バカップルの彼氏の方と両親と妹
バカップルシリーズの4
「ただいまー……」
超小声で自宅玄関のドアを開ける。
光月の家に泊まった翌朝である。色々いっぱいいっぱいだったので次の日が学校だって事がすっかり頭から抜け落ちてた。何の用意もなしに泊まったので制服やら何やらは当然自宅に置きっ放し。学校を休むわけにもいかないのでこんなアホみたいに早い時間から帰宅と相成ったのだ。ちなみに今は朝の四時半。クッソ眠い。いや、早すぎだろ、と思うかもしれないが家族が寝てる間に帰って、さっさと学校へ行ってしまおうという姑息な作戦である。朝帰りしちゃってるので遅かれ早かれ怒られると思うけどしょうがないじゃん、怖いんだもん。一応アリバイ工作はしたけどなんか母親には全部バレてる気がする。すげえ勘がいいんだよ、あの人。
シーンとした家の中を自分の部屋までコッソリ向かう。作戦は順調……と、そんな風に思ってた俺が甘かった。
「おかえり」
「…………」
途中、リビングの前を横切ろうとした所で声を掛けられた。ギクリと固まって、振り返ると母親が腕を組んで壁に寄りかかりながら笑って立っていた。ただし顔は笑ってても目は全然笑ってない。
「か、母さん。おはよう。早いね」
「おはよう。不良息子からふざけたメールが来たから、これは叱ってやらないとと思って寝ないで待ってたのよ」
「…………」
ひい。
ーー
はい。めっちゃ怒られました。正座で説教されながらスリッパで50回くらい頭叩かれた。ゴキブリもビックリだよ。あとメールで友達の家に泊まる、って言ったのもやっぱり嘘だとバレバレだった。
「あんた、前の日から光月ちゃんとデートだって浮かれてたでしょうが。むしろ何でバレないと思ったの」
心底アホを見る目で言われてちょっと傷ついたが、たしかに俺がアホだわ、それは。
「私が何でこんなに怒ってるか分かる?」
「嘘をついたからでしょうか……?」
「うん、それもあるね。嘘っていうにはお粗末過ぎて笑っちゃうけど」
「ぐっ……」
「あんた、そういう誤魔化しとか嘘とかヘッタクソなんだから下手な小細工しなきゃいいのに。アホねえ。あたしの息子とは思えんわ」
ケラケラと笑う母。何もそこまで言わなくても良くない? 仮にも息子になんつーブラックな冗談飛ばすのか。
母さんは女性にしては長身でスラッとした美人だ。調子に乗るから本人には言わないが実年齢から考えると相当若く見える。ただこの性格のせいで多分色々損してると思う。……父さんと出会ってなかったらこの人どうなってたんだろ。
俺が黙っていると、母さんは急に真顔になる。
「あたしが一番怒ってるのはねえ、嘘ついた事も含めて、あんたの不誠実さに対してよ」
「ああ、うん……」
言いたい事はわかる。確かに昨日の俺は不誠実だった。一晩寝たら罪悪感が余計に沸いてきた。理性って大事だね。
「別にねえ。あんたみたいな年頃の男子なんて盛りのついた猿みたいなもんなんだから、そういう事を我慢しろなんて狭量な事はあたしも言わないわよ」
「待て」
色々待て。
「ぶっちゃけあたしも若い頃は似たようなもんだったしね?」
「待てって言ってるのに何で言うの!? 母親のそんな話、聞きたくねーよ!?」
「お父さんが若い頃はそりゃあハンサムでねえ……今でも素敵だけど」
「しかも父さんとの話!? 余計にいやだわ!」
あと今日びハンサムって言わないよね。死語だろ。スリッパで叩かれたくないから言わないけど。
「つーか、なんで俺がそういう事してる前提で話がすすんでるのかがわかんない」
「え? あんな可愛い子と付き合ってて、してないとは言わせないわよ?」
「い、いや、まあ……光月が可愛いことに異論はないけど……」
「あ、男が惚気ても気色悪いだけだからやめてね」
ウッザ! この母ウッザ!
