氷を殺して肉を呼ぶ
「くだらん」
ニクラスは広い執務室の中心で一振りの剣を床に叩きつけた。火急の知らせとしてトリトン村から送られてきた星の剣には、村の取りまとめ役 エイドの陳情が仔細まとめられていた。
トリトン村内ではかつてないほど村人の不満が募っており、今暴発してもおかしくないと、彼等の感情が縷々刻まれている。
新領主は星の剣の端々に、万が一村人が暴発し暴動に発展した場合、自身が第二のコンラッドになるのではないか。というおそれが滲み出ていた。
ニクラスは端正な顔を歪め、もう一度剣を叩きつけた。
彼の近くで事務作業を行っている筆頭侍従補佐は激昂する彼の声を聞く度、亀のように首をすくめ、上目遣いにニクラスの様子を伺う。
「村人全員が満足のいく政治などこの世には存在しない。村人の不満があるのならば、その問題点を救い出し、妥協点を提示し、粛々と行うのが領主の務めであるというのに、アレは一体何を考えている」
ニクラスは親指の爪を噛み、憎らしそうに窓の外の景色をにらみつける。
「大方村人教育が失敗しているのだろう。馬鹿め、自分の力量を図り間違いよって」
ニクラスは新領主に村の風土改革、治安維持、特産品生産向上、上納品の増量を命じた。しかし、順序は特に指示せず、彼の裁量に任した。間違っても、全てを一度に行えとは命じていない。
全て行えばどうなるか、ニクラスは容易に想像できたからだ。
目にかかる赤褐色の前髪を振り払い、落ち着きを取り戻すように剣を拾い上げる。
「こうなる時間があまりにも短すぎる。村人の不満の高まりも急すぎる。新領主を後退させるにも説得素材が薄すぎる」
ニクラスの頭に浮かぶのは煩わしい老人の顔。彼等は難癖をつけるようにニクラスに注文を出す。やれやり方が悪い。効率が悪い。結果が伴わないなど。武官貴族出身のニクラスが海千山千の彼らと口で対等に渡り合えることはない。
自分の意見を通すためにハシムの口を借りることもしばしばある。
だが、今回の領主交代はハシムも首を縦に振らないだろう。何しろ、推挙したのは自分だ。自分の決定を覆す所業はニクラスも許しがたい。
彼は机に向かい頭を抱えた。
どうすればよいのか。呪詛のようにつぶやく言葉に、机の上に移る黒いのっぺりとした自分が彼の疑問に声なく囁いた。
その言葉は、魅惑の一言に尽きる。ニクラスの悩みも、新領主の悩みも全て解決できるまさに聖剣のごとき言葉であった。
ニクラスは顔を上げると、晴れ晴れとした顔で筆頭侍従補佐に自分の言葉を星の剣に刻むよう命じるのであった。
「あらぁ~。オリーは仕事をさぼってるノ?」
王宮職員がまばらな午後の回廊庭園。紫白色の柱から顔を見せたのはキルトシアンの腹心ユーヌスだ。彼の服はオリヴァが着用している紺色のベストに白いシャツのシンプルなものではない。異国の服だった。首を覆う立った襟。体のラインに沿ってひざ下まで丈を伸ばし、腰からは深いスリットが入っている。もちろん、下着が見えぬよう紺色のズボンを履いている。面白いのは、この服は一枚の布でできており、布には花鳥風月が描かれとても派手であった。着る者を選ぶ衣装であるが、ユーヌスは普段着のように着こなし、時にはキルトシアンに負けずとも劣らずの赤い服で仕事をするときもある。
ヨナンの服ではないことは明らかだが、この服はどこの服なのかをこの国で知るものはいない。
ユーヌスは怪しそうに目を細めるオリヴァを気にも留めず、「隣をシトゥレー」と軽い口調で隣に座った。
「アタシ、この国は好きか嫌いかはよくわかんないケド、この庭園と柱の内側にあるお花のレリーフが好きなのよネ」
ユーヌスは長い脚を組み換え重心を後ろに倒し、柱の内側に刻まれているレリーフを見上げた。よほど好きなのだろう。オリヴァが聞きもしないのに、刻まれている花の名前を一つ一つ説明していた。
回廊の中に風が駆け抜ける。背丈のある草花は頭を右から左へと傾ける。風の行く道を知らせるよう、ユーヌスの細い三つ編みも靡く。
乾期の始まりを知らせる風は、少し肌寒い風であった。
「ねぇ、オリー」
「なんだ」
「あんた、図剣館で何をしていたのサ」
彼は、何故知っていると不審がる顔でユーヌスを見た。オリヴァの問いにユーヌスは答えない。彼は大層自信がある表情で「なんでも知ってるノ」と鼻にかかった声で返した。
「別に。借りていた剣を返しただけだ」
彼はトリトン村に出立する前に図剣館に獣に関する星の剣を一式を借りていた。借りてきた当初は読んでいたのだが、トリトン村への潜入やら事務処理などがありなかなか読む時間を作れずにいた。
時折ベルが星の剣を返却しろ。と警告をしていたのだが、流していた。
