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ユートピアひだまり  作者: 樋田セラ
1/4

第1話「新しい世界」

…ガタゴト…ガタゴト…


長い長いトンネルを抜けるとそこにはうっすら小さな町が現れた。


「ひだまり町…ここが私の暮らす町か〜。のんびりとしてて気持ち良さそう〜!」


新浜(しんはま)ユイ 15歳。高校一年生。この春からこの小さな町「ひだまり町」にある私立高校、緑学園高校に通う事になっている。緑学園高校 通称「緑高」は地方ではそれなりに名の知れた進学校。地元の進学希望者だけではなく、ユイのように県外などの遠方から進学を希望する者、そして特殊な事情で進学する者もいる。ユイは親元を離れ、ひだまり町のとあるアパートで一人暮らしする予定になっている。そのアパートの名前は「ひだまり荘」。高校の真裏にあり、徒歩3分の距離である。女性専用。入居者が少ないため、実質、緑高の女子学生寮となっている。今日はその引越しの準備に来ていたのだった。


「お客様、着きましたよ。」

引越し業者に促され車から降りるとそこには小さな古めかしいアパート姿を現した。

ふとユイはアパートの門に書いてある札の文字を目にした。

「…ど…り?荘?」

「ひだまり荘ですね、表札がだいぶ痛んでいますねえ」

引越し業者から案内され、自分の部屋に向かったユイ。

「こちらがお客様のお部屋ですね。」

204号室。アパートの二階の一番奥にある部屋だ。

ひだまり荘は二階建て8部屋あるアパート。一階、二階はそれぞれ4部屋ずつある。若い番号が入り口側 つまり手前である。101号室が手前、104号室が奥側という具合である。

ユイは早速自分の部屋に入ろうとした。

「あれ?開かない…」

「お客様、鍵を回さないと扉は開きませんよ。」

「あ、そうでした。鍵、鍵と…あった!」

ガチャ…扉を開くとそこには1LDKのこじんまりとした部屋が広がっていた。ユイは部屋を見回した。部屋の中は掃除はされてはいるものの、多少埃っぽく、もう随分誰も住んでいないと感じさせる雰囲気であった。壁紙なども色あせており、小さな傷がいくつか目に入った。

「お客様、部屋の確認はできましたでしょうか。では引越し作業にうつらせていただきます。一旦、外で待機していていただけますか。」

「わかりました。」


「…これで荷物は全て運び終えました。一応、一通り作業は終わりました。何かあればまたご連絡ください。では失礼いたします。」

「ありがとうございました。」

引越し作業も無事に終わり、荷物の整理もある程度目処がたったところで、ふとお腹の虫が鳴り出した。

「あっちゃあ、お腹すいたな…なんか食べよー。」

台所に行き、水道が出るのとガスがつくのを確認したユイは早速、新しい自宅で料理をしようと思い立った。

「何作ろうかな…やっぱり、引越しの定番と言えば引越し蕎麦だね!」

引越しでまとめていた荷物から鍋を取り出し、水を入れてコンロの上に置き、いざ蕎麦を茹でようと蕎麦を入れようとして気がついた。「そういえば食材なんて持ってきてないじゃない!ていうか、なんで食材持ってきてないのに料理をしようなんて思ったんだろう。お腹すいたなあ〜なんか買ってこようかな〜」

