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ユートピアひだまり  作者: 樋田セラ
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第2話 「明日への帰り道」

「……ここはどこなんだろう?」

ユイは暗闇の中の一本道を歩いていた。何も見えない。ただの一本道をひたすら歩いていた。

人の気配もなく、薄気味の悪いもやもやとした空間であった。

「…さー………ーん…。」

ふと、誰かを呼ぶ声が聞こえてきた。その声はあまりにも小さくかすれていた。

立ち止まって、耳を済まして声を聞いてみた。

「…おかーさん、おとーさん…」

…声の主は、幼い頃の自分だった。小学校低学年くらいの頃だろうか…。両親に向かって叫んでいるらしい。でも、その周りには両親の姿は見えなかった。

ユイは両親の姿なんて思いつくはずはなかった。物心ついた頃からいなかったのだから。

声のする方に歩いていくと、やはり幼い頃の自分がいた。うつむきながら悲しそうにたたずんでいる。

近づいて声をかけようとした。しかし、次の瞬間には幼い頃の自分の姿はもう消えていた。

どうすることもできず、また暗闇の一本道を歩き出した。

ふと、今度は人の気配がないはずなのに人の視線を感じた。それも1人や2人ではない…何人もの人の視線が…

更にいくつかの声がきこえてきた。明らかに自分ではない声が幾重にも重なって聞こえてきた。

声の内容をあまり聞き取ることはできなかったが、自分に対する誹謗中傷だということは確信が持てた。

ユイは走り出した。暗闇の中、行くあてもなく、ただひたすらに前へ、前へと走り出した。ただここから逃れたい一心で。

どのくらい走っただろうか。それまで周りを覆い尽くしていた暗闇の先から一筋の小さな光が見えてきた。

やがて光大きくなり、眩しさを感じた。そして光は自分を覆い尽くした…。


「はっ!」

ユイは目を覚ました。ベッドの周りは相変わらず、引っ越し前の荷物であふれていた。

「はあ〜、嫌な夢見ちゃったな〜。朝から目覚めが最悪だな〜。」

ユイはカーテンを開けると、眩しいほど明るい日差しが差し込んでいた。今日も昨日と同じ雲ひとつない快晴だった。夢の中でさまよっていた真っ暗闇とは真逆の光景だった。

「…こんな風に1日が始まるのか…。」

ひだまり荘に引っ越してから一夜明け、初めて朝を迎えた。ユイは洗面所で顔を洗い、朝食の支度をし始めた。支度をしながら呟いた。

「…荷物を整理しなきゃなあ…新学期まで時間があると言っても一週間くらいしかないし…、あとまだ引っ越しの挨拶できてないなあ…。今日のお昼頃顔を出してみるかなあ。」

リビングで朝食を食べながら、なんとなくテレビをつけて見た。朝の8時半。情報番組がやっていた。地方のローカル番組である。ご当地アイドルが地元の名所を回る特集らしい。海辺の見える公園を特集していた。

「ここは成門市(なるとし)にある成門公園(なるとこうえん)でーす。海風が心地よいですね〜!」

「さらにここは全国でも珍しい、渦潮を間近で見ることのできる遊歩道もあります!今日は残念ながら見えないですが、見えるとすごく綺麗ですよ!」

ユイはその場所に見覚えがあった。

「あの場所どこかで見たような…。たしか…あっ、ナナミが見せてくれたあの絵だ!!」

その場所はナナミの姉が職場の近くを描いた風景画だった。

「成門公園…場所、場所はと…」

ユイはその公園の場所が気になってスマートフォンで調べてみた。

ひだまり町から町営バスを乗り継いで北東方向に1時間半程の所にその場所はあった。駅前から直行便もいくつか出ていて、本数は割とあり、行こうと思えば行けそうな場所だった。そしてナナミの姉の言う通り、公園の近くには規模の大きい美術館が存在していた。この偶然の発見に対する驚きをナナミに報告しようとしていた矢先、ふとアイドルの声が気になった。


「みんなもぜひ成門公園に遊びに来てね〜。今日も一日、お日さまみたいな輝く笑顔で!サンシャイン!ひだまりのアイドル サンシャインスターでした!」


「あっ、これ、昨日、町内放送で話していた子だ。」

彼女の名前はサンシャインスター。この地方ではかなり名前の知れたローカルアイドルである。彼女の明るい笑顔は人々を輝いた笑顔にさせる。優しい声は人々を魅了させる。滑らかな長い金色の髪は太陽に反射された光のよう。輝かしい衣装なども合わさって、この地方の老若男女問わず様々な人々から絶大な支持を集めていた。ユイ達一般市民からしてみれば遠い遠い、憧れの存在だ。


