ヴェスタラ小史 上
現在(アンデルス帝十一年時点)、ヴェスタラ帝国の定義上の領土はスカーディナウィア半島全域に広がっているが、元々は縦に長い半島中央部西側の小国でしかなかった。現在帝国は本領と呼ばれるその直轄地に加え、地方公爵が支配する7つの公領と、一つの自由としからなる。本領はさらに外領と内領に別れ、元々の領土は現在の帝都レールムを中心とするごく狭い内領のみであった。
古代のスカーディナウィア半島の様子については、今から八百年ほど前、ラウラ国の冒険家、カイタスの著書、『スカーディナウィア』の記述を引用しよう。
『スカーディナウィアの地はヨルパ大陸北方、フリップ王国の北方海岸部から望む海を超えたところにある。大陸とは地続きではあるが、人の足を阻む極寒の山岳地帯が半島の付け根から、ゲルマタニアの北東部あたりまで続いており、陸路での行き来は不可能である』
『スカーディナウィアはその付け根から南に向けて、ゆるい弧を描く用な形で伸びている。その海岸線沿いには、複雑に入り組んだ入江が巨大な絶壁をなしており、これをフィーヨルドと言う。ごく一部を除いて、海岸線は極めて生活に適さない。また、農耕については南部にて僅かに広がりを見せつつあるとのことだたが、北部は寒冷過ぎる気候から農耕には適さず、そこに住む者達は主に狩猟と漁業、僅かな家畜の放牧によって生活を立てている』
『半島には無数の小規模な部族が存在し、ここ百年程度で戦いを繰り返しながら、九つの力の強い部族が現れはじめた。地域ごとに寄り集まったこうした部族たちの代表者は自らを「公」と呼び、文明的な生活を目指し始めたという』
八百年前は要するに、やっと人々がまとまりだしたというだけの半原始的な状態の時期であった。その後、しばらくの間は信ぴょう性のある史料にはスカーディナウィアの状況は記されていない。だが、その五百年後、ヨルパ大陸全域でこの半島の民のことを思い出さざるを得ない事件が起きている。
フリップ王国の北西海岸沿いへのノルマ人の上陸である。ノルマ人はスカーディナウィア南西部に大勢力を持った部族であり、優れた航海術と獣じみた勇猛さを有していた。それまでの五百年でフィーヨルドの絶壁を船舶基地として使えるようにするだけの技術を得た彼らは、瞬く間に現在のルワーズ伯領にあたる地域を占拠した。フリップ国王が苦肉の策として、ルワーズ伯位を与える懐柔策を取らなければ、フリップの半分程度はノルマ人のものとなっていたのかもしれなかった。
しかし、完全にフリップ化していったノルマ人たちは、故郷のことを忘れ始めた。ごく一部の細々としたものを除き、現在にいたるまで、スカーディナウィアとヨルパ大陸西部の諸国との連絡は散発的なものでしかない。ただし、この入植(というよりも侵略)の最初期においては、入植者たちを載せた船舶は何度か往復しており、スカーディナウィアに比べて温暖な別天地、ルワーズの地が南方の楽園として、半島に残っていたノルマ人達の間に広まっていた。それと共に、フリップの文化や技術が僅かに導入されていったが、多くのノルマの若者たちは過酷なスカーディナウィアの地捨てて、ルワーズに渡ることにその前途をかけたのである。
そのため、スカーディナウィアのノルマ人たちはその半数以上がルワーズへの航海に挑み、その故郷においては衰退していった。そのころ、スカーディナウィア全域においては、五百年前にカイタスが記述した力をつけた九部族が、それぞれに国といえる制度化された集団を形成していた。
半島北部のブレーキング、ポッテン、中央部にヨンショー、スコーネ、スオメル、スウェーダ、ヴェスタラ、南部にはセーデル、そしてノルマ人達が建国したノールが公国を名乗り、政治制度らしきものを確率しつつあったのである。