とは言っても引越しきたばかりでこの辺の地理は全く把握していなかった。

「そうだ、スマホで調べてみよう!」

スマートフォンの地図アプリを使って近所のスーパーマーケットを見つけ、そこまで買い物に向かうことにした。

「あっ、そう言えば引越しの挨拶の手土産もまだ買ってなかった。お菓子とかがいいよね…それも買ってこないと!」

ユイはさらに駅近くにある小さなケーキ屋を見つけ、そこで手土産を買うことにした。

「ついでに高校の下見もしてこよっと!」


スーパーマーケットで買い物をした帰り道、外車とすれ違った。まるでリムジンのように高級感あふれる車であり、小さな町の幅の狭い道路では一際目立っていた。

ふと後部座席の窓から一瞬だけ、自分と同い年くらいの女の子の姿がチラッとみえた。

大企業の令嬢だろうか。その姿は自分とは遠い世界の存在にいるようであり、幼い頃、絵本か童話で見た何処かの国の王女様を想起させるような整った容姿であった。

「あの子もこの町で暮らしているのかなあ?」

暫く別世界に迷い込んだ気分になっていたが、のどかな住宅地の裏路地を歩いていたらいつの間にか忘れてしまっていた。そうこうしているうちに駅前のケーキ屋に到着した。

ケーキ屋の名前は 「ガトー・デ・オリーブ」。スマートフォンの情報アプリによれば、地元の若い女の子に人気のお店なんだとか。ケーキの販売だけではなく店内に飲食可能なスペースがあり、喫茶店がわりに利用している人も多い。そのため、店内は小洒落た雰囲気となっており、入り口近くに飾ってある猫のぬいぐるみが特に可愛らしかった。

店に入ると先客の女性が1人ケーキを買っていた。やはりユイと同じくらいの年頃の女の子だった。

眼鏡をかけた黒髪のショートヘア。大人しそうな感じであった。そして、落ち込んでいるのか表情は暗く、ケーキ屋の店員との会話以外はずっと下を向いて、スマートフォンをいじっているようであった。店員さんは親しげにそして、馴れ馴れしくその子に話しかけていた。どうやら常連客であるようだ。

店員の声が大きく、一部の会話が聞こえてしまっていた。

「今日もたくさん買ってありがとうね!ノゾミちゃんにもよろしくね。おまけ入れといたから!元気で頑張ってね!応援してるよ!」

「はい…いつもありがとうございます。」

ケーキを二箱くらい購入し、その子は店を後にした。

店内のショーケースには、色々な種類のケーキが並んでいた。どれにしようか迷っていると先ほどの店員が声をかけてきた。

「お嬢ちゃん。どんなケーキを探してるの?」

「あっ、引越しの挨拶用にケーキを買いに来たんですけど…何かオススメはありますか。」

「引越し用のケーキね。それならこの春苺のショートケーキとこっちの新茶の抹茶ロールケーキなんかが人気よ。どっちも季節ものだから、この時期ではよく売れるのよ。」

「ありがとうございます。えーっと……じゃあ、可愛らしいからこの苺のショートケーキにします!」

「毎度、ありがとうございます! 」

ユイはケーキをアパートの人数分購入した後、さっきの店員から話しかけられた。

「お嬢ちゃん。もしかして緑高の新入生?」

「はい、今年一年生になります。ひだまり荘に越してきました。」

「この辺、学校と言ったらそこしかないものね。ひだまり荘ねえ…そう言えばさっきの子もひだまり荘の子だよ。一つ上だけど。」

「えっ、ケーキかぶっちゃわないかしら!」

「大丈夫よ。仕事用のケーキだから、あの子副業しているのよ。」

「へえ、どんな仕事をされてるんですか?」

「それはその子のポリシーだから言えないけど、自分では食べないから大丈夫だと思うわ。」

「…わ、わかりました。ありがとうございます」

ユイはケーキを購入した後、心に少しわだかまりを感じたままケーキ屋を後にした。


「ここまで随分歩いた気がするなあ…ちょっと疲れてきちゃったかな…少し休もうかな…」

アパートを出ること2時間はたっただろうか、引越しの整理の疲れもあり、疲労が蓄積していた。

「ケーキは保冷剤を入れてるから多少は持つだろうし、ちょっとここいらで休憩でもしてこうかな。」

ケーキ屋からひだまり荘までの道のりの丁度真ん中くらい距離のこじんまりとした公園があった。

公園の看板には「ひだまり公園」とかかれていた。公園の周りはベンチのほか遊具は滑り台とブランコしかなく、公園というよりは空き地に等しかった。

公園には人の気配がなく、ユイの貸し切り状態であった。

ユイは公園のベンチにゆっくりと腰掛け、荷物を自分の隣に置いて背伸びをした。

「よいしょっと!はあ〜疲れた。」

ユイは上を向いてみた。澄み渡る青い空。照りつける眩しい太陽。時折吹かれる心地よい風。風になびかれて漂う草原の香り。遠くでさえずる小鳥の声。穏やかな風景を体全体で感じていた。

