夏とプールとカキ氷
蒸し暑い日だった。七月に入ってからというもの、ずっとこんな感じの気候が続いている。
毎日毎日、快晴続きでテレビで猛暑だの最高気温がどうだのと言ってるのを見る度にうんざりする。
夜でも多分気温は三十度を超えていた。
「そういや、鈴原はもうすぐ夏休みだよな」
「そうですね」
「どっか行きたい所とかあるか?」
「連れていってくれるんですか?」
「場所にもよるけど。まあ、そんな遠くなければな」
「珍しくサービスいいですね。そんなお金あるんですか」
「ヤボな事聞くなよ」
秋吉さんがそう切り出したのは夕食を食べ終え、食器を片付けている時だった。
私は動きを止めて夏休みの予定を考える。
「うー……」
「扇風機、つけますか?」
「頼む」
〈強〉スイッチを押して秋吉さんに向けた。
「あ゛あ゛~」
回転するフィンに顔を近付けて声を出す。小学生レベルの遊び。秋吉さんじゃなくても扇風機を見ると思わずやりたくなる。ウズウズ。
「風ぬる゛い゛~」
「ちゃんと首、回して下さいね」
「お゛ーう゛」
宇宙人の返事が返ってきた。
私は扇風機が首を振るのを確認し、カチャカチャと食器を重ねる。
「私、夏休みは補習があるかもしれません」
秋吉さんは扇風機と対面してた体を90°旋回。こちらを向いて言った。
「………おまえ、そんな馬鹿だったのか」
「違いますっ。自主的に受けるんです」
「物好きなヤツめ」
「物好きですよ。秋吉さんの彼女ですから」
「………喜べばいいのかヘコめばいいのか難しい所だな」
「大丈夫。秋吉さんも物好きですから」
「………そうかよ」
扇風機のモーター音と夜でも元気なセミの声。
食器を端に寄せて、テーブルを拭く。時々来る風が気持いい。
「で、補習って毎日?」
「いくらなんでも毎日じゃないです」
「暇な日もあるのか」
「毎日補習だったら死にます」
「………ああ、あれは死ぬな」
しみじみと呟いた。………経験者なんですか?
「ま、多少は遊べる時間もある、と」
「そうですね」
「じゃ、やっぱどっか行こう」
テーブルを拭き終り食器を持って立ち上がる。
「泊まりがけで」
ガシャ
食器を落としかけた。危なっ!
「………本気ですか?」
「ん? 都合悪いか?」
「………いえ」
それだけ答えて蛇口を捻った。水が流れる。私が洗い物をしてる間、秋吉さんはずっと肩を震わしていた。………私の彼氏は意地悪です。
・
「夏はやっぱ海だろ」
「夏はやっぱり海ですか」
「ぶっちゃけ安上がりだし」
「ハワイとかいいですね」
「………いつかな、いつか。今回は近場」
翌日、私達は顔を突き合わせて夏休みの予定を考えていた。
ちなみに二人共汗だくだ。扇風機は強風フルパワーで回しているけれど秋吉さんの部屋は西向きに窓があるので西日がマトモに入ってくる。
「しかし暑い………人類が滅亡するんじゃないかってくらい、暑い」
「それは、いくらなんでも大袈裟ですよ。南半球は冬ですし」
「なら、ウチの冷蔵庫が爆発するくらい暑い」
「しませんから。そんな事が起きたら人類が滅亡しなくても秋吉さんが滅びます」
「なら、海が干からびるくらい………」
「もし、そうなったらハワイに歩いて行けますね」
「いちいちうるさい」
「やはり合いの手を入れてこそ私達でしょう」
「まあな………」
げんなりと言う。
「とりあえず例えようもなく暑い」
「同感です。夏休みと言わず今から海に行きたいくらいです」
今日みたいな日に海に入ると、それはそれは気持いいだろう。
全身がふやけるまで泳ぎたいくらいだ。
「今、何時?」
「二時前ですね」
「時間的に海は無理だがプールくらいなら行けなくもないな。市民プールでいいなら行くか?」
「おおっ、いつになくアクティブですねっ」
「………じっとしてて汗かくより運動でもした方が建設的だろ」
「確かに、それはそうかもしれません」
「よし、決定」
そうと決まれば早く用意をしなければ。
「じゃ、私、一旦帰ります」