「あんた如きが光月ちゃんみたいな超いい子に付き合ってもらってるんだから大事にするのは大前提として。手を出さないなんてむしろ失礼に当たるわ」
「いや、その発言は親としてどうなの?」
あと如きとか言うな。釣り合ってないのは分かってるから。
「あたしをそんじょそこらの親と一緒にしてもらっちゃ困るわね」
「一緒じゃないから今、俺が困ってるんだけど」
「いい親でしょ?」
「そうだとしても自分で言ったら台無しだろ」
この人が俺の母親になってくれた事には感謝しかないけど、こういう所は本当に参る。言ってる事だけ聞いてると適当そのものだけど、自分の発言と行動には絶対に責任を取る人だから、そりゃあ俺みたいな息子は不誠実に見えるだろう。ドラ息子で申し訳ない。
「男女交際大いに結構。愛し合うのも結構。好き合ってるんだから、ある意味当然の事だしね。ただし親騙すみたいな卑怯な真似してコソコソするな。それが、あんたんトコのハゲ教頭が言うみたいな不純異性交遊ってヤツになるのよ。わかった?」
「……はい」
中々にぶっ飛んだ理屈だと思うんだけど、何故か説得力を感じてしまう俺はやっぱりこの人の子なんだなあ、と実感する。
俺の殊勝な態度に満足したのか母さんは「よし」ともう一度だけ俺の頭を今度は自分の手で軽く叩いた。
ーー
そうこうしてる内に結構時間が経っていたらしく、今度は父親が幼い妹を連れて起きてきた。眼鏡の奥の優しげな瞳が俺を捉える。
「やあ、蒼馬くん、おはよう。帰ってたんだね」
「うん、おはよう。……朝帰りしてごめん」
「うん? 昨日は暁鷹くんの所に泊まってたんだろう? ちゃんと連絡もくれていたから何も心配していなかったよ」
「…………」
そう言って穏やかに微笑む父さん。
いやあ……心が痛いわ。母さんがすげえ吹き出しそうな顔で笑うの堪えててウザい事この上ないけど、甘んじて受けよう。見るからに温和な父さんだが実は怒った時の厳しさ、恐ろしさは母さんの比じゃない。まあ、その分滅多に怒ったりしないんだけど……。
「おにーちゃん、おはよー……」
眠そうな瞼をこすりながら父さんの腕に抱かれているのは妹の葵。葵はこの春に小学校に入学したばかりで、その愛らしさたるや相応しい表現が見つからない程だ。うん? 俺はシスコンですけど、なにか?
「はい、おはよー」
「おにーちゃん、抱っこしてぇー」
ぐずりながら父さんの腕の中から身を乗り出し手を伸ばしてくる。まだまだ甘えたい盛りの妹である。
「はいはい。よいしょ」
親子三人顔を見合わせて苦笑しながら葵の小さな体を父から受け取り、持ち上げた。
「ん~っ」
首に手を回して頬を擦り付けてくる葵の頭を撫でてやる。
「よしよし」
「んふふー」
「ははは、葵ちゃんは僕より蒼馬くんに抱っこされるのが好きみたいだね」
「いやいやいや」
と、言いつつ満更でもない俺。これだけ慕われるとやっぱり嬉しいもんだよ。
「まあ、せいぜい今の内にチヤホヤされとくといいわ。どうせ大きくなったら兄なんて相手にされなくなるんだから」
「そういう事言うのやめてくれる? 俺、泣くよ?」
「『お兄ちゃん、臭い! 近寄らないで!』とか言われちゃうのね……かわいそうなお兄ちゃん」
「やめろおおおおおおおおおおおおっ」
想像したら本当に鼻の奥がツンとしてきた。この母親、マジロクな事言わない。
「おにーちゃん、くさいの?」
「臭くない。臭くないから大丈夫だぞー。ほら、もう変な事言うから葵が信じるだろ!」
「ふっ、いずれあんたも加齢臭に塗れたおっさんになるのよ。そして、光月ちゃんにも振られるがいいわ」
「何言っても俺がいつまでも怒らないと思うなよ!?」
葵に臭いって言われて、光月にまで見放されたら俺、立ち直れないわ。
「う~ん、葵ちゃんに避けらるようになったら、それは僕も悲しいな……」
「あら、優作さんにはあたしがいるじゃない」
「いきなり何言ってんの、母さん……」
共感してくれる父と何か気色悪い事を言い出した母。
「優作さんが将来ボケて寝たきりになって糞尿垂れ流すようになっても、あたしが介護してあげるから安心してね」
いい事言ってるはずなのに言葉のチョイスが酷すぎて全然感心出来ない。言われた父さんは気にした様子もなくむしろ嬉しそうだが。
「ははは、ありがとう。でも、妻も大切だけど娘も大切だからね。やっぱりそうなったら寂しいものだよ」
「そう?」
「例えば、いつかは葵ちゃんもお嫁に行ってしまうんだなあ、とか想像するとね」
「いくらなんでも、それは気が早すぎでしょ」
「そんなん想像するのも嫌だわ」
「あんたは妹が好きすぎだから」
もし将来葵が男連れてきたら、そいつがどんな奴でもとりあえず一発は殴るよ? うん、いい奴だったら認めてやらなくもないけどとりあえず一発は。
