エピローグ
旅立ちの儀より、一つの季節をまたごうとしていた。新しい服の手配を進めていた彼女の元に一つの朗報が飛び込んできた。彼女はその情報を耳にすると、雑務をやめ少し早い休憩を取るのであった。
彼女の機嫌の良さは上限知らず。テーブルに用意された茶葉とお菓子は特別品。なかなかお目にかかれない一品にユーヌスは苦笑するばかりだった。
彼女は、茶葉を入れたカップに湯を注ぐ。茶を一口啜る。口の中に広がるじっくりと堪能すると細く長いため息を漏らした。
「ねぇユーヌス。あの馬鹿が筆頭侍従から降格したって本当?」
彼女は「馬鹿」の二文字だけを強調して床に座らせたユーヌスに声をかけた。ちなみに彼には彼女と同じ菓子が与えられている。ちなみに、皿など用意されていない。
「そうヨ。彼はキルク様を思って行動したのにネ。残念ながら、年だけが頼りの年配者には彼の行動は、儀式を壊した極悪人にしか見えなかった見ないヨ。ハシム様の助力もあったのも事実。アタシは悲しいワ。理解出来る理解者は誰もいない。査問会での審査の末、無事に筆頭侍従から筆頭侍従補佐へ降格ヨ」
ユーヌスは相変わらず飄々とした口ぶりであったが、釈然としない表情を浮かべていた。
オリヴァの処遇を決めた査問会。あの場であの現場を見た者ははしむの筆頭侍従以外誰もいない。査問会とは名目。年寄り達は、邪魔な存在であるオリヴァを正当に批判できる機会を逃さんばかりに査問会を開いたのだ。
オリヴァの降格は既定路線である。オリヴァもその事実には気づいていたのだろう。一切の申し開きをせず、淡々と結果を受け入れるのであった。
「そうよね。ほら、私の言ったとおりでしょう? あの馬鹿は必ずどこかで失敗するって。その失敗の様を目に焼き付けておきなさいって」
この部屋の主、キルトシアンは椅子にもたれユーヌスを見下ろした。どこか人を見下した高飛車な口ぶり。それでも彼女はまだ十代だ。
ウェーブのかかった原色の赤い髪は艶やかで光の輪を描いている。肩まで伸びた髪を指先で弄べば小動物のように絡みつく。意思の強い大きな赤い瞳は胸を飾る赤いブローチにも勝る輝きを放っていた。
服も 靴も 下着も 装飾品も。彼女が彩る「赤」は彼女の気の強さを際立たせていた。
「キルトシアン、人の不幸はもっと密かに楽しまなキャ。淑女になれないわヨ」
「そうは言ってもね、ユーヌス。あの馬鹿はどうしようもない馬鹿よ。見せ物小屋の動物のほうがマシよ。過去から学ぶ事は大切。けれども過去の裏側を読まなきゃ意味が無い。過去はね、綺麗なことしか残さないの。過去には必ず恥部がある。その恥部を想像させて物事に臨まないと」
「けどネ、キルトシアン。過去の恥部が読めず不審者の対応をしなかったオリーに落ち度はあったけど、あの匂いは強烈だったワヨ。不審者がアレなら誰でもムリ。あの日、アタシがそのまま戻ってきたら『臭いからこっちに来ないで』って言ったの誰ヨ。あっ。あの言葉もう一度言って! お菓子上げるから。あの視線と口調、とーってもサイコウネ!」
ユーヌスは目の粗い砂糖粒が沢山付着した菓子を差し出したが、その手は足蹴にされてしまった
「だからよ。皆が出来なかった。オリヴァカだけのせいじゃない。査問会はオリヴァカだけじゃなくてハシムの筆頭侍従も降格させた。組織としては当たり前の結果よ。それ以上のこと、何かある?」
それでは、我先と逃げ出したコルネールは? と問おうとしたが、彼は口をつぐんだ。
コルネールの地位に変動は無く、若い者の首だけが落とされる。そこの意味するところを彼女ははっきりと口にした。
「玉座は軽い方が担ぎ甲斐があるわ。無駄にウルサイお飾りなんて、担ぐ邪魔でしかないもの」
彼女は空になったカップに琥珀色の茶を注ぎ込む。ぬるくなった液体を一気に飲み干すと、深いため息を漏らした。
「ユーヌス、私はアナタにも言ってるのよ。どうして、私があの馬鹿にアナタを貸し出したと思ってるの?」
「アラ? アタシがキルトシアンに会えなくて苦痛に身悶えている姿を笑うためじゃないの?」
彼女は再びユーヌスを蹴った。
「アナタの道化に付き合ってあげている私の身になりなさい。アナタだって気づいているんでしょ?」
ユーヌスの細い目が更に細くなる。彼女の魂胆など、自分が送り出されたときにとうに気づいている。彼女はこの国に嫁いだ。それはヨナン国とスナイル国の停戦の象徴ではなく、ヨナンの間者として嫁いだ。
「ハシムは貴女が欲しがる敵では無いワ」
「えぇ。知っている。欠けた器に興味はないもの」
「キルクも貴女と肩を並べるだけの味方でも無いワ。オリーも然り」
「当然よ。私と肩を並べようだなんて不敬な発想よ」
ユーヌスはキルトシアンに蹴られた手を舌で舐め、砂糖菓子を口に頬張る。
彼は、あの現場で肉塊となった男の断末魔を耳にした。
荒唐無稽でとても信じられない光景だった。だが、男が口にした「セイケン」「ケモノノカゴ」この単語が頭から離れない。
そして、彼の言葉を裏付けるような肉体の変容。通常では説明出来ない現象。だが、事実なのだ。不可能を可能とする存在。それはこの世にただ一つ。
彼はその単語を口にするかどうか躊躇った。結局、彼の迷いは彼女への思いが超えていく。例え荒唐無稽な内容であっても、彼女が彼女の役割を全うするために伏すことは出来なかった。
「キルトシアン、気をつけなサイ。貴女の父上が自刃用に与えた風の上位眷属剣。貴女の父上はきっと貴女の想像以上の出来事から身を守るよう、貴女に分不相応な剣を与えたノヨ」
「だから、ユーヌス何よ。気づいているの? 気づいているなら早く言って。他人にもったいぶられることが、一番嫌いなのよ」
従者は一拍の間を置き、静かに答えた。
「気をつけろ、キルトシアン。この国は聖剣を隠している」