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ヴェスタラ戦記  作者: 槙原勇一郎
内親王
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クリストフェル

 スヴェン、ニルス、フレデリカと十名程度の使用人たちは、重い荷物を抱えながらも全速力で街道を進んだ。行き先は第二騎士団長クリストフェル・エリクソンの居館である。本来第二騎士団は北方二公領、ブレーキング公領とポッテン公領が管轄で、領境沿いの帝国本領内に駐屯している。


 帝国が誇る四つの騎士団の長には、一代侯爵位が与えられていた。これを通称四剣候と呼ぶ。騎士団の駐屯地は侯爵領として当たら得られたものであり、その税収によって騎士団は維持されているのである。だが、軍の主力を率いる騎士団長は侯爵領に常にいるわけではない。軍の重鎮である彼らは戦時中以外、一年の半分を帝都で送る必要があり、帝都の中か、その郊外に邸宅を構えるのが普通であった。第二騎士団長クリストフェル・エリクソンも帝都から程近い場所にその居館を構えている。 


 文官と違い、あくまで軍事の担当者である彼らは帝都の内部に家を構えることを好まない。都合上、どうしても、武装した兵士が出入することになるから、街中では何かと差し障りがあるのだ。元々ほとんど無人の土地を選んで邸宅を構えるのだが、多くの兵士が集まることから、商魂逞しい者達が近所に店を構える。騎士団長の屋敷を中心に、小さな村のような集落が形成されていた。邸宅は小高い丘の上にある。


 騎士団長公邸という正式名称で呼ばれる建物の周りには、その警備の名目で数百名の騎士たちが駐屯していた。昨日、クライン農園を襲撃した騎士たちも、この公邸の警備を任務とする者たちに相違なかった。


 早朝から飛ばして来たが、すでに夕刻を過ぎている。二台の大型の荷馬車が公邸前の門前に到着すると、あたりは騒然となった。警備の騎士たちが集まり、周囲を囲む。使用人たちは震えてその場に立ち尽くしてしまった。


「ここは帝国軍第二騎士団長クリストフェル・エリクソン侯爵の邸宅である。何者がどんな理由をもってここに現れたのか?積荷は何か?」


 警備の責任者であろうか。高圧的な態度で詰問してきたために、スヴェンはムッとした。


「我々はクライン農園の者だ。お前たちの仲間が、農園に大切な物を忘れていったので届けに来てやったのだ。そのような態度でいいのか?道理と礼節をわきまろ」


 口調は強くはない。だが、挑発というよりも相手を怖気付かせるための返答だった。その時、邸宅の門が開いて別の騎士が現れた。新たに現れた騎士はケガをしているようで、腕を吊り、左目にも包帯を巻いている。


「スヴェン・ホシュベリー殿ですね?」


 スヴェンはその騎士に見覚えがあった。先日の斬り合いの際、退却を指令した人物である。あの百名の指揮官であったのだろう。腕と顔のケガは、スヴェンの馬術によって、馬体と蹄をたたきつけられてできたものである。そして、おそらくは、ウィルゴットに瀕死の重傷を負わせた張本人でもあった。


「名は?」


 スヴェンには答えずに、騎士の名前を問うた。


「ベール・エストマンと申します。騎士団長から一隊の長に任じられております」


 男は僅かに震えていた。疲労困憊していたとはいえ、ウィルゴットに致命傷を負わせたほどの剣士である。しかし、それゆえにスヴェンにはかなうまいということも理解していた。


「心配するな。あんたに復讐しようなんて思ってはいないさ。積荷の樽の中は、先日ウィルゴットと戦って果てた騎士たちだ。蜂蜜酒に漬けてあるから、腐敗はしていない。ただ、首と胴体が離れていた死体には取り違えがあるかもしれないから、確認してから遺族に届けてやって欲しい」

「お心遣い、かたじけなく・・・」

「嫌な役回りばかりで気の毒ではあるが・・・」

「いえ・・・、クリストフェル侯爵がお会いになります。どうか中へ・・・」


 スヴェンは使用人たちに積荷を下ろしたら荷馬車と共に農園へ帰るように命じた。すでに夜であるから、イエテポリにある農園の宿舎で一泊するのが良いだろうと、フレデリカが付け加えた。使用人たちの心配そうな視線を浴びながら、スヴェン、ニルス、そしてフレデリカが公邸の中に入っていった。


