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たまずさ  作者: 歩野
41/41

41  神話

 二〇〇六年三月二日


 美穂さんが薦めてくれた本、読み終えました。

 その本を読んでいる最中、幾度となく志保と最後に会った日の事を思い出した。

 安幸兄より悠次兄の方が好きだった、と言っていた事。何度もキスを求められた事。それをことごとく(こば)んだ事。せがまれてしたハグの終わり際に、頬にキスされた事。僕に抱かれたがっていた事。少女のような無邪気さで、僕との生活を夢見るように語っていた事。私の青春を返して、と言われた事。

 あまりにも美しく、残酷で、消える事のない傷跡。あの日の事をそう思っていた。勿体無くて、壊れてしまいそうで、その日の出来事を誰にも話せなかった。

 だけれども、時と共に風化していた。

 忘れていた事が結構あったからね。

 志保とキスできなかったのは、神聖化していたかった、というのが本質だったと思う。

 その時は明確にわからなかったけども、がんとした意思のような直感で、志保とキスするべきじゃない、と感じていた。

 当時の僕は、社会や人間に失望していたのだけれど、そんな中で、志保は神であり、最後の(とりで)だった。

 美化しているのは分かっていたけど、それでも美化したままでいたかった。

 無神論者で、心を許せる家族もなく、精神状態が不安定だった僕の、永遠の心の()り所にしていたかった、のだと思う。

 それに、キスしてしまうと志保への慕情に耐えられなくなりそうで恐かった。

 志保にしてみたらほんといい迷惑だよね。


 深い仲になれなかった件も、小説に書いた以外の要因を思い出しました。

 一つは、僕のセックスはそれまでの女性達から気に入られていたので、深く交わると女は別れたがらないというのを経験から学習していたからです。

 僕は誰とも結婚するつもりがなかったから、傷付けるとわかっていて志保を抱けるはずがなかった。

 自惚(うぬぼ)れが強いと思われそうだけど、体のテクニック以外をも含めて、セックスで女性を満足させる自信がありました。

 もう一つは、深い関係を持つと僕が自殺した時に途轍もないショックを受けるだろうと思ったからです。


 最後に会った日の僕の判断に後悔があるかと聞かれると、答えはノーです。そりゃあ何度も後悔したよ。時間が巻き戻せるのなら、あの日にかえって求婚したいって。

 でも、今の経験値をもってあの日に帰れるのなら、付き合ってくれ、結婚してくれって言えるけども、あの頃は精神状態が不安定すぎたから、ああする他なかった。僕の二十代は本当にきつかったからね。

 あの苦しみに志保を付き合わさなくて良かったと心の底から思っている。

 そう思っているけども、一人で生きていたからあんなにつらかったのかなと、結婚して感じるのも確かです。

 でも今更そう感じても、当時の僕にそれがわかる訳もないので、やはりあの対応が当時の僕ができうる最善のものだったと思います。

 それに、というより、なによりも、心の中の神話は今も脈々と息づいてるからね。


 いつの日か、志保と再会する事があれば、またメールします。





 〈 了 〉



最後まで読んでくれたあなた、ありがとう。心から感謝です。

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