ゆっくりとしているうちに情報番組は終わり、ユイはテレビの時計に目に入った。10時35分。


「いっ〜けない。テレビに夢中で時間があっという間にたっちゃった。早く引っ越しの整理しなくちゃ。」


ユイは急いで朝食の食器を片付けると、まだ開封していなかったダンボールから荷物を取り出して整理を始めた。持ってきた引っ越しの荷物は多く、狭い部屋に配置するのは予想以上に難航した。

「はあ〜。もっと持ってくる荷物減らすべきだったかな〜。でも今日中には終わらせないと!よーし!やるぞー。」


午後1時40分。急いで取り掛かったユイはなんとか残りの荷物を整理を完了させた。


「ふう〜。やっと整理終わったなあ〜。引っ越しの整理だけで午前中終わっちゃたよ。さて、お昼にしようか…いや先に引っ越しの挨拶行っちゃおう!忘れないように。」

ユイは冷蔵庫にしまってあった引っ越しの挨拶用のケーキを取り出して、玄関から外に出ようとした矢先、玄関から出てきたナナミと鉢合わせした。ナナミは物凄く興奮した様子だった。

「ユイちゃん!たった今、すっごい別品さんがアパートから出るとこ見たんだよ!本当に童話に出てくるようなお姫様みたいな感じの子!」

「えっ、お姫様みたいな……あっ、私、そういえば、昨日買い物に行った時、高級車に乗ってたのを見かけたよ!」

「とんでもない人物がひだまり荘の住人だってわけですなあ〜。これは調べてみる価値ありそうだよ。」

「調べて見るって…どうやって?」

「ユイちゃん。彼女の後をつけてみよう!さっき出て行ったばかりだから、急いで追いかければ間に合うよ。さあ早く行こう!」

「えっ、引っ越しの挨拶あるし…それに…そんなことしたら犯罪だよ〜」

「どうせ挨拶にいったって下の部屋の人誰もいないよ。どうやらみんな朝早くどこかに出かけちゃった見たいだから。」

「そうなんだ…ナナミちょっと待ってて、ケーキだけ冷蔵庫にしまわせて!直ぐ行くから!」

「うん、早くね!」


ユイは挨拶に持って行こうとしたケーキを部屋の冷蔵庫に戻し、足早に玄関に出てひだまり荘の門の前で待っているナナミと合流した。


「行きますか!名探偵ナナミ 謎の美少女尾行作戦開始!」

「もうナナミったら、大げさなんだから!さて行きますか!」

「じゃあ、走ろう、結構経っちゃったからね。」

「えっ、えっ、ナナミ、ちょっと待ってよお〜!!」


2人はひだまり荘から走って飛び出した。


「ひだまり荘から表通りまでは一直線。私がちらって見た感じでは高校の方角には向かってなかったから、表通りに向かったはずだ!」

「…ぜえ、…ぜえ、待ってよお…」

「そして、表通りは道幅が狭くて一方通行! 今の時間帯は交通量が多くて渋滞している…と言うことは、一方通行と逆方面に進んでいる可能性は極めて少ない!と言うことは道なりを進行方向に進んだ可能性が高い!」

「…まっ、まってよ…でも、…それは、ぜえ…車で行った場合でしょ?、…歩いて出ていったのなら、…ぜえ、逆方面に行った、…可能性だって…ぜえ…あるわけでしょ…」

ユイは息切れしていて、声を出すのがやっとである。

「わかってないなあ、ユイちゃん!なぜ一本道の進行方向で渋滞が起きていると思う?それは反対方面には需要がないからなんだよ。実際、反対方面を道のりに進んで行くと高校に通じる道と海岸に通じる道に分かれて、そこでそれぞれ行き止まりになる。高校に行くんだったら最初からひだまり荘から裏側に通じる道を通った方が早い!そしてわざわざ何もない海岸に通じる道を選ぶなんて考えられない。すなわち、一本道の進行方向に行くことしか考えられないのさ!」