「スヴェン、相変わらず元気そうだな」

「愛想のいい挨拶なんぞ貴様には似合わんし、俺もいらない。なぜあんなやり方をした?」


 スヴェンは冷静ではあるが、声には怒気がこもっていた。後ろから付いてきた、ベールがビクリとする。負傷した身ではあるが、主のことは命に変えても守らなければならない。


「ベール、そう身構えなくていい。この男はこちらから何かしない限りは、手を出してはこない。粗野に見えるが、道理にはこだわる男だ」

「答える気はないのか?」

「いや。およそのことは予想が付いていると思うが、まず、お前の知らないことを話してやろう」


 部屋の中には五人だけである。クリストフェル、スヴェン、ニルス、フレデリカ、それにベールという騎士である。五人とも立ったままで話していた。応接室でも執務室でもない、おそらくは何かの小規模なパーティなどで使うようなホールのようは広い部屋である。


「帝が病臥されている。医師の話ではそう長くないとのことだ。内密にされているがな」

「そうか・・・」


 スヴェンは言葉を詰まらせた。この一言だけで全ての事情がわかる。


「陛下はまだ正式に立太子されておられない。直系の継承候補は幼いお二人のみ。五歳のアーギュスト大公と三歳のアストリッド大公だ。まだまだ内心、独立の機会を狙っているスコーネ、セーデル両公爵に加えて、北方にはつい最近まで反乱の軍を維持していたブレーキング公爵がいる。他の諸公とてどう動くかわからない。そうなれば・・・傍系とは言え、唯一生存している成人した皇族、陛下の妹君を推戴しようという動きも出てくる。女帝とは言え彼女であれば・・・」

「レーナ侯爵夫人が私の母ですか?」

「っ?」


 フレデリカの言葉に、スヴェンとクリストフェルの両方が意表を突かれた。


「クリストフェル卿、あなたが私を必要とする理由はそれ以外思い浮かびません。皇妹にして、宰相閣下の婦人、そして、四剣侯として女性ながら近衛騎士団を統べるレーナ・クルーガー様が私の母、そうなのですね・・・」







 長い沈黙が彼女の言葉を肯定していた。


「なるほど・・・その洞察力が正しくそれが真実であることを証明している。フレデリカ内親王殿下・・・」

「内親王とは帝の嫡出の女子、皇孫の女子、皇姉、皇妹に与えられる称号のはず・・・」

「いずれあなたは内親王たる資格を得ることとなる」

「それがあなたの狙いですか?」


 フレデリカはまっすぐにクリストフェルを見つめた。


「私は認知されていない皇族のはず。どんな政治力を駆使するつもりかわかりませんが、皇婿となられるクルーガー侯爵が認めるはずはありません。あなたはむしろ、私の存在を使ってレーナ侯爵夫人の推戴を阻止しようと考えておられるのではありませんか?女帝推戴派に亀裂を入れるために・・・」


 誰もが、フレデリカの洞察力に舌をまいた。自分自身の出生の秘密を確信しながら、冷静にその意味を捉え、クリストフェルの狙いまで読んでいる。


「そこまでお分かりなら・・・」

「だからと言って納得しているわけではありません。どうして、父を・・・いえ、あなたの意図はわかります。わからないのはあなたの心です!」


 クリストフェルはフレデリカの意表をついた発言にうろたえることこそなかったが、一瞬、呆然としていた。信じがたいほどの洞察力を持つフレデリカだが、言葉に感情がこもれば、彼にとっては子供である。この一言がクリストフェルを冷静にした。


「あなたにとっても父は身内のはず・・・」

「それも、今におわかりになります。政治とは、時として人の心を捨てて行わねばならない・・・」

「あなたの意図通りであれば、私が政治のことなど考える必要はないでしょう?」

「いえ、皇族であれば、政を無視することなどできません。政治にかかわらないつもりであっても、存在自体が政治的な意味を持つ。逃れられるものではないのです」


 スヴェンは一瞬だけ、クリストフェルの目に光るものを見た。だが、彼の顔からは感情が消えている。昔からそうであった。クリストフェルが『何を考えているのか』はわかる。付き合いは長い。兄弟として育ったのだから。だが、『何を思っているのか』はわからなかった。子供のころからずっとである。


