表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヴェスタラ戦記  作者: 槙原勇一郎
内親王
5/23

旅立ち

 追手はなかった。クリストフェルは無用に約束を破る男ではない。そして、彼が最後に口にしたことは本音だった。スヴェンに命を狙われるとなれば、何処にいても安心できなくなる。放浪の民であるスヴェンは、何処にでも潜り込むことができる。いや、こそこそせずとも、屋敷に侵入してくることを誰も止めることはできない。仮にベール・エストマンが万全であったとしてもである。


 スヴェン自身もそう確信していた。そのため、一度、農園まで戻って十分に準備をしてから、旅に出ることにしたのである。クリストフェルの公邸を出たのはすでに夜であった。まさか、公邸の周りの集落に泊まるわけにもいかず、暗闇の中、馬を駆ってイエテポリの宿舎についたのはすでに深夜である。


 使用人たちはまだ誰も眠りについていなかった。主を失い将来への不安を覚えているのもあったが、そこについては、ズラタンが心配ないと言ってくれている。心配なのはフレデリカのことであった。だから、スヴェンやニルスと共にフレデリカが宿舎に現れた時は、みな一様にほっとしたのである。


 翌朝早朝にイエテポリを発って、夕刻に農園についたときには、先日から涙腺が緩みっぱなしのズラタンが号泣して喜んだ。


「ズラタン、帰っては来たがすぐに旅立たねばならない。これから帝国は荒れる。フレデリカを巻き込まないためには、一箇所にとどまることは危険だ・・・」

「そうですか・・・致し方ありません・・・」

「農園は任せるが、直接戦禍に巻き込まれるようなら、無理せず逃げてくれ。なに、いつでもやり直しは効く」


 そう聞いて、ズラタンはニヤリと笑ってみせた。


「立ち直りの早さが私の売りです。また、一から作り直せばいいのです。今度は、スヴェン様がご一緒にいかがですか?」


 冗談めかして言ってみせた。この涙もろい男は、これでもかなり豪胆な質であった。


「俺にそんなものが向いているわけがないだろう?」

「意外とお似合いかもしれませんよ?騎士団よりはマシじゃないでしょうか?」

「言ってくれるじゃないか」


 悲嘆にくれてばかりでは入れなかった。ズラタンがこのように立ち直ったのは、フレデリカの様子を見てである。農園を発ったときに比べて、なんと弱々しいことか。今になって、父親を失った悲しみを理解したかのようであった。力なくうなだれ、一言も話さないフレデリカを見て、逆にズラタンは明るく話しかけた。


「さ、お嬢様。お疲れでしょう?今日はもうお休みになってください。ああでも、夜食を用意しておきましたから。お嬢様のお好きなグラフラックス(鮭のマリネ)もありますよ」


 だが、フレデリカは何も言わず寝室に向かおうとした。まるでズラタンの声も聞こえていないかのようであった。それに気づいたズラタンがフレデリカに近づこうとしたのをスヴェンが留める。ふいに、ニルスがフレデリカを引き止めた。


「フレデリカさん。食事は取ったほうがいいです。明日には準備を済ませて、明後日には旅立たないとならないんですから。少しでも体力をつけておかないと、体がもちません」

「・・・」


 フレデリカは不思議なものを見るような目でニルスを見た。実を言えば昨日の夕方からまる一日以上一緒にいるのに、まともな会話をしたのも始めてだった。食事の準備の手伝いの時や、騎士団長公邸でも多少の言葉は交わしていたが、まともに目を見て話したのは始めてである。


「亡くなった方の分まで、前を向いて進んでいかないといけません」


 静かな、静かな声だった。十四歳にしてはあまりにも大人びたセリフであったが、不思議とそうは感じさせなかった。それだけのものが僅かな言葉の中にこめられていたのだ。だが・・・