「…さっ、…さすが、ナナ、ミ、すごい推理、…だ、…ねっ、…ぜえ、ぜえっ、げほ、げほ、…じゃあ、この…げほ、…まま…」

「ユイちゃん!無理してしゃべらなくていいよ!だまってついてきて!」

「う、…うん、げほ…わかった!」

ユイはナナミの後に続いて一本道を懸命に走った。

ナナミは走りながら後ろを振り向き、叫んだ。

「ユイちゃん!もっと早く!早く!」

「……はあっ、はあっ、ぜえ、ぜえ…」


走っているうちに視界が狭まり始め、遂には意識が遠くなりだした。

「…もう…だめだ…」

…ふとユイは朝の不吉な夢を思い出した。

ー闇に包まれて何も見えない一本道。誰もいない一本道を孤独にも独りで走り続ける…ー

心細く、寂しく、重苦しくて抜け出すのに必死だった。今置かれている状況も苦しくて必死という点では、同じだがナナミが目の前にいて一緒に走っていくれている。ナナミの背中が頼もしく見えてきて、妙な安心感を感じた。ナナミの存在がこれからのひだまり荘での生活や高校生活の支えになるだろうと思うと、とても嬉しく感じた。そして、ナナミとは離れたくない、離れてはなるものかと思い始めて来た。次第にユイの走りのペースも速くなり始めて来た。


「…もう、1人ぼっちなんかじゃない!」


「ユイちゃん!いいよ。良いペースだ。頑張ってる。さて、もう直ぐ一本道の終着点だ!私の推理では、ここを道なりに左に曲がれば彼女がいるはずだ!」

「…はあっ、はあっ、本当?」

「左に回れば公園や商店街を通って駅に通じている道、右はガソリンスタンドや高速道路に通じる道だ!彼女が歩いて出かけたとするならば左に曲がったとしか考えられないのさ!」

「そしてこの時間帯、汽車は上りも下りも1時間に1本しかこない。時刻表的に考えて見ても、駅から汽車に乗ってどこかに出かけたのは考えにくい…つまり、彼女はここから駅までの範囲のうちのどこかにいるってわけだ!」


「…ぜえ、な、…なるほど、ってことは…」

「つまり、もうすぐ彼女に追いつくってわけだ!」

ユイたちは誰もいない公園を通過した。そして商店街で彼女が途中で寄り道をした形跡がない事を確認すると2人は駅前へと直行した。


「…この辺りにいるはずなんだけど…あっ、いた!」

「でもあれ…あっ、駅前のバス停乗り場でバスに乗ろうとしている!ユイちゃん!あのバスに追いつこう!早く!」

「……も、もう、限界…げほっ…」

ナナミ達の努力もむなしくバスはすんでのところで発車してしまった。

「あと2分あれば間に合ったなあ〜」

「…バスか…私たち、またこのバスに翻弄されたね……ぜえ、ぜえ、…さすがにバスは追えないし、諦めよう…。」

ユイがため息をついて引き返そうとした時、突然ナナミはこう話した。

「ユイちゃん、諦めるのはまだ早いよ。名探偵ナナミがここで追跡をやめてしまってはこの名が廃ってしまう!推理だ、推理してみるんだ…」

「…で、でもそんなこと…」

「彼女の乗ったバスは車両からして特急バス。停車数が限られている。この停留所の次は終点までノンストップ!すなわち向かった先は、このバスの終点…それは」

ナナミはバスの停留所に貼ってある時刻表を見つけるやいなや指差した。

「14時8分 特急 成門公園前行き!すなわち成門公園に行けば、彼女に追いつくってわけさ!」

「なるほど、でも次のバスの時間わからないじゃない…どうするのよ…」

突然、ナナミはバスの時刻表を手で覆い隠した。

「いい、このバスの時刻表をよく見てごらん。ほらっ!」

次の瞬間、ナナミは時刻表を覆っていた手を外した。

そこには14時20分 快速 高島(たかしま)駅前行きと言う文字があった。

「一見、違う行き先だと思うじゃない?でも実はこの次のバス成門公園前を経由するのですよ。」

「…なるほど、時間差ではあるけど、目的地に着くことができるんだ〜!さすがナナミ!すご〜い!!」

「しかも成門公園とここからは特急と快速では停車する停留所の数は変わらない!すなわち10分遅れくらいで追いつくことができるのだ!ワッハッハ!」

「…すごい、気になったんだけど、どうやってこの時刻表のテクニックに気が付いたの?偶然?」

「元々この町に住んでたからって言いたかったんだけど、違うんだ。本当はこの町を偶然訪れた旅番組のおかげなんだ。最近よくやってるじゃない。地方の路線バスを乗り継いで旅する番組が。」