誰もいない公園。この辺の平穏な心地よい雰囲気がたまらなく好きだった。

「この町の名前がひだまり町っていう理由がなんとなくわかる気がする!」

ユイは深呼吸をした。心地よい空気が体の中全体に循環していくのを感じた。このままずっとここでゆっくりとしたいと思ってしまう気分だった。


「この町、随分変わっちゃったね。あの頃とは何にも…かも」

突然、話しかけられたユイ。振り返ると見覚えのある自分と同い年頃の女の子が立っていた。

「でも、私は今の方が好きだな。こうやってのどかな方が落ち着いてるし、誰にも何にも言われない自由でいいし…」

思わずユイは尋ねた。

「あれ、どこかで会いましたっけ?」

「ほらっ、緑高受験の時、道に迷ってたじゃん。一緒に高校までいったじゃない!」

「…ああ、そういえば、駅前でおろおろしてました。まさか高校まで20分くらい歩くなんて、知らなくて……ってあなたも迷っていたじゃないですか!」

「ははは、これは失敬失敬。いやあ、バスでいこうとしたんだけど、お金が足りなくなっちゃって。駅の案内に徒歩20分て書いてあったし、歩ける距離にありそうだったから、歩こうと思って。」

「てか、バスがあったんだ!何で歩こうと思ったんだろう…何やってんだろう…私…」

「まあまあ。一緒に歩く人がいてくれて私すっごくうれしかったよ。結局受かったわけだし、こうして友達にもなれたじゃない!」

「そうだね…そういえば合格発表の時、『やったー!』って思い切りガッツポーズして叫んでたでしょ?目立ってたよ。」

「ははは、お恥ずかしいところを…失礼しました。」

「ふふふっ…って結局名前聞いてなかったね。」

「ああ、確かに。私はナナミ。阿部ナナミ。アブラナって呼んでいいよ!」

「なあ〜に〜そのあだ名!面白いー…ふふふ。私はユイ。新浜ユイ。私のことはユイって呼んで。」

「ユイとはまたいい名前ですなあ…。同じクラスになれるといいね。」

「ね。楽しみだね。…ところで、この町随分変わっちゃったとか言ってたけど、前にもこの町に来たことあるの?」

「ああ、私昔この町に住んでたんだよ。小学校5年生の頃まで。」

「へえ、そうだったんだ〜」

「あの頃は都会だったなあ〜。家の周りこんな大きいビルがたくさん並んでて〜。人もたくさんいて、物にたくさんあふれていた。ちょっと歩けば手に入らないものなんてなかった。もう4年か。時間がたつのも早いね。」

「そうだね…4年前だったっけ。ニュースで話題になってたね。なんでも空から降って来たんだよね。ミサイルの破片がいくつも…」


今から4年前。某国が大陸間弾道ミサイル発射実験を連日繰り返し、世界を騒がしていた。そして7月のある日。それは突然やってきた。日本に向けてミサイルを発射したのだ。日本政府はミサイル迎撃したが、ミサイルの断片がいくつもこの町に降り注いだ。高層ビルが立ち並び、活気のある、所謂『都会』だったこの町は一瞬にして火の海となった。多くの犠牲者、行方不明者を出し、戦後最大級の被害となった。連日メディアに取り上げられ、話題が絶えることはなかった。あれから4年経ち少しずつ復興してきてはいるものの、被害の爪跡は大きく、以前のような『都会』ほどの活気は見られていない。