「あ? なんで」
「いくら私でも秋吉さんちに水着は置いてないですよ」
下着とか着替えとか一通り生活用品はあるけど。
「あー………去年着てた、あの橙色のヤツ?」
「はい。オレンジと言って欲しいですけど」
「わざとに決まってるだろ」
「どれだけ性格悪いんですか」
「おまえに言われたくねー」
「そんなの、わざとに決まってるじゃないですか」
「腹黒いな、おまえ」
お互い様だと思う。
「ああ、もう、とにかく一旦帰ります。時間がもったいないので直接プールに向かいますね。待ち合わせは二時半で」
「はいはい」
秋吉さんのおざなりな返事を背に、私は一路帰途に着いた。
・
それから約三十分後―――。
「………で、こういうオチですか」
「やかましい」
「別にいいですけど。タイミング悪かっただけですし」
〈改修中〉の札がかかった入り口を見ながら言う。老朽化が進んだプールを夏休みに入る前に直してしまおうという話らしい。本当にタイミングが悪かったという他ない。
のだけれど。
「………………」
秋吉さんは納得してないらしい。不機嫌そうに黙りこくっている。
「何をスネてるんですか」
「別にスネてねえよ」
「なら、何してるんですか」
「息してる」
「………小学生ですか」
子供みたいな人だ。
「ただ、もう、泳ぐ気満々だったからテンションだだ下がりでなあ………」
「まあ気持ちはわかりますけど」
私だってこの暑さにはウンザリしている。泳げるものなら泳ぎたかったというのが本音ですよ。
「運が悪かったと思って諦めましょう」
「………はいはい」
「秋吉さん、プール入れなかったくらいでヘコみすぎです」
「いや、もうそれはいい」
「??? なら、なんでそんなに沈んでるんですか」
「ま、いろいろあるのだよ」
「ワケわかりません」
結局、秋吉さんがヘコんでる理由はわからずじまいのまま、帰途に着いた。
・
日が沈む頃になると、風が出てきて少しだけ涼しくなった。今日は新月だから月は見えない。
「鈴原~」
「はい? なんですか?」
夕食の後片付けをしていると秋吉さんから声をかけられた。
「ちょいこっち来てみ」
「今、洗い物してるんですけど」
「いいからいいから」
「もう、なんですか」
エプロンで手を拭いながら顔を覗かせる。
と、意外なものが目に入った。
「………それは」
ブルーを基調とした涼しげなフォルムの一番上にはハンドルが着いていて、それを回すと中に入れた氷を削るという………。
「かき氷機だ」
「なんでそんなの持ってるんですか」
「去年、衝動買いしたのを唐突に思い出した」
カラカラとハンドルを空回りさせながら秋吉さんが言う。
「氷ってあったよな?」
「氷はありますけど、シロップがないですよ」
「ふっ、わかってないな。通はスイだ」
「砂糖水ですか。あれ、美味しいんですか?」
「いや、知らんが」
「食べた事ないもので通ぶらないで下さい」
呆れながら冷凍庫を開けた。氷は………うん、ちゃんとある。
「はい、氷です。私は砂糖水を作りますから、秋吉さんはガリガリ行っちゃってください」
「砂糖水じゃない。スイだ」
「そんなのどっちでもいいですから」
言い捨てて台所に戻った。
…………………
シャクシャクと音を立てて、かき氷を二人祖酌する。
「不味くはないですけど、微妙ですね」
「あー、やっぱイチゴが一番だな」
「って、変わり身早いですね」
さっきまでスイスイうるさかったくせに。
「ごちそうさま」
「ごちそうさまでした」
なんだかんだ言ってある分の氷は全て食べつくし私達は容器をテーブルに置いた。
「よし、トランプしよう」
「また唐突な………私、洗い物があるんですけど」
「後でいいから。ポーカーでいいか?」
「はあ………分かりました。付き合いますよ」
そしてトランプ対決はポーカーから神経衰弱、セブンブリッジ、ブラックジャックと白熱していき気が付けば夜が開けるまで勝負していた今日の私達だった。
オチはない。