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ヴェスタラ戦記  作者: 槙原勇一郎
ヴェスタラ小史
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ヴェスタラ小史 下

 ヴェスタラ公ヨハンは、すでにその経済政策によって高い評価を得ていた。そうでありながら、インゲ二世の関税導入に対して沈黙を守っていたのは、各藩国の対応を伺っていたのである。決して好戦的な君主ではなく、あくまで治世の人との評価であって、それゆえにインゲ二世はヴェスタラに対して直接武力に訴えることを最初は控えていたのである。


 スオメル進軍はヴェスタラに対して直接の驚異となった。元々スウェーダ本国とヴェスタラの領土は直接接してはおらず、間には最大の藩国たるスオメルが存在していた。元々は国力も最弱でしかない。しかし、ヨハンの継承以降、急激に経済を成長させたヴェスタラは、人口不足であるにもかかわらず、巨大な経済力を背景に軍事力も密かに強化していたのである。


 ヨハンはまずスウェーダ王宮内に味方を作り始めた。スウェーダ王宮内においても独裁傾向の強いインゲ二世に反発する勢力は存在していたのである。彼らは王太子ホーコンの元に集い元々父親と不仲であったホーコンは関税の導入にも反対の立場を取っていた。ヨハンはその間隙を付き、王太子派の宮廷人たちに賄賂を送るとともに、反乱の準備を進めさせたのである。


 それと並行して、スオメルの壊滅によって衝撃を受けた各藩国に激を飛ばし、反スウェーダ同盟を結成し、その盟主となった。これはインゲ二世の三十一年、スオメル公国壊滅の翌年のことであった。




 だが、時代の動きはヨハンの予想すら超えて加速する。翌年、インゲ二世と王太子派、そして反スウェーダ同盟の対立が激化する中、当のインゲ二世自身が急病で崩御したのである。一説には王太子派の一部の過激派が毒を盛ったとも言われているが真実は定かではない。そして、死に際のインゲ二世自身が、スウェーダ王国崩壊の直接のきっかけを作ってしまう。インゲ二世は王太子派を呪うあまり、正式に立太子したはずのホーコンを差し置いて臨終の間際に次男ハルステンへの継承を遺言したのである。


 このことにより、スウェーダ王宮は長子ホーコン派と次子ハルステン派に二分され、継承者が定まらずに空位時代に入る。そのため、反スウェーダ同盟への対応も定まらず、同盟側も二派の対立を注視して息を潜める状態が三年も続いた。



 沈黙を守る反スウェーダ同盟が動き出したのは、混迷を深めるスウェーダの宮廷内でホーコン派の一党が藩国との妥協によって、その軍事力を味方に付けようとしたこと画策したことからだった。ホーコン派の重臣であるアルヴァ・シベリウス侯爵の独断で、反スウェーダ同盟に対し、『ヴェスタラ製品に対する特別関税導入の撤回』『旧スオメル公国領の分割譲渡』『各公国に対する内政干渉権の縮小』と言う破格の条件を提示し、後継者争いへの軍事介入を依頼。その結果、王都スタクファルムに進軍した反スウェーダ同盟軍によってハルステン派は一掃され、ハルステン本人は旧スオメン公国首都ヘルシンフォスに幽閉、王太子ホーコンが登極し、ホーコン三世となる。


 ホーコン三世の後見人であり宰相に就任したアルヴァ・シベリウスは、事前に提示した三つの条件を遺漏なく履行した。ただし、それには一つの思惑が働いていた。旧スオメル公国領の分割譲渡について、同盟での区割りを同盟国同士の議論にあえて任せたのである。スオメル領の分割の議論は紛糾。一度まとまったはずの藩国同盟は崩壊の危機に瀕し、さらにアルヴァ・シベリウスは各公国重臣たちに賄賂を送って切り崩しを測った。


 策士としての面目を施したはずのシベリウスに誤算が生じるのは藩国同盟によってではなく、王国の内側からであった。人望はありながら、決断に安定性を書き、機を見る慎重さに欠けるホーコン三世は崩壊の危機に瀕死したと思われた藩国同盟に対して反逆討伐の名目で親征を決意する。それは、憎んでいたはずの父王と同じ発想であった。亀裂が走った藩国同盟に対してスウェーダ軍が攻めかかることで、恭順を示し、アルヴァの与えた特権を返上する公国が出てくるとたかをくくっていたのである。


