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たまずさ  作者: 歩野
32/41

32  慙愧と絶望

 翌朝、静かな部屋で目覚めた。

 一人ぼっちの部屋はがらんとしていて、ときおり車のクラクションが小さく聞こえた。

 遮光カーテンの脇から僅かに陽光が洩れていた。

 覚えのない部屋で夢うつつに体を起こし、アルコールの残る寝ぼけまなこで、なんとなく、違和感に鎮座するテレビを見ると、その横のクローゼットの上に、丁寧にたたまれたデニムのシャツが目にはいった。

 とたんに昨夜の事を思い出し、ベッドに力なく崩れ落ちた。

 一瞬にして、この世の底まで墜ちた。

 濁った目でぐったり天井を見た。

 朦朧(もうろう)と時が流れた。

 いくばくかしてもう一度クローゼットの上を見ると、志保の痕跡(こんせき)を示すように、デニムのシャツがちょこんとたたまれてあった。

 おぼろげに視線を天井に戻し、どんより放心した。

 忘我から意識が戻ると、同じ所作に体が動いた。

 虚脱にさらされ奈落に沈殿した脳は、停止と混沌を繰り返し、身体髪膚(しんたいはっぷ)は脱力に不随だった。

 ()てついた外界に、心模様は阿鼻(あび)へ続く焼野原(やけのがはら)で、ただ乾風が吹き荒れ、砂塵(さじん)ばかりが舞っていた。

 まるで核戦争の人類滅亡に一人取り残されたように僕は往生していた。

 いくらか経ち、意識が厘毛に回生すると、混線した思考回路を収拾しようと、昨日の出来事を起床したところから、ひとつずつ確認するように掘り起こしていった。

 ……普段どおりに朝の六時に起きて――遠足の日に目覚めた子供のようだったな――、……ニュースを見て……インスタントのブラックでトーストを二枚食べて……洗濯をして……その間に読みかけの本を読んで……掃除をして……中華丼の美味しいお店で昼食をとって……書店で雑誌を買って……大型チェーンのレンタル店でビデオを借りて……アパートに戻って借りたビデオを観て――志保に会える嬉しさでストーリーが頭に入ってこなかったな――、……それからお風呂に入って……着替えをして……何度も読んだ志保からの手紙を読み返して……早めに渋谷に出かけて……それから……。

 こみ上げてきた。

 ……それから……

 まなじりから雫がこぼれた。

 ……それから……

 むせび泣いた。

 志保の男になれないと明白になった悲しさと、純真なものに性欲をむけた下卑(げび)た自分の情けなさに涙が止まらなかった――愛と性欲は直結せず、相反(あいはん)するものに思えていたのだ。

 枕に顔を埋めると、涙と一緒に志保の思い出が次々と溢れ出た。

 一つ一つの思い出が(にじ)んで波状に揺れ、己の愚かさに瓦解していった。

 言葉にあたわぬ千切れるほどの悲しみに、僕は身を震わせて慟哭(どうこく)した。

 泣くだけ泣いてしまうと今度は、もう会えないであろう寂しさと虚しさに、心が(ほう)けた。

 僕には自分と志保の相関がどんな形状をしていたのか、まるきり分からなかった。

 後悔は千歳に降り積む雪のようだった。とける間もなく積もる後悔は、神経を麻痺させ、心を中枢から凍えさせた。

 悲嘆が充満する静寂に覆われた部屋にいられなくなると、ホテルを後に宛てもなく街をぶらついた。

 愁然とする僕を関知せず、街はいつも通りに活気だっていて、自分だけが社会の異邦人のようだった。

 店頭から流れ出る音楽がそらぞらしく上の空を奏で、行き交う人々が機械仕掛けの玩具のように動いていた。

 僕は無彩色になった街を慙愧(ざんき)と絶望に打ちひしがれ、陽が傾くまで彷徨(さまよ)い続けた。

 そうしていると夕暮れ時には、憔悴(しょうすい)した虚しさの中でも、志保をおもんぱかれば深い関係にならなくて良かったと考えるようになっていた。

 暮色蒼然(ぼしょくそうぜん)とした街角で、志保の人生に僕みたいな人間が(たずさ)わってはいけないと強く心に思った。


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