「…あれは、突然だったなあ。あの時は雲ひとつない天気だった。私は夏休みでたまたま東京から帰省していた高校生のお姉ちゃんと風景画を描きに汽車で2、3駅いった所にある美日山(びひざん)に行ってたんだ。山の上から見えたんだ…自分の町が燃えて行くのを…あっちも、こっちも…あたり一面炎に包まれていた。私はお姉ちゃんに寄り添って泣いてるだけしかできなかった。」

「…そっか…大変だったんだね…」

「家族はみんな行方がわからなくなって、お姉ちゃんと私はこの町から少し離れた親戚の家に引き取られた。東京の有名な美術高校に通っていたお姉ちゃんは親戚の家の近くの学校に転校せざるを得なくなって…お姉ちゃん画家なるのが夢だったけど諦めて…でも高校は卒業して、今はこの町の近くで働いているよ。」

「…お姉さん、かわいそう、せっかくの美術高校をやめて、画家になる夢を諦めて…」

「でもね。私は今の方が良かったと思っているよ。」

「えっ?」

「今まで離れて暮らしていたお姉ちゃんが近くに住んでいるから、簡単に会えるようになるの。お姉ちゃんはほんとにこの町が大好きで…で、私もお姉ちゃんを追ってこの町の唯一の高校、緑高に行くことを許してもらって…。昨日この近くに越してきたの。独り暮らしするために。今、お姉ちゃんに会えるのを楽しみにしてるんだ。それにお姉ちゃん、『画なんていつでもかけるから』って言ってるし。暇さえあれば描いた画を送ってきてくれるんだよ。ほら。」

ナナミはポケットから携帯電話を取り出し、画像を見せはじめた。所謂「ガラケー」というカメラ付き携帯電話であった。古い機種のため画質は良くなかったが、美しい画であることはわかった。大きな橋の見える海沿いの公園の風景画だ。