「あっ・・・あなたに何がわかるのっ!?」


 フレデリカはズラタンが肩を竦める程の声を上げ、キッとニルスを睨みつけた。これほど感情を表に出すのはフレデリカには極めて珍しいことだった。ズラタンは息を飲んで、スヴェンを顔を見る。だが、スヴェンは腕を組んで何も言わない。ズラタンが何事かを言おうと口を開いた瞬間、スヴェンが視線でそれをおしとどめた。


 ニルスは懐から何かを取り出した。


「私の・・・両親の遺髪です」


 はっとしたように、もう一度フレデリカはニルスの顔をまじまじと見つめた。ニルスはニコリと笑ってみせた。


「両親とも8年前のセーデル公領での反乱に巻き込まれて亡くなりました」

「・・・」

「ヴェスタラの騎士達が暴走し、兵士でもない父を惨殺して、母は嬲りものにしたあとで、やはり殺されました。私は母に押し込まれた隠れ場所で、ずっとそれを見ていました」


 ニルスはフレデリカから視線を外さず、まばたきすらせずに話し続けた。淡々とよどみなく、笑みを浮かべたままで。


「私が無事だったのは、騎士たちの暴挙に気づいたスヴェン先生が家に駆け込んで来たからです。先生はリーダー格の男を斬り捨てましたが、それ以外の者は部下たちに取り押さえさせて、軍法会議にかけました。隠れ場所を見つけて私を保護した先生に私は言いました。あいつらを殺してやりたいって」


 気づくとズラタンは再び涙を流していた。情の厚い男である。いや、三人と共に農園に戻った他の使用人たちもいつの間にかニルスの話を聞きいっていた。


「先生は言いました。昨日と同じように。私の両親は私が復讐者になることを望んではいないと・・・。今でも、あの騎士たちが憎い。殺してやりたいと思うこともあります。でも、それでは、前に進むことはできません」


 ここで、ニルスはしばらく言葉を切った。フレデリカは視線を落とし、どうしていいかわからないような様子だった。


「フレデリカさん、泣いてもいいし、甘えてもいい。でも、投げやりになってはいけません。今は、立ち止まっている余裕はないんですから」





 それだけ言うと、ニルスは黙ってフレデリカを見つめた。それを見たスヴェンは、手を振って使用人たちに変えるように合図をし、ズラタンの背中を押して、屋敷の中に入っていく。


「スヴェン様・・・あの、ニルス君ですか、彼の話・・・」

「ああ、本当だ・・・ちなみに、その騎士達は位の高い貴族の遠縁の者達でね。騎士団からの除籍だけで、あとはお咎めなし。俺が斬った首謀者以外は全員生きている。それで嫌気がさして俺は騎士団を辞めたのさ」


 言葉には多少は自重の響きがあった。


「ニルスはある人に預けてあったのが、一年ほど前に再会してな。剣を教えて欲しいと言って聞かないものだから、連れて歩いている。言っとくが、あいつが剣を学んでいるのは復讐の為じゃない。自分が大切な人間を守れる程度には強くなりたいんだとさ」


 スヴェンはわざわざ外のフレデリカにも聞こえるように大きな声でそれを言った。フレデリカは立ち尽くしたま動かない。ニルスはそれ以上何も言わなかったが、そのままフレデリカを見守って立ち続けていた。





「スヴェン様・・・お嬢様は・・・」

「ニルスがいるから大丈夫だろ」

「しかし・・・」

「腹が空けば入ってくるさ」

「ニルスさんは・・・」

「あいつの我慢強さと意地っ張りは筋金入りでね。フレデリカが食べると言わない限り食べないし、家に入らないならそれにも付き合うだろうさ」


 スヴェンは勝手に棚からワインを取り出し、自分で注いで一気にあおった。ズラタンにも注いでやったあとは、ビンから直接ラッパ飲みを始める。続いて、むしゃむしゃと料理を口に運び始めた。


「旅慣れた人間には当たり前のことだ。食べられるときには腹いっぱい食べて、眠れるときにぐっすりと寝る。たとえ何があろうとな。前を向いて進むってのは、ま、人生っつう旅を立ち止まらずに続けるって言うことだ」


