ひだまり
男は斧を引きずり希望を求めていた。
死屍累々 変わり果てた村の中を一人歩いている。共に行動していた自警団員の最後の一人がついぞ人間から魔獣へと姿を変えた。絶望に打ちひしがれる仲間の首を容赦無く斧で刎ねた。胴体から離れた首は突然のことに何が何やらわからない表情であるが、自分の死を理解した時、穏やかな表情を浮かべて地面に転がっていく。皆そうであった。人の心を残したまま死ねる幸福を知った彼らは、過程に後悔はあれど結末に悔いなどなかった。
けれども、それは当事者 遺していく者の感情である。
遺された者は、花弁を一枚 一枚摘んでいくように仲間の命を取っていった。命を絶たれる断末魔に心を痛め、仲間が消える寂寞とした胸中が灰の如く重なっていく。寂寞の灰がうず高く積み上がった時、彼は灰の重みで死ぬのだと感じた。
彼は眼前に現れた死に恐怖した。コンラッドを殺害した時は長年の宿怨を晴らし清々しい思いであったが、残った人生は蛇足である。彼の中で意味はない。死すら怖くないと思っていたのだが、振り返った見たところ、自分は壊すことが専門で何一つ残せていない。自分を遺せない悲しみに救いを求めるよう、希望を求めた。
「誰か」
彼の表情は濃い心労に冒されている。身体は力を失い歩くことに抵抗していた。立ち止まり蹲るべきなのに、それが出来ないのは脳内で流れる希望の存在があるからだ。歩みを止めれば希望と出会えない。希望と出会い、自分の心の裡を伝え懺悔する。未来を描き、死の恐怖から逃れる。希望さえ有れば、自分がいたことを残せる。滅茶苦茶な理論、思考回路は彼の荒んだ心を癒す。口角が気味悪く上がり「わるぅない」と呟くとまた一つ活力が生まれるのだ。
「誰か……。誰かおらんのか」
思えば、魔獣の姿がない。水色の血痕と残骸らしきものは見えたが、それ以外の気配が無かった。ふと、彼の視界に水色の血だまりが入った。近くにより、身体を屈めて覗き込む。血だまりの表面には膜が張られていない。それほど時間は経過していない証拠だ。
彼は血だまりの中に人差し指を突っ込む。冷えているが、熱を微かに感じだ。
何かを感じ取ったのか、彼は顔を上げ、正面を睨む。血だまりから伸びる線があった。だが、伸びる線は途中で切れている。ブツンと血液の流出が止まったかのような切れ方だった。
血だまりの周辺に足跡があった。座り込んだような臀部の跡も見受けられる。争ったより、不意に襲われ腰を落としたようにも見える。魔獣同士の争い、というには獰猛さは感じられない。
足跡を見ると、不可解な気持ちが沸き立った。考えろ。考えろ。脳みそが総司令を出す。
「何かを見落としちょる。何かを見落としちょる」
呪文のように呟く背に微かな声が投げかけられた。
「おやかた?」
声の方を向けば、一人の少女がいた。着衣は乱れ、顔は泥や土に塗れている。ケガをしたのだろうか、腹部を腕で抑えている。
「ブラちゃん」
彼は思考を止め、斧を放り出して彼女を抱きしめた。
「お、おやかたぁ」
「そうばい。そうばい。ブラちゃん。ブラちゃん!」
彼女の顔は強張ったままだった。無理もない。頼りべき大人は姿を変え、見たこともないバケモンが暴れまわっている。彼女は生き抜く為、声一つ上げずに彼等の目をかいくぐっていた。身を断ち切るような緊張感の中、必死になって生きていた。彼はそう思うと、更に彼女の小さな身体をしっかりと抱きしめる。
ブラは潰れるほど抱きしめる親方の力にびっくりしたが、彼の「安心していいんばい」と懐かしい声を聞いた途端、緊張感が背中から抜けていく。力も抜け、彼の胸板に全体重を預けた。瞳が瞼の重みで潰れていく。堪えていたものを爆発させるよう、大声で泣き、胸板を涙で濡らした。
「おやかたぁ。おやかたあああああああ」
「ブラちゃん、親方がおるから、な。親方がおるから……」
「こわ、こわ、怖かったよおお。こわかったよおおお」
「うん。こわかったばいね」
「みんな、みんな、おらんごつなった。スタンもおらんくなった。父ちゃんも母ちゃんもおらん。なんでなん? 村の人だーれもおらん。なんでなん? なんでこないなごつなっちょるん?」
彼女は彼に質問すると再び天を突くような鳴き声を上げた。
「わからん。親方もわからん。せやけんど大丈夫。ブラちゃんだけは親方がきちんと守るけん」
彼は希望を手に入れた。いつの日か、自分の犯した罪を糾弾する生存者を手に入れた。
「安心して大丈夫」
彼はそう声をかけ彼女の気持ちを落ち着かせる。くしくも、その言葉は彼女の友人にも投げかけた言葉と同じであり、その後、彼女を殺害したのであった。