上記九つの公国の中で最も力をつけたのはスウェーダであった。スウェーダ公国の何代目かの君主ホーコン一世は周辺のスオメル、スコーネ、ヨンショーを侵略しその領土を広げ、その晩年にはフリップをならって王号を使い始める。スウェーダ王国は次代のハルステンの時代にスカーディナウィアの全勢力を屈服せしめ、その君主たちを臣とするにいたる。スウェーダ王国の栄華は二百年以上に渡って続いた。その間には細々としたヨルパ大陸西部との貿易からその文明を吸収し、土地に合わせた独特の文化を築いていった。しかし、スウェーダ王国とその臣下である公爵を君主とする藩国との関係は、隷属以外の何者でもなく、度重なる搾取の中で八公国は衰退していった。
大きく代わったのは今から五十年ほど前である。スウェーダ王国誕生以降、スカーディナウィアでは、半島全体を支配する君主の名を用いて年号としているため、以降はそれを使って述べる。
約七十年前にあたるインゲ一世の二年、一人の名君が藩国の一つであるヴェスタラ公国で生を受ける。ヴェスタラ公爵ヤーノ・ステンロースの長子ヨハン・ステンロースである。ヨハンは父親の死により二十三歳で公爵位を継承し、インゲ一世の継承者たるインゲ二世の十五年、二十五歳のヨハン・ステンロースは搾取される一方の公国の状況を打開するための政治を始める。
ヴェスタラはスカーディナウィアの他の公国と比べても極めて貧しい国で、比較的標高が高いために農耕には全く適さず、その生活は文明的と言えるかどうかぎりぎりの状態であった。しかし、この地に生きる人々はその分極めて器用であり、金属の優れた加工技術を有していた。ヨハンは武具や生活用品、装飾品などの製造を奨励し、鉱山資源豊かな南方のノール公国から原材料を大量に仕入れ、加工工業を発展させた。
続いてヨハンは、若手の商人たちに融資を行ない、それらの商品を公国の外で大量に売りさばく販売網を確立する。一説によればヨハンはノール公国に上陸したという、メディサラ商人からそのアイデアを享受されたとも言われている。その結果、インゲ二世の二十五年にはこの販売網がスカーディナウィア全域に広がり、ヴェスタラ公国は大いに潤い、また、スウェーダ王国の搾取に苦しむ各藩国も、優れたヴェスタラ製の道具類の普及によって、農耕、漁業、狩猟、遊牧などの生産力が著しく向上し、次第にスウェーダ王国の圧倒的な優位性は過去のものとなっていくかに見えた。
このことを憂慮したインゲ二世はその即位から二十七年目にヴェスタラ製品へのスカーディナウィア全域における特別関税の導入という強引な手段で、この貿易網の崩壊を企図する。それがスウェーダ王国終焉への序曲となるとはインゲ二世は思ってもいなかった。
ブレーキング、ヨンショー、スコーネ、ウブサラ、スオメルの五公国がこの関税の実施を拒否したのである。五公国は特にヴェスタラ製品によって、著しく生産力を増大させており、関税の導入は公国経済に大きな影響を与えるからであった。それ以外の、ポッテン、セーデル、ノールの三公国も全ての藩国が導入するまでは、自分たちも保留する旨をインゲ二世に伝えてきた。
臣下であるはずの藩国に始めて歯向かわれたインゲ二世は激発する。ヴェスタラと隣接し、最も早く関税の実施拒否の意向を示したスオメル公国に対して、討伐の軍を発したのである。スオメルは藩国の中でも最も国力の充実した公国であったが、軍事力は不十分であった。わずか一ヶ月で公国首都ヘルシンフォスが陥落し、公爵の一族は根絶やしにされてしまう。
インゲ二世にしてみれば、これは当然の討伐であった。宗主国の意向に逆らうことなど、許されるはずもなく、真っ先に反抗の態度を示したスオメルを滅ぼすことで、他の藩国は素直に従うようになると考えていたのである。だが、結果は思惑とは正反対の物となった。インゲ二世の誤算は急成長した藩国の力を見誤っていたこと、藩国同士が連携して反抗することなどないとたかをくくっていたこと、仮に手を結んで反逆を企てるにしても、その中心となれるような国はスオメル以外にはないと考えていたことによる。スオメルに変わって、藩国中第一位の国力を持つようになったのがヴェスタラであった。そして、ヴェスタラ公爵ヨハン・ステンロースこそが、スオメル公爵以上に反抗勢力の象徴となりえる人物だったのである。