「ああ、あれね〜。あの番組なら何度か見たことがある。芸能人3人が旅するやつでしょう!面白いよね〜」

「…そうだ!それ一昨日やってたんだよ。で、たまたまこのバス停を訪れてたってわけ!」

「へえ〜、そうだったんだ。引っ越しの荷造りとかで見れなかったよ〜。私も見ればよかったなあ〜。」

2人が話し込んでいると次に乗るバスがやって来た。

「じゃあ、ユイちゃん!乗るよ。記念すべき1本目!」

「ふふふ…もう!番組に影響されすぎだよ〜!」

バスは2人を乗せて発車した。2人以外も乗客は乗っていたが車内の人の数はまばらだった。ユイたちは空いていた一番後ろの席に並んで座った。

ナナミは思い出したように話しかけた。

「あっ、そういえば!」

「どうしたの?」

「確かその旅って芸能人2人はレギュラーで決まっているけど後の1人はゲストなんだよ」

「知ってるよ〜。あのレギュラー2人の絶妙な漫才みたいなやりとり面白いよね〜。」

「確かその時のゲスト、昨日の町内放送の声の人だったんだよ!あれ、確か名前が…えーっと…サンシャイン…なんとか…」

「わかった。サンシャインスターでしょ!今日も朝のテレビにも出ていたよ〜。結構この辺りで有名なんだってね〜。あっ、」

ユイは朝のテレビの内容を思い出した。

「そういえば、朝のテレビで成門公園が取り上げられてたよ。海辺の見える公園で近くに美術館があるんだって……ん?ナナミのお姉さんの仕事場ってまさか…」

「そう、成門公園に隣接している大井美術館。もし、追跡に失敗しても無駄足にならないように、さっきこっそりお姉ちゃんにメールを送ったところ。そして、返信が来た。」

ナナミはケータイのメールの返信画面をユイに見せながら話した。

「もしその子に会えなかったら仕事終わったら会いにいらっしゃいって、ね。」

「さすが、用意周到だね〜。じゃあ追跡に失敗したらお姉さんを紹介してね。」

「オッケー!」

「あっ、でも1時間半くらいバスに乗ってるんだよね?」

「大丈夫だよ。話していれば、時間なんてあっという間だよ。」


2人を乗せたバスは駅前通りを抜けて住宅地を超えた後、海沿いの道に差し掛かった。その後バスは海岸線をひたすらに走って行った。本日もお日柄がよく、太陽の光が反射されて海がダイヤモンドのように美しく輝いて見えた。そんな美しい車窓にも気づかないほど2人は話に夢中になっていた。

やがてバスは木々が生い茂る自然豊かな公園に入って行った。目的地に近づいて来た。そしてバスのアナウンスが聞こえて来た。


「次は、成門公園前〜、成門公園前〜」


「ユイちゃん!いよいよだね。着いたよ。成門公園!」

「思った以上にあっという間だったね!」

やがてバスは目的地の停留所に停車し、2人は下車した。


「よし、ゴール!」

「ゴール!……ん?あそこにいるのって…まさか…」

「ああ、そのまさかだね。私たちの追っていた、例の美少女!」

バス停近くにあるベンチに腰掛けていたのはまさしく、探していた美少女だった。ユイが美少女に声をかけようとした時、美少女はこう話した。

「わざわざここまで追いかけて来てくれて、ご苦労様。」


ユイはすかさず尋ねた。

「もしかして私たちが追いかけて来たことわかってたんですか?」

「ええ。私が歩いている後ろで、何やら楽しそうで賑やかな会話しながら近づいてくるんですもの。私がバスに乗った後でも 発車した後に車窓からバス停で2人が待ってるのが見えたから、待っててあげようかなと思って。」

「なんてこったい。これは一枚とられましたなあ。名探偵ナナミ、一生の不覚なり。」

ナナミはわざと残念そうに振る舞った。

「あなた達の会話が少し聞こえちゃったんだけど、確かひだまり荘の同級生だったよね。」

「え…あ、はい…昨日、ひだまり荘に越して来た新浜ユイと言います。緑高1年です。よろしくお願いします。」

「ユイちゃん硬いよ〜!同じくひだまり荘に越して来た緑高1年の阿部ナナミです!略してアブラナって呼んでね!よろしく!」

「クスッ、2人はとっても仲良しなんだね。初めまして、私は大井ユウカ。ひだまり荘101号室に住んでる、緑高1年生。こちらこそよろしく。あっ、名前はユウカでいいよ。」

