陸上と謙遜とマッサージ
『―――男子百メートル予選第二組の順位をお知らせします………第一位、ゼッケンNo.121、四コース、霧谷中、潮崎一誠君、タイム11秒63………第二位―――』
今日一本目のレースが終わりその結果が放送で知らされる。
俺はそれを聞きながら陸上部の青いチームジャージをはおった。よしよし、まずは第一関門突破、と。
天気にも恵まれて、風も穏やか。トラックのスタートからゴールに向かって吹いてるし、これくらいの風なら追い風参考にはならない。体調もなかなか良い感じで、このコンディションなら自己新狙えるかもしれない。
「よくやった、潮崎。じきに準決勝だから、体を休めとけ」
「はい」
キャプテンに声をかけられ自校のテントに引っ込む。
これが競技場ならちゃんとした控室があるんだけど、今日は公式の大会じゃあないからそんなもんはない。四校対抗戦と言って、近隣の四つの中学が集まった大きな練習試合みたいなものだ。ただ毎年恒例になってるだけに、どの中学も結構気合い入ってて人によっては大会よりこっちに調子を合わせる人もいる。
俺も二年になって初のまともな試合だから気合い入れて練習してきた。
さっきのレースなんてスタートミスってかなりバタバタしてしまった。タイミング合わなくて出遅れた。ちょっと緊張してたみたい。スタートは昔から苦手なんだけどね。
「潮崎君、お疲れ様」
「うい。お疲れー」
「はい、水分補給して」 「お、サンキュ」
「いえいえ」
にっこり笑ってボトルを差し出してきたのは坂口若葉。陸上部の仲間でクラスメイトでもある。
「あ、女子の五千、どうだったの? 俺、そんときアップしてたから見れなかったんだけど」
ドリンクをチューチュー吸いながら尋ねた。あ、これ坂口スペシャル(ハチミツが入ってるスポーツドリンク)だ。
「佳恵は予選落ちだけど美紀は準決残ったよ」
「へえ。坂口は? 二百、どうだった?」
「うん。残ったよ」
俺の質問に待ってましたとばかりに嬉しそうに答えた。
「お、やったじゃん。おめでとう」
「ありがとう」
「それで初の予選突破の感想は?」
「めちゃめちゃ嬉しいです。今までで一番いい走りが出来て気持ち良かった」
「そっか。それならよかった」
本当に本当に嬉しそうだから、俺も嬉しい。よかったよかった。
「潮崎君が色々アドバイスしてくれたおかげだね」
「いやいやいや。坂口が頑張ったからだって。すげえ練習してたもんな」
「そうかな………でも私一人の力じゃ無理だったと思うから。だから、ありがとう」
ペコリと頭を下げた。うーん、照れるね、なんとも。本当、俺なんて大した事してないのに。
「こらこら、もうこれで満足みたいな事言わないの。まだ準決が残ってるんだから。次も頑張れ」
「あ、そっか」
って、忘れてたんかい。
「目指せ決勝、だ」
「え、いや、それは難しいと思うけど………でも、次も頑張るから、見ててね」
「オッケー。任せときなさい。坂口が恥ずかしくなるくらいの大声援を送ってやるからな」
「うわ、それはやめて」
「えー」
半分本気だったのに。でも、もし坂口がマジで決勝行ったら大声出るって。うん、間違いない。
「そっちは予選、余裕だったね。さすが潮崎君」
「んー、スタート思いっきりミスったけどね」
「それでも一位になっちゃうんだから、やっぱりすごいと思うけど」
「俺なんか、まだまだだって。速いヤツいっぱいいるし。皆、すげえな」
一位ったって全体のタイムで言えば三番目だしね。本当、俺なんか大した事ない。最終組の一位の人とかバカっ速くてビビった。
「私は潮崎君の方がすごいと思う」
「え?」
「今日出てる人の中なら潮崎君が絶対一番速いよ。うん、優勝出来る」
「いやいやいや無理無理無理。坂口さん、一位のタイム見て言ってますか? 勝てないって、あんなの」
予選一位の人と俺のタイム差は約0.4秒差。短距離での0.4秒差は物凄く大きい。そんな簡単に縮められる差じゃない。
「勝てるよ」
なのに坂口はやけにきっぱり断言してくれる。
「潮崎君、さっきのレース、ゴール前で流してたでしょ? スタート決めて、最後まで追えば楽勝だよ、潮崎君なら」
いや、スタートはまだしもゴール前流してたのは相手も一緒な訳で。
「スプリンターは生まれつきだもん。私にはそんな才能ないけど潮崎君には、それがあるんだから」
「うーん………ないと思うけど」
素直に頷けない。だって俺だよ? 凡人を絵に描いた様な男だよ?
そりゃそんな風に言われて悪い気はしないけどね。
「絶対ある。 潮崎君を一番見てきた私が言うんだから間違いないよ」
「……………」
なんかさらりと恥ずかしい事を言われた気がしますよ。
「だから、ね? 優勝しよう」
「しようって言われて出来るなら苦労しませんが………とりあえず全力を尽くします」
「まずは準決勝だね」
むん、と何故か俺より気合いが入ってる坂口。
こりゃ勝てないまでも頑張らないとね。なんとか坂口を喜ばせたいもんだが。やっぱ、ちょっと厳しいかなと思う。
「潮崎君、足出して」
「ん? はい」
言われた通り、ひょいと坂口の方に右足を伸ばすと、太股に坂口の掌が触れた。ちょ、ま、こしょばい。
「うぇっ!? 何!?」
「こら。動かさないで」
「いや、だから何?」
「マッサージするの。だから、ジッとしてて」
「マッサージ?」
…………気持ちはありがたいけど大丈夫なんだろーか? なんか不安。
「………………」
「もうっ。そんな心配そうにしなくても大丈夫。こう見えても私、マッサージ上手いんだから」
「初耳だ」
とりあえず言われるがままジッとして、成されるがままマッサージされる。
あ、気持ちいいかも。
「どうかな? 気持ちいい?」
「かなり。ちょっと変な声出そう」
「よかったぁ。じゃもう少し続けるね」
…………今のボケはスルーされると痛い。
「…………よろしく。ってか、まだ坂口もレースあるのにいいのか?」
「いいの。潮崎君には優勝してもらうんだから」
そんなプレッシャーかけないでほしいんだけどな。マッサージしてもらってる手前、そんな事言えないし。
今更マッサージするなとも言えないし、なあ………。
「ま、頑張るよ」
「うん、頑張って」
坂口が手を動かしたまま顔を上げた。上目使いって可愛いなとか思ってしまった。
優勝、ね。
「私、応援するから」
「ありがと。ドリンクといい、マッサージといい、なんか至れり尽せりだな」
「気にしないで。私が勝手にやってるだけだから………もし迷惑だったら言って」
「迷惑なわけないって」
俺がどれだけ坂口に助けられてるか。その自覚がないのも俺が坂口の好きなとこだな。
「坂口には、すげー感謝してるから」
「えっと………」
反応に困ったような坂口の表情。
「本当に?」
「マジマジ、大マジ。だから、坂口さえ良ければこれからもよろしく」
坂口が優勝してと言うのなら。
「うん、こちらこそ」
してやろうじゃないかという気持ちになってきた。
男って単純だね。
・
その日、俺は自己ベストを更新して優勝した。
坂口は我が事の様に喜んでくれて、俺は勝った事よりそれが嬉しかった。
人間、やれば出来るもんだな。
「次は夏大だね」
と、言われたのには困ったけど。
「一緒に頑張ろう」
って答えておいた。