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お月さま色した、猫  作者: 久世ひろみ
3章
9/32

森でのくらし


 昼も幾分か過ぎた頃、猫は呼ばれた気がして目を覚ました。

 しばらくぼんやりした後、ふと違和感があった気がして、目をぱちぱちさせる。


「……魔法使い?」


 違和感の正体は、隣に寝ていた筈の魔法使いのぬくもりがないこと、だった。

 それに気付いて起き上がる。眠い目をこすり、見渡した室内に彼の姿はなかった。


(どこ、行ったんだろう?)


 思って、猫は不安げにひげとしっぽを垂らした。

 目を覚まして、魔法使いがそばにいなかったことなんて、今までで一度だってなかった。だから、どうしていいか分からなくて、クッションの上から動けなかった。


 きょろきょろと、せわしなく動く猫の目が、ふと窓で止まる。

 窓の向こうは抜けるような青い空だった。いつもよりも高い場所にある太陽に、今日は少しだけ早起きをしたのかなぁ、と思う。


(探しに行こう)


 そばにいないなら、探せばいい。思い立って、猫はクッションの上から飛び降りた。

 魔法使いは、いつだって猫のそばにいてくれたから、彼を探そうと思ったのは初めてのことだった。だから、少しだけわくわくする。

 魔法使い、どこにいるのかなぁ。そう思いながら、猫は彼が寝ていたシーツを踏む。肉球に触れる温度は冷たくて、さびしくなる心は見ないふりにした。

 ベッドから降りて、少し隙間のあいたドアから出ると、古い木と埃のにおいがした。


(そういえば、こうやって館の中を歩くのは初めてかもしれない)


 気づくとなんだかおかしくて、猫はふふふ、と笑う。

 もう随分長いことここにいるのに、こうして陽の下で見て回るのは初めてだった。宵の口に魔法使いを見送ったら、まっすぐ森へ出ていたし、明け方に帰っても薄暗い中をベランダに直行する。だから、こうしてゆっくりと館の中を見るのは、なんだかおかしな気持ちになった。

 でもなんだか楽しくて、猫はいつも魔法使いに抱かれて通る廊下を、ゆっくり見て歩いた。


 等間隔で並ぶ縦長の窓も、歩く度に音を立てる古い床板も、今まで気にも留めていなかった閉じられたドアも、何もかもが初めて見るもののように思えた。

 ずっとここで暮してきたのに、初めて見る物ばかりなんて面白いな。今度、夜に森じゃなくてこの館を探検してみるのもいいかもしれない。そんなことを考えながら、猫はてくてく歩いた。


