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たまずさ  作者: 歩野
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9  放課後の音楽室裏

 夏が遠のく平日の放課後だった。

 音楽室の裏側で僕達は話していた。

 音楽室裏は校舎の影になるうえに風の通りが良く、のぞむ緑の山並みも美麗に、休むにはうってつけの場所だった。

 その時に、志保がいつになく、誰が好きなのかを執拗に聞いてきた。

 相も変わらず、そのうち教えるよとしか答えない僕に、志保は口を(とが)らせた。

「悠次兄は私が安幸兄を好きだって知っているのに、私が悠次兄の好きな人を知らないのは不公平だよ」

「だから、そのうち教えるって言ってるじゃない」

「そのうちっていつなのよ」

「さあ。そのうちはそのうち」

「お願いだから教えてよ」

「内緒」

「教えてくれてもいいじゃない」

「いやだ」

 僕は本音を噛み殺し、ふざけた調子でいなすだけだった。

「じゃあヒントだけ教えて」

「ヒントなし。教えないよ」

 意地っ張りな幼児のしりとりのように、同じやりとりが何度か続いた。

「教えてよ」

 攻防のうちに、溌剌(はつらつ)とした目がだんだんと(うる)み、張りのある声が、いじけた淋しげなものに変わっていた。

 晩夏の空に蝉しぐれがひろがっていた。

 一メートル前の汚れのない哀愁に、ひた隠していた恋の心拍数が急上昇し、心が大きく揺すぶられた。それを、ひょっとしたらと淡い期待が後押しした。

「じゃあ、好きなコが今、どこにいるのかだけ教えるよ」

「今どこにいるのか分かるの」

「さっき見たばかりだからね」

「体育館ならバレー部、体育館の横ならきっとテニス部だね」

 一転して、志保の瞳は輝いた。

「俺の好きなコが誰なのか、分かっても、絶対だれにも言うなよ。まだ誰にも教えてないんだから」

 いかにも秘密めかせて言った。

「うん、約束する。で、誰」

 興味に満ちて笑顔が踊っていた。

「じゃあ耳かして」

 秘めやかに言うと、志保は決心が変わらぬうちにとうきうき近づき、そばだった右耳をひょいと傾けた。

 僕は耳元に口を近づけ、心持ち長めに間をとって、落ち着きはらった声で小さく言った。

「今、目の前にいる」

 その瞬間、志保の体がかたまった。それから、魔法がとけるようなスローモーションで姿勢をたてなおし、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で僕を見た。

 僕は目で、好きだよ、と告げた。

 口籠もった志保は、表情を変えずに下をむいて、二秒の後に足早に走り去った。あたかも一刻も早く難から逃れるように。

 フルスイングした打球はアウト濃厚だった。

 離れゆく(うつむ)いた後姿に、後悔が突風になって吹きつけ、胸が潰れそうになった。たちまち不安の沼に足をとられ、なす術も知らず、喉の奥がからからに乾いた。


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