬に朱色が灯った。物語はラブシーンが佳境に入ったこともあり、いつにも増して強い赤みをおびていた。
目に力が入り、物語へ没入する彼女に、川辺の芝生を走る子供の無邪気な声、天高く舞う鳥の声などは一切耳に入らない。無論、彼女に声をかけた老人の声もだ。
「お嬢さん」
老人はベルに何度目か声をかけた。だが、反応はない。彼は困ったように白く繋がった眉の尻を下げると、今度は彼女の肩に触れた。
「美しいお嬢さん」
「んひゃあああああああああああ」
間抜けな声と共に、尻がわずかに宙に浮く。思わず読みふけっていた星の剣から手を離し落としてしまった。
「すまないすまない。驚かすつもりは無かったのだよ」
ベルは背中を丸め、肩越しに声の主を睨む。
彼女の傍らに立つ好々爺は杖に体重を乗せ、穏やかに笑っていた。
「な、な、何か用ですか?」
ベルの心臓は未だに早鐘を打ち続けている。平静を見せようと落とした星の剣を拾い上げる。星の剣に指先が触れると、再び彼女の顔が赤くなった。先ほどの燃えるような恋模様を思い出したからである。
「お隣、よろしいかな? 生憎他の席が埋まっていてね」
彼女は面倒臭そうに他の席を見渡した。川の流れを見つめるように等間隔に置かれた木の長椅子。彼女が座っている長椅子以外全てに仲睦まじい男女が自分たちの世界を作り出していた。
「どうぞ」
彼女は腰を浮かし、老人が座れるように席を譲った。彼は片手を上げ「すまないね」と感謝の言葉を述べる。彼女は興味のない様子で星の剣に目を落とす。だが、彼女はしっかりと老人を見ていた。
口ひげを蓄え、目尻口元に刻まれた皺に卑猥さは感じられない。清潔感あふれる服装もあってか、上品な人物に見えた。そのような老人が、「美しいお嬢さん」となめらかに言った。彼の中にある自分の印象は悪くない。ベルはそう判断した。そして次の瞬間、彼女の頭の中では彼に気に入られ、ハイステータスな息子と恋仲になる未来を想像していた。
「この場所にはよく来られるのかね?」
「休日だけです。本当は毎日ココに通ってゆっくりと星の剣を読みたいです」
「休日を渇望しているのですなぁ」
「えぇ。勤労戦士ですから」
ベルははにかみ、スカートにべったりと付着した手汗をおしつけた。
彼は口ひげをなで、川辺の芝を裸足で駆け回る男児とその親を嬉しそうに見つめる。彼女も顔を上げ、彼と同じものをみつめた。
無言のままゆったりとした時間が二人の前を流れる。ベルは星の剣に再び目を落とす頃、彼は「そうだ」と口を開いた。彼女は顔を上げ、彼の話を聞こうとした時である。
「先日の報告を聞いた」
彼は表情一つ変えず低音の凄みのある声で語り始めた。ベルの顔から表情が消え失せ、慌てふためくよう黒目を動かして老人の顔を見る。右目下の質感の異なる皮膚。彼女は老人の正体を見抜くやいなや、口角をひきつらせた。
「驚いたのはお前が我々に自主的に報告をした。という事実だ。トリトン村への潜入報告もロクなものではなかったのにな」
「行間を読めない馬鹿に付き合う程、私は暇ではないの。言ったでしょ? 私は勤労戦士だって」
ベルも彼と同じよう唇をほとんど動かさず、互いにしか聞こえない声量で返した。
「で? こんなところに来て良いの? 外は第三者の目に触れるから嫌いじゃないの? 貴方、仕事以外で人の目に触れるのを嫌がるじゃない」
彼女は問いかけながら川辺にいる人物の顔を脳内に刻み込む。河原で戯れる親子。長椅子で語り合う恋人 夫婦。川べりを駆け巡る青年たち。ベルと上司にしか話の内容は聞き取れない。理解できない。としても、話の断片を聞き、邪推、勘ぐり、憶測で巷に話が飛び火してしまう可能性がある。己の報告の秘匿性の高さを鑑み、彼女の気が鋭くなる。
そして、この男は彼女の動きにとても満足しているようだ。
「安心しろ。お前の同僚だろ」
上司の言葉にベルは何も言えなかった。今一度、手にしている星の剣に視線が移る。星の剣を見ているのは彼女だけではない。周囲にいる同僚達も同じである。物語が刻まれた星の剣。と言えども刃物である。使い方を間違えれば生命身体に危害が加えかねられない。穏やかな一般人を装いつつも、彼女が手にしている物に向ける視線は険しいものであった。
「話を元に戻そう。あの報告のことだ」
「あなたが私の前に現れた。ということは私の報告は評価されたと思って良いのよね」