 突然、フレデリカは一瞬倒れるかのように前方に体を傾けた。すぐ横にいたニルスが支えようと身を屈めた瞬間、ことは起こった。


 ニルスには何が起こったのかわからなかった。ベールも、スヴェンですら身動き一つできなかった。フレデリカの動きに僅かにでも反応できたのはクリストフェルだけである。そして、それがなければ、クリストフェルは命を失っていた。


 彼の腕からは血が滴り落ちていた。


「これが血筋と言うものか・・・ウィルゴットが剣術を教えていたとは思えないが・・・」


 フレデリカの手にはニルスの腰から抜き放たれた長剣が握られていた。クリストフェルは剣を抜く暇もなく、それを右腕で受けたのである。


「ケダモノっ!あなたはケダモノよっ!人の心を失ってまで、権力が欲しいのっ?!」


 フレデリカの言葉には答えず、クリストフェルは腕を振って刃を抜いた。フレデリカはさらに斬撃を浴びせようとした瞬間、カァッンと言う音と共に長剣が大理石の床に落ちた。







「フレデリカ・・・ウィルゴットはお前に復讐者になって欲しいとは思っていない・・・」


 長剣をたたき落としたのはスヴェンだった。それがなくとも、クリストフェルは後ろに飛び、いつの間にかベールはその脇に回っていた。ベールは腕を吊っており丸腰である。スヴェンがそうしなければ、フレデリカの斬撃を身代わりになって受けているはずであった。


 ゆっくりと、ニルスが近づき、長剣を拾った。几帳面に胸にしまってあった布で血をぬぐって鞘に収める。その動作にはこの場の空気を落ち着ける効果があったのかもしれない。


「スヴェン・・・フレデリカを私の元に置くのは諦めよう・・・。だが、他の者には利用されたくない。これから、帝国は戦禍に見舞われる。彼女を連れて安全な場所に隠れていることだ。できれば、海の向こうにでも逃げるのが一番いい」

「なぜ俺がお前の思惑通りに動かないといけないんだ?」

「俺の思惑など関係ない。それが、たぶん、お前の考えにも沿うと思ったからだ」


 スヴェンは落ち着いていた。だが、その目には怒気がみなぎっている。


「お前が一緒だった時点で、さっきの考えはもう放棄していた。ウィルゴットとお前は違う。わざわざ目立つように騎士たちの死体を運んできた。屋敷の外では軽い騒ぎになっているだろう。ここでさらに斬り合いなどしたら、ごまかしようがなくなる。不都合なことが多すぎる。そうなったとしても、お前はフレデリカを連れて逃げてしまうことだろう」


 お互いの考えは全て分かっていた。だからこの二人の間で勝ち負けがあるとすれば、ほとんど運だけのものだった。クリストフェルにとっては、ウィルゴットの農園にスヴェンが訪れた時点で負けだったのである。





「これを持っていけ」


 おもむろにクリストフェルは、側のテーブルに置かれていた革袋を投げて寄越した。ずしりと重い。


「半分は金貨、残りは宝石にしてある」

「金で言うことを聞かせようってのか?」

「元々お前のものだ。エリクソン老の遺産の持分を俺に押し付けていったろ?その一部だ。できれば全部返してしまいたいが、根無し草のお前にはどんな形にしても持ち切れないからな」


 その言葉を聞いて、スヴェンは革袋を腰に縛り付けた。


「クリス・・・二度とフレデリカに手を出すな。その時は・・・必ず俺が殺す」


 剣は抜いていない。睨みつけているわけでもない。ただ、淡々とセリフを読むように話しただけである。だが、それを聞いたベールの額には汗が浮かんだ。殺気とは言葉や視線に宿るものではない。この時ベールは初めてそう確信していた。


「お前に命を狙われるのは、百人の敵に一人で戦わねばならない状況よりも面倒だ。十万の軍勢に囲まれていたって油断できないからな。肝に命じておこう・・・」


 クリストフェルは振り返りもせずに、会談の会場となったホールから出て行った。





「フレデリカさん、行きましょう・・・」


 そう声をかけたのはニルスだった。フレデリカはその場にしゃがみ込んでしまっていた。そして、父親が死んでから初めて声を上げて泣いていた。

この話・・・自分でもびっくりするぐらいシリアス展開だなぁ・・・もう、今更、軽いノリに持っていくのは無理ですかね・・・

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