「うわ〜凄い…上手…さすが美術家だね…美術館に来てるみたい。」

「職場の近くを描いたんだって。んでこっちもあるよ。」

風景画の他にも、人物画、静物画、ゴッホの『ひまわり』、モネの『睡蓮』、ミレーの『オフィーリア』など有名な画家の描いた絵画の模写などもあった。

「こういった有名な絵ってどこで描いてるの?」

「お姉ちゃん、美術館の案内人として働いてるの。美術作品に囲まれて毎日幸せだって言ってるよ。毎日の景色が作品だって。」

「なるほど〜。今の状況でも目一杯楽しんでるというわけなんだ。」

「そう。…ところで、ユイちゃんは買い物帰りだったのですかい?」

ナナミはユイの隣に置いてあった買い物袋を見ながら言った。

「あっ、これはお昼ご飯と、こっちは引っ越しの挨拶に買って来たケーキなんだ。」

「引っ越し…そっかあ、ユイちゃんもこの町に引っ越して来たんだ。新居はどこなの?」

「新居ってそんなあ…小さなアパートだよ。 高校の裏にある、ひだまり荘。」

「なんだ、私もひだまり荘だよ。ご近所さんだね。何号室?」

「そうだったんだ〜。私は204号室だよ。ナナミは?」

「私は203号室。じゃあ、ほんとにお隣なんだね〜。なんたる偶然。」

「ほんとにそうだね〜。受験の時、駅でばったりあった2人が同じ高校で、同じアパートでお隣同士なんて…すごい!運命的なものを感じちゃうね!」

「これで同じクラスだったら凄いよね。」

「このままの流れだったらそうなるかもしれないね。おんなじクラスになれるといいね。新学期が楽しみだなあ。」

「私は楽しみじゃないよ。遊んでいたいし、勉強するの嫌だなあ…」

「もう、ナナミったら、一緒に勉強するのも楽しいよ!」

「ええ〜。べ、ん、きょ、う、やる気が起きない〜。」

「まあまあ。ほら、ケーキ。これでやる気だそ!一緒に頑張ろうよ!」

「引っ越しの挨拶用のケーキでしょう…どれどれ〜」

「えっ、今たべちゃうの?」

「いいじゃない。持って帰るの面倒くさいし。いただきま〜す!…うん、美味しい!ユイちゃんありがとう!」

「もう、お行儀悪いんだからあ〜」

「まあまあ、お近づきのしるしにこれから一緒に帰りませんか。」

「えっ、あっこんな時間。確かにもう帰る時間だね。そうだね。帰ろう。一緒に。」

ユイは自分の腕時計を見た。午後4時55分。太陽も西の方に傾きはじめ、辺りも暗くなり始めようとしていた。

家を出てから3時間半はたっただろうか。ユイはベンチから腰を上げて経ち、ナナミの前に立って家路に向かう準備をした。

「あっ、せっかくだから連絡先交換しない?はいっこれが私のアカウント。」

「おおRINEですな。いいよ。はい私のも。」

2人はお互いの連絡先を交換した後、家路に向かって歩き出した。共に暮らすことになる新しい家。ひだまり荘へと続く道を。


突然、スピーカーから町内放送が流れはじめた。


「ひだまり町の皆様〜。ただいま午後5時、17時です。良い子のお友達は暗くなる前にお家に帰りましょう!また明日会いましょう!ひだまり町のご当地アイドル、サンシャインスターからでした〜」


ユイはその放送の声の主に聞き覚えがあったが、どこで聞いたか思い出せないでいた。

「私この声、聞いたことある!昨日。どっかで」ナナミは突然呟いた。

「ナナミも?私も今日、どこかで聞いたよ〜。どこで聞いたか忘れちゃったけど。」

「案外アイドルって、身近にいるもんなんだね。今度声の主に出会ったら、サインをいただこう!」


2人は談笑しながら歩いていると、いつの間にかひだまり荘の前に着いていた。

「ねえナナミ。せっかくだから、高校の下見しに行かない?…でももう暗いから校門の前までで」

「オッケー!」

2人はひだまり荘の裏手に回り、緑高まで歩き出した。徒歩3分。あっという間に着いてしまった。

緑高。建物自体はそこまで大きくないが、新しく建てられた新品の白い校舎だった。校門からは校舎以外は暗くてよく見えなかったが、建て直したばかりなので施設自体は綺麗だということは、容易に想像がついた。2人はこれから始まる新しい学園生活に期待を抱きはじめた。


「もう、寒くなってきたし帰ろうか。」

「そうだね。帰りますか。」

「うん。今日はありがとう。先に部屋行ってていいよ。私は引っ越しの挨拶があるから。」

「ユイちゃん。実は私もまだ挨拶してなかったんだよね。一緒についてきていい?」

「うん。いいよ。」

「確か私たち以外は全員1階だったよね…。101号室が大井さん。103号室が吉野さん。104号室に津田さんだった…はず。」

「そうだね。まずは手前の大井さんから挨拶しにいきますか。」


101号室の前についた2人。呼び鈴を鳴らしたが、しばらく待っても返答がなかった。

「あれ…留守なのかな。」

「そうだね。次行ってみようか。」

しかし、103号室、104号室に行って呼び鈴を押したが、やはり反応がなかった。

「みんなどうしちゃったのかな。」

「忙しいんでしょう。また明日出直そう。」

「そうね。ケーキは冷蔵庫にしまっておくよ。」

2人は階段を登って各々の部屋へ向かった。

「じゃあ私はここで…今日はいろいろありがとう。また連絡するよ。」

「待って、ナナミ、うちでご飯食べてかない?引っ越し蕎麦。独りで食べるの寂しいから。」

「おお。いいですな。じゃ遠慮なくゴチになります〜。」

「ちょっと待ってて、今開けるからね。」

ガチャ…ユイは鍵を開けて自分の部屋に入った。

部屋は荷物であふれていた。キッチンや洗面所は片付けられているものの、リビングの半分ダンボール箱で埋め尽くされていた。

ユイは思い出した。引っ越しの荷物を整理している途中で買い物にでかけてしまったのを。

「ごめん、ナナミ。荷物を整理している途中だった。散らかっててごめんね。」

「まあまあ、座る場所はあるではないですか。それにこういう窮屈なほうが生活感があふれて、親戚の家に引き取られた時の、なんていうの、こうドキドキした感じを思い出しちゃった。」