「残念だが、お前の報告は荒唐無稽。信じることは出来ぬ。というのが大半の答えだ」
彼女は目だけで同僚達を追う。凡人め。と罵倒したい思い。と、致し方ない。という諦観が拮抗していた。彼女も”体制”に報告を提出するに辺り、内容が不明瞭不正確、論理の飛躍が甚だしいと認識していた。トリトン村の因習。コトウとトルダートの物語。マルトとヘーグの存在。事後処理の際感じた矛盾。そして、導き出された暫定的な聖剣使いの名前。
報告に目を通したものの感想が「荒唐無稽」「信じることが出来ぬ」と感想を抱くのは仕方ない。結論と過程の不一致。だが、彼女の直感は自分の答えに誤りはないと強く訴えている。行間を読み、想像すれば彼女の導いた答えを理解できるはず。と強く訴えたかった。
「俺はお前の報告は採用するに価値があると思う」
他の者が否定しても、彼は信じるかもしれない。と彼女は思った。
彼は国の為なら、必要な事であれば与太話でも耳を傾ける人物だ。例え、他の構成員が「否」を唱えても、”体制”の頂点に立つ彼が認めれば、流れは異なる。表舞台に登場することのない彼がこうして彼女の前に姿を現した。言葉と存在。この二つで”体制”が彼女の報告をどう取り扱うかは理解できた。
「トリトン村と獣の聖剣。我々も歴代の王も知っている話だ」
「へぇ……」
「我々は、我々の存在意義の一つとして、欠けた聖剣の存在の証明を掲げている。トリトン村に何らかの証拠はあるかと睨んでいたが、なかなか村の暗部にまで忍び寄ることはできなかった」
「トリトン村へ私を派遣した本当の理由はそこにあるのね」
「当たり前だ。イヴハップ前王が逝去し、新国王就任時のみに許される温情請願に、トリトン村自警団の団長自らが現れ、初夜権について訴えてきたのは幸いだった」
ベルの脳裏に、尊厳を守った娘を語る親方の顔が横切った。
「初夜権という些事について王都は目くじらを立てるつもりはない。だが、初夜権の有無は村を暴きたてる理由にはなる。おかげで助かった。魔獣の存在を確かめることが出来、初夜権についても証拠を抑えることができた」
魔獣の存在はオリヴァの負傷の功績が大きい。魔獣の心臓を喰らい、顔面に白い肉を纏いし男が未だに国の中枢付近に居座ることが出来るのは、功績と彼の助言があってのことだ。
「獣の聖剣の御伽噺は眉唾物として処理する予定でした。ですが、図剣館で気になる事があり――」
上司は白い付け髭を撫であげる。椅子に座っていた一組のカップルは立ち上がりどこかへ消えていった。
「外野が騒がしいのは問題だな」
彼女は口を閉ざす。偶然か、トリトン村に魔獣発見の報せは彼等の耳に既に入っている。
何故、このタイミングで。とベルは思った。欠けた聖剣の持ち主は何を考えているのか。欠けた聖剣の片割れは王都が所有している。上司は明言していないが、これは揺るがない事実であると彼女は認識している。
失くした聖剣を見つけ、国は何をするのか。彼女は興味はない。彼女の興味は、欠けた聖剣で作り出した魔獣の先に、何を求めるか、である。
「王都から派遣する魔獣討伐。噂によれば貴方が直接選んだそうで」
「……。得体のしれないバケモノに優秀な駒を潰すわけにはいかんだろう」
上司は人を小ばかにした笑顔を彼女に向けた。彼女が瞬きをした後、彼の顔は猛禽類を思わせる視線から穏やかな人の顔になっていた。言いたいことを言い終えた。好々爺は杖に体重をかけ、ゆっくりとした動きで立ち上がる。「ありがとう」そうむけた言葉は優しい声色をしていた。
「良い一日を」
ベルは符号で答える。好々爺は進まない足を庇うように杖を出し歩いていく。彼女はその後ろ姿を見つめたあと、周囲の人間を見る。彼等は何もなかったかの世に一般人を演じ、ちらほらと退場していく。場の保全が完了した合図であった。
ベルは知らぬうちに顔を変えた同僚たちに深いため息を落とす。
体制の頂点である上司ですら好々爺にばけるのだから、自分は何に化けさせられるのか、と考えただけで白い肌が泡立っていく。
上司、こと騎士団の団長。スナイル国の安寧と平穏の剣となり盾となる存在。高らかに掲げられた剣と盾の下に伸びる汚点のような影。国の安寧と平穏を大義名分とし、諜報活動、破壊活動、浸透戦術、謀術、暗殺。非合法活動を一手に担う”体制”と呼ばれる存在。国のために個を犠牲にする存在。
図剣館の司剣 ベルは体制の一員であり、位は低いものの大いなる任務を果たした人物である。