「何考えてるのか簡単に想像つくわね……あんた顔怖いわよ」
「おっと」
いかんいかん。
「おにーちゃんおにーちゃん」
「ん?」
「あおいはおにーちゃんのお嫁さんになるから大丈夫だよ」
「葵……っ、おまえってやつは……おまえってやつは……なんて可愛い妹なんだー!」
「きゃー♪」
ギュッと抱き合うアホな兄と無邪気な妹。母さんが呆れてるが知ったこっちゃない。父さんは微笑ましいものを見るような表情だ。
「将来、葵が嫁き遅れたら間違いなく蒼馬のせいね……」
「まあまあ。兄妹の仲が良いのは何よりじゃないか」
「まあ、そうだけど」
「なかよしでーす」
「なー?」
「ねー?」
「とりあえず蒼馬がウザい。葵は可愛いけど」
「ひでえ!?」
いつもの事ながら俺の扱いがすごい雑。
「むー、おかーさんなんでそんな事言うの!」
「だって、いい年した息子が妹にデレデレしてたらキモいじゃない」
「キモくないもん! かっこいいもん!」
「えー」
庇ってくれる葵に対して、めっちゃ不満そうな母。この家で俺の味方は葵だけだよ……。だが、兄はおまえに残酷な真実を告げなきゃならん。
「大丈夫だよ。おにーちゃん、あおいがいるからね」
「ありがとう、葵。でも、ごめんな」
「んう?」
「実はお兄ちゃんにはもうお嫁さんになって欲しい人が他にいるんだ……」
「ええ~!?」
葵が俺の腕の中で、ガーンと音が聞こえそうな程ショックを受ける。おにーちゃんのばかー!と胸を両手で叩かれた。それ自体は痛くはないが心が痛むぜ……。
「あんた、まだ小さい妹に何言ってんのよ……引くわ」
と、葵を宥めてたら何故か母さんが引いていた。
「え!? なんで引かれたの!? 大事な事じゃん!」
「やばい、どうしよう優作さん……あたし達の息子はもう手遅れかもしれないわ……」
「そうかい? 微笑ましいじゃないか」
父さん、妙に嬉しそうな所申し訳ないけど、一体、何がおかしかったのか俺に教えてくれないか。
「それにしても蒼馬くんはだんだん琴子さんに似てきたねえ」
「ちょっ、優作さん!?」
「えー……どんなトコが?」
「あんたも何でちょっと嫌そうなの!?」
「いや、だって、ねえ?」
それは自分の胸に手を当てて聞いてみてとしか。
「ははは、そうだなあ。どんな所がと言われれば……二人も心根が真っ直ぐで、とても一途だ。それに一つの事を最後までやりとげる意志の強さを持っている所もだね」
「…………」
「…………」
父さんの言葉に母さんと二人顔を見合わせる。
「「ないないないない」」
で、二人して否定し合う。
「母さんは頑固なだけでそんないいもんじゃないでしょ」
「あんたこそ、単に単純馬鹿なだけでしょうが」
「誰が単純馬鹿だよ」
「あら、何か文句あるの?」
「ちょ、スリッパ出すなよ!」
「そういう息ピッタリな所もよく似てると思うよ」
「…………」
「…………」
マジか……マジで俺、母さんに似てるの?
「俺、どっちかっていうと父さんみたいな大人になりたいと思ってるんだけど」
「は? あんたが? ーーハッ」
「あっ」
ちくしょう! 鼻で笑いやがった!
「あそこの毛も生えそろってない様な青二才があたしの自慢の旦那みたいになりたい? 片腹痛いわね」
「うるさいな! いいだろ、思うくらい自由だろ! ってか、さすがに生えてるわ!」
「うん。もちろん知ってるけどね? だってあんた初めて生えた時、嬉しそうにあたしに見せに来たじゃない。……ぷっ」
「変な事思い出さないでええええっ!?」
あれはもう思い出したくもない人生の汚点だから! あの頃の俺は一体何を思ってあんな事したんだよ……。
「……くぅ…」
「って、あれ?」
「葵、寝ちゃってない?」
さっきからちょっと静かだなと思ったら葵は俺に抱っこされたまま寝ていた。
「よく、こんな騒がしい環境で寝られるな……」
「あんたも子供の頃は似たようなもんだったわよ」
「マジで?」
「マジよ。ね、優作さん?」
「そうだねぇ……確かによく寝る子だったよ。毎朝ぐずっては琴子さんを困らせていたね」
懐かしそうに目を細めて語る父さんと苦笑する母さん。俺はと言えば自分に覚えのない記憶を語られ、気恥ずかしいやら感慨深いやら。俺にもこんな頃があったんだなあ、と……。
「まあ。まだ時間あるし朝ご飯出来るまでは寝かせといてあげましょ」
「そういや、まだ飯食ってなかった……」
「すぐ準備するから待ってなさい」
「うん、ありがと」
気付いたら途端にぐう、と鳴って空腹を主張する現金な胃袋。スヤスヤと眠るソファに寝かせた後タオルケットを持ってきてかけてやる。母さんはキッチンへと向かい、父さんの
出勤の準備を始めた。
俺はひとまずシャワーでも浴びて頭をスッキリさせよう。そしたら朝食食べて……今日も一日が始まりだ。
おわり。