読んで返そう。と軽い気持ちで日々を過ごしていたが、とうとうツケを払う日がやってきた。
ベルは荒々しく侍従室のドアを開けると、オリヴァの名誉やプライド。わずかな体裁など一顧だにせず、星の剣を返さないオリヴァを罵倒した。
表情一つ変えず、淡々と罪状を述べるベルの顔は手練れの処刑人のようであった。
侍従室にいる全ての人間は誰一人としてベルの話に口をはさめなかった。
「オリヴァ・グッツェー氏は人間の器が欠けたる人間とは思っていましたが、まさか事理分別の出来ない男とは思いませんでした」
と言い放ち侍従室を後にする頃、窓際ではゆで上がりのように顔を赤くするオリヴァがいた。仮面で表情を隠していても、その場にいる物は彼の感情をすぐに理解する。
皆、悪い女に引っ掛かったとオリヴァに同情するのであった。
生き恥を晒すように部屋を後にし、図剣館にかえすべきものを返したのだが落ち着かぬ感情のまま侍従室に戻ることは生き恥を重ねるような気がしていた。
彼がこの場所に佇んでいたのは、帰り道を失くした子供と同じで居場所が現れているのを待っているのである。
「オリーが図剣館で星の剣を借りるなんて珍しいわネ。何を読んでいたノ?」
オリヴァはすぐには答えなかった。仮面をつけた奇妙な男を相手にする奇特な存在。時間つぶしに付き合う男をむざむざと手放すことはしなかった。
「も、も、ももももももももしかして恋愛? 恋愛もの? ヒャダ! オリーも色恋するの? ネネネネネ、聞かせないよ! 聞かせなさいって! お、お相手は誰? も、もももももしかしてあのベェルゥ?」
「違う! それは断じて違う!何が間違ってもアイツの名前だけは出すな」
「えー。残念ン。あ、じゃぁキルク様?」
「お前なぁ、どーして俺がそーなる。それに、キルク様はお前の主人の――」
「オリー、それは違ウ」
ユーヌスは珍しくまじめな顔をしてオリヴァの言葉を遮った。
「キルク様はあくまでも全世界に散らばるキルトシアンの熱心な愛好家の総代であって、キルク様は愛好家の総代としてキルトシアンと結婚したの。間違ってもキルク様単体がキルトシアンと結婚したわけではない。もう少し突っ込むと、アタシだってキルトシアンの愛好家だから、キルク様を通じてキルトシアンと結婚してるようなものネ。キルトシアンは認めないけド」
ユーヌスは零至近距離で自分の主張をオリヴァに突きつけた。彼には珍しく、ユーヌスの圧に押されてしまう。彼の言は全ておかしい。だが、何か一つ否定すれば優雅に咲く白い花が、何者かわからない鮮血で染め上げられてしまうだろう。
「わ、わかった。以後気を付ける」
「ソ。じゃぁ、教えてヨォ。一体何を読んでいたのサ」
「――。獣の聖剣にまつわる物語だ」
ユーヌスは薄い笑顔を貼り付けている。しかし、細い目は全く持って笑てはいない。
「なんで、そんなモノを?」
「別に。興味本位さ。もう二度とイヴハップ王の旅立ちの儀みたいなことはゴメンだからな」
イヴハップ王の旅立ちの儀に乱入した一人の男。オリヴァが斬り捨てた男は球状の肉塊に変容した。外面は長い棘でおおわれ、棘は多くの兵士など王宮関係者を貫き殺していった。凄惨でおぞましい光景。そんな中、肉塊が口にしたのは「セイケンノカゴ ケモノ」
この言葉から、彼は獣の聖剣は奇妙な縁でつながる事となる。
「ソレデ? 何かわかったノ?」
「別に。読んだものは皆、荒唐無稽な与太話ばっかりだった。何も役に立たない」
ユーヌスと言葉を交わしたことで、オリヴァの気持ちが幾分か落ち着いた。立ち上がり、彼に背を向けた時だった。
「ねぇ、オリー」
「なんだ?」
「あなた、この国に聖剣は存在すると思う?」
オリヴァは答えなかった。獣の聖剣は存在する。正確には存在していた。遥か昔、コトウの物語の時代、土の聖剣使いトルダートとコトウが獣の聖剣になった。当時の領主マルトが獣の聖剣を破壊し、村は聖剣の呪いに冒されることとなった。
トリトン村の馭者 カタルカが教えたトリトン村に伝わる獣の聖剣の物語。
破壊された獣の聖剣の行方は杳として見つからない。
「さぁな。世界を創った十二本の聖剣だ。もしもこの国に聖剣が存在すれば共王という制度は存在しなかったさ」
オリヴァはそれ以上何も言わなかった。
ケモノの聖剣の存在は口伝であり、裏付けも、それにまつわる話は図剣館には何一つない。「無い」と処理したい一方、自分の顔にへばりついている白い肉の正体が彼に甘く存在を囁くのだ。
消えていくオリヴァの背中をユーヌスはじっと見つめる。
彼の言ったことを忘れぬよう、靴の下に隠した一本の剣に何かをしたためるのであった。