 事態はホーコンの予想とは逆の経緯をたどった。もっとも、ホーコンの判断で失敗だったのは、進軍の先がヴェスタラであったことである。同盟の要であるヴェスタラがあっさり破れてしまえば、あるいはホーコン三世の思惑は実現していたかもしれない。しかし、ヨハン三世は腹心の将軍カール・ビランデル、宰相グスタフ・ストーメア、そして無位無官ながら秘密外交官として活動したステファン・エリクソンら三傑の協力の元、数カ月に渡ってスウェーダの軍勢を支えて見せた。


 その様子を注視していた各藩国領主達は、ヴェスタラ公爵ヨハンを旗印にスウェーダ討伐の為に再度まとまとまり、スウェーダ王国首都スタクファルムに進軍する。これは、ステファン・エリクソンが自ら各国を回っての外交工作の成功であった。王都への複數の公国軍の進軍を察知したホーコンは慌てて踵を返して撤退しようとしたが、これは整然としたものではなかった。カール・ビランデルを先頭にしたヴェスタラの騎兵部隊は疾風のごとき勢いで、統制の十分に取れていない撤退中の軍を強襲。ホーコン三世は雑兵に返送して逃亡しようとしたところを惨殺され、時を同じくして藩国同盟軍によって王都スタクファルムは落城。スウェーダ王国はここに潰えたのである。ホーコン三世の登極からわずか6年ことであった。





 各藩国はスウェーダの軛から抜け出し、独立の道を歩むかに見えた。スオメルに加えスウェーダの領土の分割交渉は、神業とも言えるヴェスタラ宰相グスタフス・ストーメアの調整と、秘密外交官ステファン・エリクソンの綿密な根回しによって、特に大きな混乱もなく解決。しかし、各公国はそれぞれが独立してやっていくには力不足であった。戦後の混乱が一応落ち着いた翌年、各藩国はスウェーダに代わってヴェスタラをスカーディナウィアの盟主となることを求める。これに対してヴェスタラ公爵ヨハンは数度に渡ってそれを固辞したが、ウブサラ公爵ゲオルグ・ワルドナーの説得により、スウェーダに代わって王号を用いることを決意。ステンロース朝ヴェスタラ王国の建国が宣言されたのである。


 だが、新たなるスカーディナウィア半島における王権はまだまだ不安定であった。セーデル、ブレーキングなどスタクファルム攻略の主力となった公国が再度ヴェスタラ中心の体制からの離脱を宣言、度重なる反乱に悩まされながら、ヴェスタラ王ヨハン一世はわずか五年でその在位を終える。あとを継いだのはわずか二十五歳の王太子アンデルスであった。


 この状況でも、ヴェスタラに味方をしたのは、アンデルス王の後見となったウブサラ公爵ゲオルグ・ワルドナーであった。ゲオルグはセーデル、ブレーキング以外の公爵に働きかけ、アンデルス王に忠誠を誓わせ、さらにその独立権を放棄させ、ヴェスタラの地方領主としての地位に下ることを認めさせる。これは、セーデル、ブレーキングの二国の狙いがヴェスタラに代わる地位を狙ってのものであったことから、無益な戦乱が継続することを望まない世論と武断的な正確の強いセーデル、ブレーキングよりも経済大国たるヴェスタラの元にこそ、スカーディナウィアがまとまりうるとの考えからであった。


 その動きに対し、ウブサラに隣接するセーデル公がウブサラに進軍する。アンデルス王はこれをウブサラに対してではなく、王国全体に対する攻撃であるとし、自らの親征によって鎮圧に向かう。これにより、セーデル公は全面降伏し、他の公国と同様、藩国ではなく一地方領主としての公爵位に甘んじることをしぶしぶ認めることとなる。ブレーキング公は三年に渡り散発的に軍を上げるものの、ヴェスタラが整備した騎士団の力に屈服し、やはり、他の公国と同様の体制に組み入れられていったのである。その後も、セーデル、ブレーキングは散発的に反乱を起こし続けてはいたが、ヴェスタラの体制を覆す力はなく、アンデルス王は測位から十年後、スウェーダ以上の権威を持ってスカーディナウィアを統一する君主として、皇帝位に各公爵たちの手によって推戴され、ヴェスタラ帝国が半島全体の唯一絶対の君主と認められる事となった。




 アンデルス帝誕生から十一年、まだ四十一歳の皇帝は突然病に倒れる。生まれたばかりの帝国は再び戦乱の時代を迎えるのであった。

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