13 失恋
よどみなく中学生活が消化され、年が押し詰まると、三年生全体を高校受験の緊張感が包み込んだ。
友達との会話を成績や高校の話題が占めるにつれ、抑えつけていた想いが日に日に昂り、焦り始めた。
僕が受験する島央高校は、実家から離れた市内に所在していた為、進学が決まったら寮に入るか下宿するしかなく、東崎近辺を離れること必至だった。
中学を卒業したら校内で志保に会う事もないし、校外で見かける事もそうそうないに違いない。
志保との今生の別れが迫っているように思えた。
焦燥感にせきたてられた僕は、掉尾の勇を奮い、告白の決心をつけた。
敢行は、冬休みが近づいた期末テストの一週間前だった。
学校が終わって帰宅すると、公民館入口の公衆電話へとおもむいた。
当時は携帯電話がなかったし、母と妹がいた為に、家から電話するわけにもいかなかったのだ。
本当は前日も前々日も公衆電話の前に来たのだが、受話器を手にしたとたん怖気づいてしまって、番号を押せなかった。
でも、今日は絶対に電話すると、決死の覚悟で肚をくくっていた。
帰宅のバスから速くなっていた鼓動は、公衆電話と対面し、最高潮になり、心臓が壊れる程の勢いだった。
ためらいがちに受話器を手に、五枚の十円玉を、一枚ずつ想いを込めて投入し、ひとまず大きく深呼吸した。それから、ゆっくり、確実に、志保の家の番号を押した。
走り出した回線が脈打つと、心の臓がきりきり締め付けられた。
あまりの緊張に電話を切りたくなったけれど、それを堪えて、身に伝う大きな鼓動と一緒に呼び出し音を聞いた。
喉を鳴らして固唾を呑んだ後の、三回目の呼び出し音が途中で止まった。
「はい、原田です」
佳音が度胆をさわり、心臓が飛び出そうになった。
「あのう、志保さんをお願いします」
声の主は分かっていたが、くぐもった声音でたどたどしく切りだした。
「はい、私です」
透き通るような声で小さく応えた。声の調子で志保も緊張しているのがわかった。
「悠次だけど」
「うん」
「――俺と付き合ってくれないか」
あらん限りの勇気をかき集めても、つたない僕はそれだけ言うのがやっとだった。
「えっ」
小さな声が洩れた後、しばしの沈黙を挟んで志保は答えた。
「悠次兄の気持ちは嬉しいけど、でももうすぐ受験じゃない。今は私の事なんか考えないで、勉強を頑張らないと駄目だよ」
志保の語調は優しかったけれど、僕はその瞬間、気持ちが雪崩れをうって、電話を終わらせたい衝動に駆られた。
「うん、分かった。ごめんね。じゃあ」
志保は何か言おうとしたけれど、くじけた僕は言下に電話を切った。
釣銭口に硬貨が乱れ落ち、あっけなく失恋の鐘が鳴り響いた。
どんよりと分厚い曇り空の下、身じろぎもせず、立ち尽くした。
潮騒をのせた風が、唸りながら遠くの山肌へ逃げるのを背に、所在なく、足下のひび割れたコンクリートを眺めていた。
不思議と、悲しみはどこにもなかった。
苦しいぐらいに志保が好きだったのに、一滴の涙さえ流れ出ようとはしなかった。代わりに、ニヒルな笑いが出て、地上から根こそぎ僕を消滅させた。
無粋に時が経ち、寒気が火照った体を芯まで冷やしたところで、ここに居てもしょうがないと思い、のっそり、家にむかって歩き出した。
うつむいて鈍重と歩く頬に、横殴りの北風がやけに冷たく吹きすさんだ。
家に帰りつくと一直線に自室にむかい、がっくり勉強机の前に腰掛けた。勉強する気にはなれなかったけれど、そこにしか居場所がないように思えたのだ。
心はぬかるみの墓場に立ち往生した。
僕は生ける屍だった。その時に何を考えていたのか思い出そうとしても、かけらも思い出せない。
しょげ込んで教科書の背表紙を散漫に眺めていると電話が鳴り、何回かけたたましい音がした後に母がでて、「悠次、電話だよ」と大きな声をだした。
友達と話す気分ではなかったけれど、居留守を使うのが嫌で、不承不承、玄関近くの黒電話に重い足をむけた。
物憂げに受話器をとり、はい、と暗い声をだした。
「――志保だけど」
まさかの相手に、弱った心臓が止まりそうになった。
「……うん」
「本当に悠次兄の気持ちは嬉しいよ」
「うん」
「でも今は勉強を頑張ってほしいの」
「うん」
「もし私と付き合って勉強する時間が短くなったりしたら……」
「わかった、わかった」
みなまで聞かずに、押し被せるように遮った。気遣ってくれていると思うと、いたたまれなかったのだ。
「私も悠次兄が好きだよ。でも今は勉強を第一に頑張ってほしいの」
誠実な言辞も、もはや傷心を癒さなかった。僕はもう電話を終わらせたい一心だった。
「うん、分かったから。じゃあね」
言うが早いか、電話を切った。
志保のいたわりは残酷に胸をえぐった。志保が喋るほどに惨めになり、それ以上話したくなかったのだ。
近くで聞いていた母が、友達にそんな物の言い方をするもんじゃないよ、と注意したけれど、ろくすっぽ返事もせずに、急ぎ足で部屋に引きあげた。
部屋に戻った僕は、殻を堅く閉ざして篭もった。
机に頬杖をついてうつむくと、俺みたいな人間と志保のようないいコが付き合う訳ないじゃないか、と自分に呟いた。それから何もしないまま、いたずらに時間だけが過ぎた。
当時は自覚がなかったが、僕には宿命的に自己存在への劣等感が頑固に根付いており、とかく自己否定にはしってしまう。
熟成された一途な想いはいつしか、僕みたいな人間はそぐわないと感ずるほどに志保を醇美にしていた。