「ごめん…いま荷物をどかすから。」

リビングの真ん中にあったダンボール箱を隅の方に追いやり、テーブルと座布団を出した。

「じゃあそこで座って待ってて、いま料理するから〜。」

「了解で〜す。」

鍋に水を入れ沸騰させて、買ってきた乾麺の蕎麦を茹でる。ついでに買ってきたネギを切って薬味を作る。

10分ほどで出来上がった。

「一応、3人前全部茹でちゃった。食べきらないかもしれない…かな?」

「ありがとう。では、食べましょう。いただきま〜す。」

「いただきま〜す。」

2人はたわいのない会話を弾ませながら引っ越し蕎麦を堪能した。ユイは昼食を食べ損なったからだろうか、そばを完食した。蕎麦を食べ終わった後も2人はずっと話し続けていた。2人で一緒に話し合いはまるで同じ1つ屋根の下で暮らす家族が会話をしているようであった。気がつけば夜の9時を回っていた。


ひだまり荘の前に一台の車が停車した。ユイが先ほどすれ違った外車である。

車の中からあの容姿の整った少女と執事らしい男性が降りてきた。


「ユウカ様、都子みやこ様のことは我々にお任せして、安心して勉学に励まれてください。」

「…ありがとう。部屋の準備や新生活の準備はもう出来ているし、お母様のことはもう心配はしてないよ。独り暮らしもそのうち慣れてくるだろうし。じゃあおやすみ。」

「では、もう夜遅くですし、お身体を壊さぬよう、お気をつけて。おやすみなさいませ。ユウカ様。」

そう告げると彼女は静かに101号室へと入って行った。

男性はそのまま車に戻ると車はそのまま暗闇の中を走り去って行った。


それから少したった後、1人の少女がひだまり荘にやってきた。

ケーキ屋にいた、黒髪のショートヘアの女の子である。彼女は103号室に入って行った。そして部屋の照明をつけた。おもむろに部屋の掃除をし始めた。

「一昨日も掃除しにきたけど、やっぱり1日いないとホコリが溜まっちゃうのね…。」

ふとテーブルに立てかけてあった写真たてに目をやった。

小学生くらいのショートヘアの彼女ともう一人、同い年頃の女の子が仲良く並んで写っていた。

夏休みの時の写真だろうか。 彼女は無意識に写真を手にとった。

「…ノゾミ、あの頃は一緒にいっぱい遊んだね。楽しかった…楽しかったね……。ごめんね。今は仕事でいそがしくてあまり遊べなくて…じゃあもう寝るね。おやすみ。また会いに行くから。」