「ところでユウカさん。どうしてこの公園に行こうと思ったのですかい?」

「私の先輩がたまたまこの場所で仕事に来ていて、仕事が終わるタイミングを見計らってやって来たというわけですよ。」

ユイも続けて質問した。

「ユウカさん。昨日、なんかこう、高級な車に乗ってるのを見ちゃったんだけど、今日はそれ使わなかったの?」

「ああ、あれは実家の車なんだよ。昨日は家族でお母さんのお見舞いに行った後、ひだまり荘に送ってもらったから。家族は普段私を除いてみんな京都の親戚の家にいるから、今日は使えなかったってわけ。」

「えっ、…お母さん入院してるの…?」

「うん…。4年前。空からミサイルが降って来た日。この辺りにある実家が火事になったとき逃げ遅れてしまって。かろうじて一命はとりとめたけど、今でも病院の中にいる…。」

ユイは彼女は一見、何事もなかったかのように話しているが母親の事を話しかけたときは一瞬だけ表情が曇ったのを見逃さなかった。

4年前の被害の爪痕はまだ色濃く残されている。悲しい歴史は事実として永遠に刻まれて続けている。昨日のナナミの話を聞いたのと同様、ユイはなんともいたたまれない気持ちになった。

多くの人々の運命を変えてしまったあの日。自分は何をしていたか覚えていなかった。少なくとも当事者ではないことははっきりとわかっていた。

連日、大ニュースとして取り上げるメディアや社会の教科書、人々の話の流れから伝え聞いた話しからしか判断することができない。写真、映像がどんなに鮮明に描写しようとも現実に事件に遭遇し、体験している者には到底かなわない。この時、自分は2人とは仲間外れになったような気分になった。

固まっているユイの隣でナナミが質問した。自分と同じような境遇なので親近感が湧いているようだった。

「そっかあ…私もあの日、ミサイルの被害で両親を失ってさ…今でも行方不明なんだ。家族はお姉ちゃんと2人だけ。しばらく県外の親戚の家で暮らしていたんだけど、お姉ちゃんがこの町で仕事し始めてから、私もお姉ちゃんのところで くらしたくて、でこの辺高校がひだまり町の緑高くらいしかなくて…でひだまり荘にやってきたんだ。ところで、どうしてユウカは京都の親戚の家がありながら、ひだまり荘に一人暮らしすることにきめたの?」

「…実はこの大井美術館、私の実家の会社グループが運営しているの。私の会社は製薬会社を経営しているけど資産として美術品や骨董品を所有していて、その一部を美術館として一般公開している。その管理は大井家一族でして欲しいとお父さんからいわれていたんだけど、お父さん、ミサイルの被害の影響で京都に移した本店が忙しくなってしまって、私が資産を管理することになってしまった。でも私は高校生。美術館の管理をする傍ら高校に通わなくちゃいけないってことで美術館から一番近い高校、緑高に通うことになったの。でもやっぱりここからだとバスでは通えない距離なので、高校近くのアパート、ひだまり荘に越してきたわけ。でも週一は美術館に出向いているよ。なんだかんだで作品を鑑賞するのが好きだし、それに生まれ育ったこの町が好きだからね。」

「失礼を承知としてお聞きしますが、製薬会社ってまさか…大井創薬ですか!?」

「え…もしかして…社長の娘さんなの?」

ナナミとユイは恐る恐る質問した。

「そうよ。私の会社は大井創薬。まあ大企業のうちには入るのかな。」

大井創薬とは国内の製薬会社では上位の部類に入る大企業である。この町に自社工場が多くあり、全国的にもその名が知れ渡っている。

「…てことはお姉ちゃん、ここで働いてるから…社員ってことですなあ…ははあ…社長のご令嬢様、今までの無礼をお許しくださいまし〜」

「クスッ。ほんとにナナミちゃんって面白い子なんだね。私は社長の娘だからって特別扱いされるのは嫌だし、普通に友達としてこれからも付き合って欲しいな。そういえば、あなたのお姉さん、ナツミさんて言ったっけ。本当に絵が好きな方なんだね。仕事は真面目にこなすし、美術館や公園周辺でよく絵を描いているのを見かけるよ。美術館が主催するワークショップで子供たちに優しく絵を教えている。本当に立派な方だなあと思って。」

