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Crossing,  作者: TOKIA
9/15

父と娘と雪だるま

春が過ぎ、夏を通って、秋が終わり、冬が来て。

真白の花弁が天から舞い、大地を覆い隠していく。

昨日の夜から降り始めた雪は、たった一晩で三十センチほど積もった。

その光景は美しく幻想的であり、羽が翼から抜け落ちていくように物悲しくも見える。

この冬初めての雪は近年稀にみる大雪だった。

朝、いつものように目覚めた俺はパジャマのまま新聞を取りに玄関を開けた。

雪はまだ降り続いていてアパートの前の道路はすっかり埋まっている。真っすぐ平らに積もった雪面に乱れはなく、毎日この時間犬の散歩で通るはずのおばさんの姿もない。


……サボったな。


「ゆーきやこんこっ♪あーられやこんこっ♪」


鼻にかかった歌声。

階下の庭先から聞こえてくる。


「ふんふーふ、ふんふーふ、ふんふんふーふふん♪」


……………


微妙に音程がズレた鼻歌がエンドレスで流れる。


「ゆーきーやこんこっ♪」


また出だしに戻った。

もしかして歌詞の続きを知らないのか。


まだ朝の七時前。

朝日も昇り切らない内から何をやってるんだろう。


つっかけを履いて、覗いてみると赤と白の物体が蠢いていた。

下半身が雪で埋もれている。着のみ着のまま、長靴だけは履いてるみたいだが、ちっちゃな手の平は素手で雪を触れていたせいで真っ赤だ。寝癖も直さないまま飛び出したのか、おでことかスゴい事になってる。髪がところどころ白い。


