27 挫折
第八章
四月の多摩地方は染井吉野が美しく咲きこぼれていた。尾島の緋寒桜と比較するべくもない絶美に、僕は目を見張ったものだった。
東京で動植物に感動するなど、夢想だにしていなかったのだ。
はたしてこれからどれだけの事に驚き、感動するのだろうか、そう思うと、いやが上にも期待は膨らんだ。
しかしその思いもたまゆら、徒桜とひとしなみに、浅慮は泡沫と砕け散った。
東京で暮らし始めて時を置かず、八方破れのなまっちょろい目論見は日ごとに砕かれ、嫌というほど現実の厳しさを思い知らされた。
笑顔を心がける訛りの抜けぬおのぼりさんは、工場で働く下層社会の凡愚から格好の餌食にされたのだ。
初めての労働に意気込んで働くも、周囲に気遣い、謙遜する態度が裏目にでて、雑魚程度に侮られ、踏みにじられた。
それでも、尖っていた往時を断ち切り、理想の生活に一新しようと、負けん気の強さを抑え、極限まで辛抱を貫いた。
自分が優しく生きている限り、万人が同じように温厚になると思っていたのだ。
『おい、ジュース買ってこい』
『おまえ給料でたら奢れよな』
『やっちまうぞコラ』
胸ぐらを掴まれておどされた事もあった。
それでも博愛の精神であざとい人間にも分け隔てなく接したが、結局はいつも損壊するだけだった。
ジョン・レノンの世界はどこにもなかった。
現実の壁が理想主義者だった僕の前に微動だにせず立ち塞がった。そしてそれは有無をも言わさぬ力で、無知で紡がれた強気の鎧をたやすく破壊し、内包された脆弱な神経を無残に傷付け、なぶりたおした。
我慢が限度に達し、たまらずぶち切れると、手の平を返したように尻込みする腰抜けばかりで、心の傷と虚しさだけがつのり、喧嘩に勝つ事にも、げすばった人間をねじふせる事にも、僅少の喜びも見出せなかった。
それに加えて、田舎との文化の違いを把握していなかったのが深傷を招いた。
街頭で臆面もなく声をかけ、騙してでもカネを得ようとする恥知らずが平然といるのも、路傍にうずくまる人を横目に、そしらぬ顔で往来する人々も、みてくれだけの利己主義者がまかり通るのも、僕の目には異様に映った。
ヤクザな新聞勧誘や胡散臭いポン引き、胡乱なダフ屋にさえ、丁寧に愛想良く対応していたのだから、連中のカネにならないと見限るや豹変するえげつない態度に、理性の悲鳴は体をつんざく鳴動だった。
弱り目に祟り目、十重二十重の憂き目に、しおしお気落ちしていく僕に、博が追い討ちをかけた。
僕は家賃と光熱費の半分を負担したが、博は敷金礼金を自分が出したのを梃子に、家政婦代わりとして、あこぎに家事と使い走りを強要するのだった。
足元を見られた僕は律儀に従う他なかった。
あまつさえ自分を中心に地球が廻転していると思っている博は、東京の文化においそれと馴染まない僕を口癖のように馬鹿呼ばわりしては虚栄心を満たし、悦に入る酷薄ぶりだった。学校の成績はずっと僕の方が上だったが、昔から博はそんなふうだったのだ。
外で傷付き、アパートに帰って傷口に塩を塗られる世知辛いどん底の日々だった。僕にこびり付いた暗鬱とした側面が博によって形成された事を今更のように感じた時期でもあった。
あまりの窮状に、東京の街も人も冷たく感じられて失意に落ちたが、よしんば東京がクソみたいな人間の集まりでも、田舎に帰る気はさらさらなかった。何があっても実家にだけは帰りたくなかったのだ。
よほど世捨て人として乞食になろうかと思い悩んだが、二律背反にそうする事もできず、仏道に帰依するには巷への執着を捨て切れなかった。