 一気にワインをあおったせいか、スヴェンは急に饒舌になった。ズラタンは幾分呆れたような顔をしたが、入り口の方に目を向けると、驚いたように動きを止めた。




 フレデリカがそこに立っていた。ニルスも後ろに、まるでエスコートするかのように立っている。


「おじ様・・・その・・・ニルスさんも・・・お腹がすいていると思うし・・・私・・・あの・・・」

「ん?別にまだ二人の分にまで手はつけてないぜ。おっ、しかし、このグラフラックスは絶品だな・・・早く座れよ。全部食っちまうぞ。疲れたときの俺の胃袋は底なしだからな」


 スヴェンのうまくもない冗談に笑顔こそ見せなかったが、フレデリカは席についた。几帳面なことにちゃんと短く祈りの言葉を口にしてから食事を始める。それを確認してからニルスも食べ始めた。スヴェンはもぐもぐと口を動かしながら、多少は呂律の回らない感じで話し続ける。


「ところでだ、もう自己紹介も不要かもしれんが、お前らまだ酒も飲めないようなガキ同士がお互いに『さん』付けで呼び合うってのはちょっと気色悪いぜ。これからしばらく一緒に旅をするんだ、ま、仲良くしてくれ。ほどほどにな」


 最後の一言には多少下品な意味がこめられていたようであるが、生真面目な二人は酔い始めたスヴェンの言葉を丁重に無視した。スヴェンはニヤリと笑って、再びワインをラッパ飲みする。ニルスだけは知っていたが、これがスヴェンにとっての弔いの儀式だった。そしてそれは義兄たるウィルゴットのみならず、彼との戦闘で死んでいった騎士たちにも向けられてのものだったのである。





 早朝、スヴェンは農園を見下ろすことができる近くの小高い丘の上に立っていた。目の前には真新しい墓標がある。スヴェンたちが騎士団長公邸に向かっている間にズラタンが使用人たちと作ったものだった。農園に戻ってからすでに二晩が過ぎている。昨日のうちに旅の準備は済ませてあった。


「おじ様!納屋で燻製にしていた鱒も積み込みました。父がおじ様のためにって、用意していたものですから」


 ニルスとともに小走りで駆け上がってきたフレデリカが明るく言った。すでに悲嘆にくれる様子はない。


「ウィルゴット、相変わらず気の効く兄貴だな・・・」


 スヴェンはそう言って、手に持っていたビンからコスケンコルヴァ(ウォッカに似た酒)を墓標に注いだ。それが最後の別れの挨拶であった。


「よし、行くぞっ!」

「何処へ向かうのですか?」


 聞いたのはニルスである。風来坊の師は手紙の配達や護衛の仕事でもない限り、いつも目的地を決めるのは出立の直前だった。


「とりあえず、居眠り公のお膝元にでも行くか。何かがあっても、危険が迫るのは一番最後だ」

「ノール公領ですか?」

「ああ、まあ、行ってみて、その時の状況次第だな。そこからエスラの港まで行って、海を超えてフリップ王国とやらに向かうのもいいかもしれん」

「私、あんまり遠くまで行ったことはないから楽しみです」


 フレデリカの言葉にスヴェンは意地の悪い笑顔で答えた。


「ま、そのうち帰りたいって泣きべそかくかも知らんがな」


 フレデリカの抗議の声は聞かず、スヴェンは丘の下に止めてある馬車に向かって歩き出した。少しだけ肌寒い風がせまる冬の気配を思わせつつも、陽の光が暖かに三人を包んでいた。

第一部完・・・というわけでもないです。どちらかというと、プロローグが終わったぐらいでしょうか。ちょっとだけ、明るい雰囲気が出てきました。


感想いただけると嬉しいです。あんまり反響がないようなら・・・このまま売れない漫画みたいに中途半端に連載停止とか・・・やだなぁ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