海
何となく書きたくなった短編。
描写力強化も少し兼ねてるかも。
没入感を意識したので文字どおり世界に入り込んでしていただけると幸いです
さよなら。
彼女が笑顔で俺を見送る、そんな夢だった。
別れを切り出したのは俺なのに、彼女の眼から涙ひとつ落ちないのを見て少々苛立ちを覚えた。
さよなら。
彼女が寂しげに俺を見送る、そんな夢だった。
そんな顔にしたのは俺なのに、彼女が引き留めようともしないのを見て少々悲しみを覚えた。
ー違う。
現実はこうじゃなかった。
ー
...遂に、世界が変わった。
紅い夕陽と橙色に輝く水面はいつしか消え、一日の終わりが始まる。
深い紺色に染まりつつある空とそれを銀色に跳ね返す大宇宙に私は何故だか不安を掻き立てられ、彼の左手を右手で強く握り締めた。
「...海は、生命の根元であり、また根源だ」ふと、彼が口を開く。
「海は様々な表情を見せてくれる。そして、教えてくれる」
「...何を?」私は首を傾げた。
「さあ、何だろうな。」彼はじっと前を見詰めて言うと、足を伸ばした。
彼の手に力は入っていない。
...月のない夜だった、けれども、明るかった。
ネオンも、ブルー・ライトもない夜は、不思議と私達にスポットをあてた。
「ちょっと...寒いかな」
静寂に耐えられなくて、口を繋ぐ。
「ねえ、帰りはどうするの?」
なんだか、気まずくてー
「まさか、野宿とか言わないよね?」
冗談めかしても、彼は前を見詰めて動かない。
死んでいるのかも知れない。
暗くてわからないだけで、もしかしたら静かに寝ているのかも知れない。
どうして...何も返してくれないの?
波音に全てを拐われたかのように、やはり彼は前を見詰めている。
「....雨が降りそうだ」また、彼が呟いた。
ー午前四時ー
終わりが始まってーまた、終わる。
ーその時だ。夢を見るのは。
ー
彼が最後に呟いて、数えられないほどの波音を聞いた。
一定のリズムで繰り返す適度な音...
私の眠気を確実に誘っていた。
何となく寝てはいけない気がして、足を伸ばした。
ふくらはぎの方に砂がついて少しばかり背筋が冷えた。
しっかりと離さなかった右手も段々と緩んでくる。
私が離せば、離れてしまう。
改めて、私は右手に温もりを感じようとした。
が、つい頭を垂れてしまう。
ちょっとだけ、髪の端が視界に映ったのが分かった。
呆けて、何を考えているのか自分でも分からなくなったころ、ふと全身の力が抜けた。
そして右手から温もりが消えた。
ー
重いまぶたを閉じないよう堪えていると、なにか二本の長いものが見えた。
二本の長いものはかろうじて砂との境目が分かる程度の海に踏み込んで行く。
「...んぇ..?」我ながら阿呆丸出しの声を出した。
何かを刺すような砂の音に水音が混じった瞬間、私は今の状況を理解した。
「待って!」
彼に声をかける。
彼は少しだけ振り向いた。
しかし歩みを止めることなく、水音は次第に深くなっていく。
「ねぇ!!」
慌てて砂場を駆ける。巻き起こった砂が靴下に入り込んだが、気にする暇はない。
「何考えてるの?!」
アスファルトの上ならものの数歩であろう砂浜は確実に私の足を取り、彼との距離を縮めさせない。
彼はもう腿まで浸かっていた。
一方の私はようやく海水に辿り着く。
「冷たっ?!ねえ、待ってって!」
靴を浸した海水は肌を刺すように冷たい。
「心臓麻痺するよ?!死んじゃうんだよ?!」
我慢して。彼が死んじゃうよ。自分に言い聞かせ凍える足を進める。
彼は腰まで水に浸かっていた。
「ねぇってば!どうしてこんなことしてるの?!」
状況は理解できても行動が理解できない。
「痛っ!」
突き出した岩盤で足首を打った。その勢いで手をつく。
私の膝まで飲み込んだ海は思ったより重かった。
「私が冷水苦手なの知ってるでしょ?!意地悪にも程が過ぎるよ!」
そんなはずは無いが、ただの意地悪であって欲しいと願いながら海水を掻き分けていく。
「ねぇ!!」
背中まで水に浸かった。
寒い。背筋がぞくぞくする。足も重くて、からだが言うことを聞かないのだ。
このまま引き返さないと私は低体温症かなんかで死んでしまうだろう。
いつしか空は雲に覆われていた。
「. ..はぁ...ぅ...ふぅ....」
叫びながらこんな環境で歩いていれば、息遣いも荒くなる。
「っ...」
私は歯をくいしばった。
もうここまでくれば、いや、かなり前から分かっていたことだが、わかってしまった。
認めることから逃避できる猶予...それも使いきってしまった、いや、元々無かったのかも知れない。
あとはもう、認めるしか無かった。
「どうして....」
荒い吐息に混じって声を絞りだす。
「どうして、死のうとするの?!」
彼の背中が止まった。
この機を逃すまいと濡れて重い髪を引っ張って彼に近寄っていく。
「疲れたんだ」
彼は一言、寂しげに言った。
「だからって...!」言葉を続けようとしたら海水が口に入った。
いつのまに深瀬まで来てしまっていたらしい。
また、波紋とは違うものが、私の頬を打った。
もうなにがなんなのか分からない。
頭を冷やそうにもとっくに冷えきっている。
「綺麗な終わりかたなんだ。」彼はまた寂しげな顔で返す。
「ふざけないでよ!!」
口元ぎりぎりまでせりあがる海水と頬を打つ雨音を掻き分けて、私は全力で叫んだ。
しかし全力は届かない。
ここまでのどんな想いよりも強い想いなのに、寒くて、凍えて、筋肉は硬直して。
一番伝えたかったことなのに、語気も、声量も、今までとほとんど変わらないのだ。
今までの全力よりもっと全力で叫びたいのに。
「全然きれいじゃないよ!!」かろうじて叫んだ唇は震えていた。
伝えたいことが伝わらない、非常にいらいらした。
水を吸った髪が重い。眼にささりそうな前髪を分けて、彼に向かって必死に進む。
そうだ、彼を連れ帰ったら、まず髪を切ろう...
