3 少年期
第一章
少年時代の記憶はうたかたの夢のようで、もはやおぼろげである。
小学校を卒業するころ、なにが楽しかったのだろう。
友達とのお喋りは楽しかったが、それ以外で楽しかった事となると、たやすく思い浮かばない。
家は居心地が悪かった。
自分本位な父は煙たいだけで、しじゅう、いなければいいと思っていた。
介護師をしていた母は、幼少の頃から仕事と家事に追い回され、なにかとせわしなく、休まる事を知らない人だった。
二つ上の兄は、父の悪いところを倍加させた人間でうとましかったし、妹は女というのもあり、異質なものに感じられた。
つとに僕の性格だけが際立って違っていた為に、疎外感に似たものを抱えていた。
テレビは好きだったが、父が家にいる間は奥の部屋に隠れていたゆえ、テレビが楽しみというわけでもなかった。
漫画やお菓子は一度も買って貰えなかったし、小遣いもなかったから、娯楽を楽しんだ記憶がない。
当時は自分の部屋がなくて、一人の世界への籠城も叶わず、気持ちを窮屈にしていた。
外に出ても戸数二百余りのひなびた集落には、さびれたお店が三軒あるだけで、楽しめるものは何もなかった。
暇を持て余すと、家から少し歩いた海岸へ行き、退屈のほとりで海と語り合っていたのを覚えている。
学校は先生が憂鬱にさせた。
小学五年、六年と新卒の若造先生に受け持たれたのだけれど、僕は若造先生に嫌われていて、毎日のようにビンタされ、剣道クラブの練習中に、たびたび柔道の足払いで倒されていた。
数年後に端無くも知る事となるが、休みの日に中学生が、若造先生を気に入らないと教室内に悪戯していたのを、若造先生は僕の仕業と思い込み、つらく当たっていた。
そうされる意味も分からず、反抗する事も知らなかった僕は、いわれなき体罰をじっとこらえるほかなかった。
現実を疑う事なく、降りかかる諸々の事柄を有りていに喫した学童の頃。鹿児島の南方に浮かぶ尾島の中でも、とみにはずれの藤木集落で育った僕は、集落だけが起き伏しで、鬱屈した日々が際限なく続くものだと思っていた。
狭小な僕はいたいけな少年だった。