そういって手にとった写真を元に戻した。

掃除を終えて一通り部屋を綺麗にしたあと彼女は103号室を後にした。そして自分の部屋である104号室へとはいっていた。

ふと郵便受けに何か入っているのに気がついた。封筒だった。

「津田ヨウコ様…誰だろう。本名で送られてくるのは珍しいな…差出人は……ノゾミ!?」

ヨウコは部屋の中に入って封をきり、中に入っていた手紙を読んだ。


「ヨウコちゃんへ。こないだは遊びに来てくれてありがとう。お仕事が忙しいのにわざわざ時間をとってくれてごめんね。まだまだいっぱいお話ししたかった事があったけど、1日って短いし、なかなかお互いの都合がつかないね。私も状態が良くなったら、またひだまり荘でみんなと一緒に暮らしたいなって。勝浦さん、園瀬さんの卒業式と引っ越し前の打ち上げの動画ありがとう。卒業式と引っ越しのお見送り、行けなくてごめんね。…あっ、気がつけばもう新学期だね。ひだまり荘の新入生のみんなに会いたいなあって。どんな子が入ったのかなあ…。あと、私ついにRINE始めたんだ。私の連絡先登録してもらってもいいかな。あと、もしよかったら、新しくひだまり荘に来た子にも教えといてくれないかな。今年も勝浦さん、園瀬さんの時みたいにまた、みんなでいろいろやろうね。私もヨウコちゃんもそしてみんなも新しい世界へと歩み出しているんだね。お互い、前向いて頑張っていこう。頑張る。頑張るよ。あっ、またなんか面白いことあったら教えてね。ひだまり荘の事や緑高もね。 じゃあ、みんなによろしくね。楽しいお知らせ待ってます。 ノゾミ」


「…ノゾミ、大丈夫だよ。今年もきっと楽しい一年になるよ。…きっと。私もこの町のみんなの輝いた笑顔のために頑張るよ。ありがとう、ノゾミ。」

彼女の頬から一筋の涙がこぼれ落ちた。手紙を持っている手も震えていた…。手紙を封筒に戻し机の引き出しにそっとしまった。

そして、呟いた。

「…新しい世界か…この町も随分変わったなあ。昔と比べて。町並みも、人も。そして、私たちも。いろいろな事がいっぱいあったけど、みんな、みんなでこの町の新しい世界を作っているんだなって…」


その後、ヨウコはスマートフォンを取り出しノゾミのRINEの連絡先を登録した。そしてノゾミに向けて送信した。


「お手紙、ありがとう。ひだまり荘の新入生たちにあったら連絡先聞いておくね。またみんなでワイワイやろう。ひだまり荘で待ってます。きっとまたいつか。じゃ 今日はもうおやすみ。」




一方、204号室では

「もうすっかり遅くなっちゃったね〜。」

「ユイちゃん。もう帰るね。今日はいろいろ楽しかったね。ありがとう。ではでは、おやすみ。じゃあまた明日。」

「うん!また明日。おやすみなさ〜い。」

ナナミが帰ったあと引っ越しの整理が全然終わってなかった事に愕然とするユイ。相変わらず開けられていないダンボールがリビングの隅に放置されていた。

「…まあ、今日はいろいろあったし。まだまだ新学期まで時間があるし。これから整理してこう!」

「さて、今日はもうお風呂に入って寝る準備をしよっと。」


風呂から上がり寝間着に着替えたユイはそのままベッドに直行し、布団の中に入った。

「今日は本当にいろんな事があったなあ。この町をいろいろ回れたし、ナナミとおしゃべりしたり…引っ越しの挨拶と整理がまだだったなあ…まあそれはなんとかやってこう。新学期、どんな生活が始まるのかなあ…ワクワクして来ちゃった。」

ふと枕元に置いていたスマートフォンが鳴った。

「今日はいっぱいおしゃべりできて楽しかったね。また明日。おやすみ。」

ナナミからのRINEだった。こちらも返信をした。

「楽しかったね。また明日、おやすみ。」

ナナミからまた返信が来た。

「ところで高校の制服どんなんだったっけ。」

ユイもすかさず返信した。

「もう寝かせてよ〜。明日またいっぱい話そうよ。おやすみ。」


こうしてユイの新たな生活の1日目がゆっくりと幕を閉じた。みんなそれぞれ、色々な事情でこの町やひだまり荘へとやって来た。それぞれが自身の新しい世界を体感し、歩み出そうとしている。騒乱の渦中にあったこの町も生まれ変わり、新しい町へと変化してきていた。ユイたちの紡ぐ新しい物語は始まったばかりに過ぎない。それぞれ、期待や不安、希望など様々な感情を抱きながら新しい物語は描かれ続けていく。物語が積み重なっていく事でまた新たな世界が生まれていくのである。


ひだまり荘を巡る物語はこれからも続くー。


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