「ははあ〜…社長ご令嬢様のお言葉、ありがたき幸せ〜。妹として大変誇りに思います!」

「もう、ナナミったら、調子いいんだから!緑高のクラスメートとして、ひだまり荘の友達として、これからもよろしくね。」

「私も、姉共々、これからも末長いお付き合い、よろしくお願い致します!」

「こっちもよろしく!…そういえば、これから会おうとしている先輩、彼女もひだまり荘の住人なの。どうせなら一緒にあってみる?」

「そうだね。まだ引っ越しの挨拶してないし。紹介して。」

「ところで、先輩の名前はなんと言うのですかい。」

「彼女の名前は津田ヨウコ。見た目はあまり目立たないんだけど、私と同じで、大きな秘密を持っている人なんだよ。1週間前にここに越してきたときに連絡先を交換して、それから都合のいい時に定期的に会っているの……あっ、ちょっと待ってて」


ユウカは上着のポケットからスマートフォンを取り出すとRINEを起動させた。

「…新しい友達…えー…と」


RINEにはこう書いてあった。

「初めまして、ひだまり荘103号室、緑高2年の吉野ノゾミです。ヨウコから連絡先をききました。突然の連絡ごめんなさい。今日ヨウコと会うのですね。私はある事情で高校やひだまり荘に行くことはあんまりないのですが、会えたら楽しいことやりましょうね。ひだまり荘は楽しいところです。私のことはヨウコから聞いてくださいね。では失礼します。これからもよろしくね。ノゾミ」


「 …吉野さんからだ。そういえば、ひだまり荘に暮らして一回も会ったことないな…どんな人なんだろう。」

「うーん。ひだまり荘の七不思議ですなあ。津田先輩の秘密に、吉野先輩の秘密…名探偵ナナミ。さらなる難事件に挑戦だ!」

「ナナミ、まだやってたの。もう飽きたよ〜名探偵ごっこ。…あっ!」

ユイは突然思い出した様に発言した。

「私、引っ越しの挨拶しようとしてケーキを買ってきたの。なかなか会えなくて渡せずにいたんだけど、せっかく全員集まる訳だし。よかったら一緒に帰って私の家でケーキを食べにきませんか?」

ナナミが割って入って茶化して言った。

「ユイちゃん!昨日引っ越し蕎麦食べた時、部屋、引っ越しの荷物であぶれていたよ〜。私はともかく社長の娘であろう方や先輩方を招待して、大丈夫なの〜?」

ユイはすかさず反論した。

「もう!ナナミ!今日の午前中に片付け終わったよ。綺麗に掃除したし!大丈夫だよ!」

ユウカは笑いながら言った。

「じゃあ、帰りはみんなで帰ろう。ヨウコ先輩は仕事終わったらフリーだって言ってたし。彼女が仕事から終わったらお迎えしておしゃべりしながら帰りましょうか。あと、ケーキ楽しみにしてるよ。」

「あっ、でもナナミは昨日食べちゃったからないよ。」

「ええっ!そんなあ。あんましだああ〜」

「昨日、自分で食べちゃったんじゃない!」

ユウカはさらに笑いながら言った。

「本当にあなた達面白いね〜!」


ユイは思った。

今の自分たちには帰る場所がある。ひだまり荘というかけがえのない友達の住む家が。与えられた境遇は違えど、一緒に歩いていてくれる友達がいる。寄り添ってくれる友達がいる。もう一人ぼっちや仲間外れなんかじゃない。今朝見た悪夢が嘘の様に思えた。今日、明日、明後日、これからもずっと続くであろうひだまり荘への帰り道。一緒に彼女達が帰ることによって、その中でまた新しい物語が生まれていく。やがてそれは彼女達の歴史として、彼女達の心に「思い出」として心にあたたかく積もっていく。それは、この町に刻みこまれ、深い傷となった悲しい歴史を覆い隠そうとしているように感じられた。悲しい歴史の傷は消すことはできないが、それに抗うように「思い出」が積っていく。ユイはこれからのひだまり荘での日々の思い出を大切にしていこうと思った。それが、朝の悪夢から抜け出せる方法としての1つの答えだと感じた。心の中に溜まっていた、もやもやとしたわだかまりの影に光が差し込んで晴れていくような気がしてきた。



3人の元に1人の少女が駆け寄ってきた。

「ユウカちゃん。お待たせ〜。ごめんね。仕事が長引いちゃって!」



ユイは声のする方を振り返って見た。

(あれ、この人どこかで…、そしてこの声も聞き覚えがある…)

その少女は昨日、ケーキ屋ですれ違った、メガネをかけた黒髪のショートヘアの女の子だった。

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