 しばらく進むと、ようやく開いているドアを見つけた。猫がぎりぎり通れるくらいの隙間から顔を出せば、窓のところに人影を見つけてうれしくなる。

 魔法使いは、ただじっと青空を見上げていた。

 そろりと近づき、足元に座り込んでみても、彼は視線を動かすことはない。


 なんだか、声をかけてはいけない気がした。何かを考えているような雰囲気を纏う彼を見上げ、猫はただそこにいられることが幸せだった

 きっと、彼は猫がそこにいることを知っている。じぃっと見つめる視線に気づいていて、それでも空から目を離さない。

 空は抜けるような青で、雲がゆったりと浮かんでいた。館の二階にあるこの部屋から森の緑がよく見えて、凪いだ空気に、時折木の葉が揺れてさわさわと鳴る。

 そんな静寂に包まれた森を、けれど魔法使いはどこか鋭い目で見ていた。

 穏やか、というには静かすぎる。鳥の姿も、獣の声さえ聞こえない森は、息をひそめているかのようで、彼は、何かを肌で感じていた。


 きっと、何かある。

 それは確信にも近い。


「猫」

「なぁに?」


 急に響いた声に、猫は大して驚きもせずに答える。魔法使いは相変わらず猫を見ないまま、でも猫はうれしそうに笑った。


「猫はどうして、私のそばにいる」


 問われて、猫はきょとんと首を傾げた。

 どうして、そばに。その質問の意味が分からない、とでも言うように。

 分らないから、猫は黙ったまま彼を見上げた。自分を見ようとしない魔法使いをただ見つめて、そうして言葉を待っていたけれど、彼の口が再び開くことはない。

 だから、分らないなりに考えた。

 どうして。魔法使いのそばに、どうしているんだろう。

 そんなこと、考えたことさえなかった。今までそれが当たり前だと思ってきたから。理由、なんて必要すらなかったけれど、魔法使いが今問うているのは、その理由。

 猫は窓の手すりに飛び乗った。空を見続ける彼を、正面から覗き込む。


「理由なんて、ないよう」


 それだけ言うと、へにゃりと破顔した。

 理由なんてない。どうしてと考えても、そばにいるのが当たり前で、それ以外なんて考えられないから、そのままを言葉にした。


 今までずっとそれが当たり前だったから。そう答えれば、彼は虚を突かれたように猫を見下ろして、少しの間沈黙した。その瞳から感情を読み取ることはできなかった。けれど、魔法使いのこげ茶色の瞳に自分の姿が映っているのが見えて、猫はえへへと笑う。

 それを眺め、不意に視線を動かした魔法使いは、虚空を優しく掴むような仕草をした。ぱきん、と乾いた音が響き、魔法使いは猫を見る。


「……あ」

「『星くず』だ。私以外には、砕けて初めて見える」


 猫の前で開かれた手の中には、キラキラと儚く光る、透明な「星くず」があった。

 さらさらとした砂のようなそれは、手からこぼれ、粉雪のように舞い落ちる。床に届く前に溶けるように消えてしまったそれを、猫はうっとりと見つめていた。


(「星くず」は、きれいだ)


 猫の持っている青いガラス玉みたいな「星くず」も好きだけれど、透明なのもきれいだから、好きだ。

 そう思って、ふと思い立つ。


「あたしのは、どうして見えるの?」


 疑問はそのまま言葉になった。


 魔法使いのくれた「星くず」は、青いガラス玉みたいな形をしている。もらった時に、それは砕ける前の「星くず」なのだと教えてくれた。

 でも、今見せてくれたのは透明な「星くず」。砕けるまでは、魔法使いにしか見えないモノ。なら、どうして猫の「星くず」は見ることができるの? そう問えば、魔法使いは猫をそっと抱きあげた。


「あれは、特別な『星くず』だからだ」


 猫を優しく抱き、ゆったりと流れる雲を見上げながら、彼は低く言う。その声音はいつもよりもずっと低くて、どこか苦しそうで、泣きそうだった。


「猫に渡したのは、強い魔法と、魔力と、悲しみから生まれた『月の涙』の欠片」


 それ故に青く、目で見ることができる。

 そう続ける彼に、猫はふぅん、と相槌を打つ。


「月が、泣いたの?」

「そうだ。月が――世界が泣いた夜に生まれた欠片だ」


 魔法使いが頷く。それを聞きながら、猫は今ヴィアが持っている青い「星くず」を思い出した。


 淡い青の、涙の粒が欠けたような欠片。あれを見ていると、悲しくなった。胸の奥がちくちくして、苦しいような、切ないような、そんな気持ちになる。きっとそれは、月が泣いたからなんだな、と猫は納得した。


 魔法使いの言葉は重くて難しかったけれど、なんとなく、理解できた。

 「星くず」は悲しい心の欠片。猫が持っていたのは、悲しいだけじゃない欠片。だから青くて、特別な「月の涙の欠片」。

 そっかぁ、と気の抜けたように呟く猫を、魔法使いはくすぐるようにそっと撫でた。


 さらさら、と毛を滑る感触に、幸せだなぁ、と思う。ずっとずっと、こうして撫でられていたいな。抱きしめられたいな。そんなことを思いながら、そっと目を閉じた。


 魔法使いは、猫にしか分らないくらい僅かに、微笑んだのだった。



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