夢中になって雪と戯れる姿は、まるで妖精みたいだ。

なんだか、ずっと見ていたい気もする。


「伊澄」


それをじっと我慢して呼び掛ける。


「おーい、伊澄ってば」

「~~~♪」

「いーすーみーっ」


伊澄はご機嫌に駆け回り、声を大きくしてみてもまったく気付く様子がない。

……妖精というか犬みたいに見えてきた。

一旦、部屋に戻って着替えを済ます。伊澄のコートとマフラー、手袋を持って改めて外に出た。


「こらっ、伊澄っ」

「あっ、パパー」


やっと気付いた。


「一人で外に出ちゃダメだって、いつも言ってるだろ」

「あう」


コートを着せて首にマフラーをぐるぐると巻いてやる。


「っくちゅん」


くしゃみをすると鼻水が垂れた。

ポケットティッシュを取り出して赤くなった鼻をかませる。


「ほら、ちーんして」

「ちーん」

「まったく……風邪引いたらどうするんだ?幼稚園行けなくなるぞ」


言いながら、すっかり霜焼けになった手の平を擦って手袋をはめてやる。


「ごめんなしゃい……」

「雪で遊べるのがそんなに嬉しかったのか」

「うん」


こっくりと頷く。

無理もないか。伊澄が生まれてから雪遊びが出来るほど積もったのは初めてだし。

とはいえ風邪を引いてしまったら元も子もない。


「一回、家に入ろう」

「やーっ」

「こら、ワガママ言わないの」

「うーっ」


すっ、と手を伸ばし伊澄の頭をくしゃっと撫でる。


「ちゃんと着替えて、朝ご飯食べたらまた遊んでいいから」

「……ほんとー?」

「ほんとほんと。それとも、伊澄はお友達と遊ぶときもパジャマのまま遊ぶのか?」

「んーん」

「だろー?だから、ちゃあんと着替えてから遊ぼうな」

「……うん」

「よーし、いい子だ」


ひょいっと伊澄の小さな体を抱き抱える。


「じゃあ戻るぞー」

「うんっ」


そうして、俺達は急いで部屋に戻った。伊澄の体はすっかりと冷えていた。


……………


………


「おいしー」


口の周りを汚して伊澄が微笑む。


「おかわり食べるか?」

「うんっ、ちょーだいっ」

「はいはい」


こたつにちょこんと腰をおろして、おとなしく待つ伊澄。

これだけ美味そうに食ってもらえるなら作り甲斐もあるというものだ。


「ほら、山盛りにしといたからな。たくさん食えよー」

「食べゆー。パパ、あいがとー」


舌っ足らずに朝飯を掻き込む伊澄をよしよし、と優しく撫でてやる。


「はむ?」


スプーンを加えて――そろそろ箸の練習もさせないとな――不思議そうに俺の目を見上げてくる。

伊澄の目は母親のそれによく似ている。

目だけじゃなく、鼻も口も。あいつを、そのまま小さくしたらこんな感じだろう。それ程、伊澄は母親によく似ていた。


「ごちそさまー」


おなかいっぱーい、と言って立ち上がった伊澄の瞳がにわかに輝き出した。

防寒具を持って期待感に満ちた表情で俺を呼ぶ。


「パパーっ」

「はいはい、ちょっと待っててな」


我が娘ながら、わかりやすい奴だ。

苦笑しながら洗い物をさっと済ませる。


「よーし、じゃ、いっぱいあったかくして行こうなー」


上着に手袋、マフラーを順に着せていく。


「んぎゅ」


最後に帽子を目深にかぶらせて準備万端。


「よし、終わりっ」

「いってきまあすっ」


伊澄はあっというまに銀世界へと飛び出して行った。俺もそのあとに続く。


……………


楽しそうに雪遊びに興じる伊澄の姿。

せっせと懸命に雪の玉を転がしている。


「ゆーきやこんこっ♪あーられやこんこっ♪」


また歌ってる。

定番の童謡がお気に入りらしい。

膝の上で頬杖をついて伊澄を眺める。


「…………」


子供の成長は早い。

母の胸に抱かれて眠っていた伊澄を、今も鮮明に思い出せる。


伊澄がこの世に生まれ出てから五年。


四苦八苦しながら見つめ続けた決して楽ではなかった五年間。それでも絶対に幸せだったと胸を張って言える五年間。

それは俺達が力を合わせて、必死で頑張った結果に手に入れたものだった。


「パパーっ」


伊澄の呼ぶ声に顔を上げる。


「んー?」

「こえ見てーっ」

「おー」


俺達の暮らすアパートのさほど広くない庭。

未だ降り続く雪に埋まったそこには伊澄の他にも冬のお客さんが、やってきていた。


「ゆきだうまー」


丸い球体が二つ縦に積まれていた。小さい伊澄の背丈よりも、さらに少しだけ小さな雪だるま。

形は少し歪でじゃがいもみたいになってるが十分上手く出来てると思う。


「すごいなー伊澄、よくできたなあ」

「えへえ」


嬉しそうにはにかむ。


「あー、でも顔とか腕がないのか」

「かお?」

「目とか鼻とか口な」

「うー」


口を尖らせる。


「よし、ちょっと待ってな」

「う?」

「石でこうしてな……バケツをかぶせて…」

「わああ」


のっぺらぼうの雪だるまに石や枝で顔と手を作っていく。


「で、最後に鼻を……」


手元に人参がないので大きめの石で代用すると、それは出来上がった。


「しゅごーい、かあいーねーっ。パパ、あいがとーっ」


くしゃりと笑う伊澄。飛び跳ねて喜ぶ姿に、俺も嬉くなる。

いつまでも続けばいいな、と思う。こんな時間が。白い世界の中で。

夢みたいなふわふわとした幸福観は空恐ろしくもある。それでも俺は歩こう。彼女と。日常と言う名の遥かな旅路を。


“俺達”は歩き続けよう。


いつかやってくる終焉の時まで。

――どこまでも、高く高くはばたいていく天使を見届けて。


……………


………


「よっ」


広めの部屋に大きめベッドが一つ。


「あ、パパさんじゃないですか」

「調子はどうだ、ママさん」


そこにいる人がリラックス出来るようにとさまざまな工夫がされた空間。

文庫本を広げた女性が一人。


「調子はいいですよ。先生も産後の経過は順調だと言ってました」

「そりゃなにより」


言ってベッド脇のパイプ椅子に腰を降ろした。


「これ、みやげな、シュークリーム」


黄色い包みを台に置く。


「わあ、ありがとうございます」

「食事制限とかないよな?」

「病気じゃないんですから、あるわけないです」


言った頃にはもう包みを開いて、中身を吟味していた。


「おまえ、手出すの早すぎ」

「気にしたら負けです」

「一人で全部食うなよ」

「四つ入ってますね」

「こいつの分もあるからな」

「でも伊澄、寝ちゃってますね」

「ああ」


雪遊びに飽きた伊澄に母親のところへ連れていけと、せがまれたのが三十分程前。伊澄は今、俺の腕の中ですやすやと寝息を立てている。病院に向かう途中で眠ってしまったのだ。


「さんざん遊んだからな、疲れたんだろ」


抱く腕を持ちかえる。


「パパと遊べたのが楽しかったんですよ」

「どうだかなあ」

「この子はパパが大好きですから」

「だと嬉しいけど」


苦笑が浮かぶ。


「やっぱり母親の方が安心出来るんだと思う。今日も、どことなく淋しそうにしてたから」

「ふふ」


慈しむように伊澄の寝顔を見つめる。紛れもない母の顔で。


「赤ん坊、元気か?」

「今、寝てます」


布団をめくると小さな姿が現われた。

姉同様に寝息を立て、よく眠っている。


「サルみたいな顔だな」

「まだ生まれたばかりですからね」


幼い生命。弱くて、小さくて、でも確かに生きている。伊澄が生まれた日にはその事を強く実感したものだが今、改めて感動を覚える。


「明後日退院だっけ?」

「何事もなければ、そうなります」

「じゃ明後日、迎えに来る」

「ありがとうございます」


家族。

優しくて温かな俺の居場所。これから先、どこへ行こうとも帰ってこれる。


俺と一緒に歩んでくれる人と、その先を見てくれる娘達。


「シュークリーム、食えよ」

「はい、いただきます」


何年も前に始まった俺達の物語。いくつもの試練を超えて、遠回りをしながら、一つ一つ大切な物を手に入れて……それでも、まだまだ。


俺達はその後、目を覚ました伊澄と家族全員でシュークリームを食べた。




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