「お前が死ぬぞ...早く引き返せ」彼はまだ顔を出したまま言った。
滴った前髪に隠れて表情は読めない。
「かってばっかり..!!」
邪魔なコートを脱ぎ捨て、動かない足を必死に動かしてブーツを脱ぎ、彼に押し進む。
「いわないでよ..!」
気付けば私は泣いていた。
眼に入った雨と、また涙を手の甲で拭い、海水を吐き捨て、進んでいく。
「もう、ておくれなのよ!!あなたのせいで!」
ようやく彼の背中に辿り着き、私はうわずったようなかすれたような、震え声で叫んだ。
直後に口の中に大量の海水が潜り込む。
叫んだもので、反射的に息を吸おうとして誤ってそれを呑んだ。
むせかえり、咳をしようと気管が開いたところにまた海水が潜り込む。
とうとう頭まで水に浸かった。
自分の吐いた空気がようやく見えた彼の背中をぼやかしてしまう。
かわりに冷たい海水が入り込む。
なんとか息をしようと口の回りを左手で覆う。
顔を...出せれば...!
もがき、沈み、浮上しようとさらにもがく。
なにが起こっているのかもうわからなかった。
誰かは言っていた。人は死ぬとき楽になる。
それならと、少しだけ死に対して気を楽に持っていた。
しかし死ぬ前には未だない苦痛を味わうのだと今理解した。
だが、
死ぬとかどうとか、今はどうでもいい。
右手を伸ばした。
ー二人で生きること、
彼の左袖を掴んだ。
それが大切なのだ。ー
その袖を引っ張り、襟まで自分の身を手繰り寄せると、襟元から首筋、首筋から背中に右手を突っ込んだ。
まだ少しでも残っている彼の温もりを感じた。
そして意地でも離すまいと抱き着いてー
ようやく海上に顔を出せた。
「ごほっ...げぼっ、かはっ!」
気管に入った水を必死に吐き出し、酸素を取り込もうと息を吸う。
「ば....か.....っ!!げほっ!げほっ!!」
「...ごめんな」
海にきて、初めて、彼が私を抱いた。
初めて彼から私に触れた。
「俺に、しがみつけ。なんとか浅瀬まで移動する」
海水を出し切り、左手を彼の肩に回した。
私がむせると彼は私の背中を優しく叩いた。
どれぐらいがたったろう、二人の腰まで水位が下がると、二人で肩を抱き合ってゆっくりとだが歩いた。
雨は止み、灰色が終わりが終わるのを空いっぱいに表現する。
一瞬その広大さに心奪われた。
けど、靴下で歩く湿った砂浜はとてもきもちわるかった。
砂浜を越えて、少しだけ歩いたところにある放置された民家に二人で入った。
アスファルトは砂浜より歩きやすかったが、かかとが痛くなった。
彼が肩を抱いてくれるお陰でなんとか私は歩けた。
そして民家の風呂場に、砂と潮にまみれた私は倒れ込んだ。
ー
「起きろ」彼が私を揺すった。
「なに...?」目をこすり彼を見つめる
「体暖めないと死ぬぞ」
「えっ?」なにやら物騒なことを言われたので半身を慌てて起こす。
「あれ?」
どうしてこんな格好で寝ていたのだろう。
大きなタオルを一枚、体にかけただけの状態であった。
なにやら体がべたつく。
ハンガーにかけられたタオルの端についている砂がなにかを思い起こさせた。
「あっ、...そっか」海にいたことを思いだした。
喉が痛い。
「すぐに浴槽に入れ」彼は小さめの浴槽を指さした。
「水道が生きてるのは奇跡的だったな...」彼が何やら呟きながら二つの蛇口を捻る。
「あなたは...?」
「シャワーでも先に浴びてるから気にするな」
「どうしてわたしタオル一枚なの?」
「あのままだと低体温で死ぬから、濡れた衣服を脱がせてタオルで拭いといた」
死ぬ.....
「あ、そうだ!!」
倒れる前起こったことを全て思いだした。
「どうして死のうとしたのよ!」彼に掴みかかる。
「疲れたんだ。言ったろ。だけどよくよく考えれば大丈夫なことに気が付いて、やめた」彼は掴みかかった私を軽くほどくと持ち上げ、浴槽に尻から突っ込んだ。
「いった...」
「ごめんな、命の危険にまでさらして」彼はちっとも申し訳なくなさそうに言う。
なにに疲れたのか、またなにが大丈夫なのか語ろうとはしなかった。
私も追求はしなかった。
彼ではないけど、自己完結に介入されるのが嫌いなあの人を思い出して。
あたたかいお湯が冷えきった身体を満たしていく。
そして風呂をあがり、残されていた寝巻きと布団を拝借して、もう離れないかもしれないのに彼に抱きついて眠りについた。
凄まじい疲労感と彼の私を撫でる左手がとても心地よかった。
余談だけど、二人して翌日の夕方に目が覚めたときの衝撃は計り知れないものだった。
執筆開始 21;30
終了 4;30
一気に書き上げました←
思わせ振りな描写がいくつかありますが設定を他の小説から流用したがゆえの弊害です()
もとは組み込むつもりだったけど上手く行きそうにないので...←