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ヴェスタラ戦記  作者: 槙原勇一郎
黙将雪原を駆け白狼本拠を失う
20/23

皇后父を裏切り若将と共に立つ

 グスタフは苛立ちを覚えた。相対している者たちは、自分を馬鹿にしているように思えた。ブレーキング公領の者がもっとも嫌うのは田舎者と馬鹿にされることである。史上、第一次、第二次藩国連合軍が結成された際に、もっとも勇猛に戦ったのが彼らブレーキングの戦士たちである。しかし、大軍全体を統括したのはヴェスタラであり、部族の連合体という性質上、略奪の発生などを食い止められなかったのも確かで、『北方の山猿』という嘲笑交じりの二つ名を付けられていた。

 この素朴で未熟な精神構造をうまく利用したのがマルティン・アンドレセンであった。戦場で浴びせられた嘲笑によって傷ついた戦士たちのプライドをくすぐり、その後数十年に渡って戦争に駆り立てることに成功したのである。


 そんな、過去の時代を考察するようなことは、純粋な狩人であり戦士であるブレーキングの男たちにはなかった。彼らにとっては、マルティンは誇り高い諸部族をまとめる長であり、自分たちは彼のもとで蛮勇を奮う戦士であればよい、そんな素朴な世界観の中で生きていた。グスタフはそれほど世の中を単純化してみてはいない。偶然にも同名のヴェスタラ帝国前宰相グスタフ・ストーメアほどではないにしろ、政治に関する知識も多少はあり、複雑な家庭環境で育った彼は物事を慎重に、多角的に見る習性を持っている。

 しかし、まだまだ若い。馬鹿にされたと思えば不快にも思い、それが表面に現れることもある。


「外で何が起こっているかだと? 我公爵閣下はアンデルス帝の崩御に漬け込んで権益拡大を図ろうとしている君側の奸どもの裏をかき、帝都レールムを奪還した。宮廷の豚どもは汚らしい謀議をわざわざレールムから遠いフリース城で開いていたところを、スウェーダの残党どもに襲撃され、ほうほうの体で逃げて、ヘルシンフォスでこそこそ生き残っている。それ以外に何かあるのか?」


 つい、こういう口調になってしまうのだ。シャウマンはクスリと笑った。実際には笑い声は漏れていないが、口の端がわずかにつりあがった。グスタフは殴りかかりたいという衝動をかろうじてこらえた。


「なるほど。主だった事件のことはご存知のようだが、ブレーキング公領の今後を背負っていく人物としてはもう少し、広い視野にたって情報を集められたほうがよろしいでしょう」


 シャウマンはまるで、生意気な生徒を婉曲的にたしなめる教師のような口調でそう言った。それはグスタフの神経をさらに逆なでするものであったが、どうにかこれもこらえた。


「では、伺おう」

「ふむ。まず、先ほど申し上げたとおり、レールム周辺では事前に我々第二騎士団とポッテン公領の商人たちの手で、食料の買占めを行いましたので、食糧不足の状態にあります。その上で、アンドレセン閣下は軍隊を養わねばなりませんから、やむにやまれず食料の徴発を行いました。よって、現在のレールム周辺ではすでに飢餓が発生。大規模な棄民の群れや野党団が闊歩しており、経済的な混乱を極めております」

「その責任は買占めを行ったそなたらにあるだろう」

「もちろん、我々としてはこうなることは予測しておりましたが、民衆の飢えを満たすのは為政者の仕事。現在レールム周辺はアンドレセン閣下の手中にあるのですから、やはり、その責任は閣下のもとにあるとも言えましょうな」


 きわめて腹立たしいことに、正論であった。強引な理屈で正当性を唱え、帝都を奪取したのはマルティンである。それがなければそもそもこのような飢餓の発生などありえなかった。しかし、目の前にいる狸はそうなることを見越して、食料の買占めという非常の策を実施してみせたのだ。


「それで自分のしたことを正当化できるとでも言うのか?」

「そもそも正当化の必要もございませんな。我騎士団長はスカーディナウィアの千年の平和を望む者。どのみち、今後数十年は戦乱が続くと考えておられます。我々が買占めを行わなくとも飢餓の発生は止められませぬ。早いか遅いかの違いだけで」

「飢餓の発生が止められない?」

「はい。実はすでにレールム周辺だけの話ではなくなっておるのです」


 シャウマンは説明を続けた。


 レールム周辺以外では、女帝レーナが戴冠したヘルシンフォス周辺で棄民の群れこそ発生していないものの、旧スオメル貴族たちによる無理な徴発によって、やはり食糧不足が発生していた。旧スウェーダ本領、フリース城の周辺ではスウェーダ皇帝を僭称するハルステンの遺児サウリが自ら食料の徴発というよりも、略奪を行い、食糧不足のみならず、兵士たちの蛮行によって多数の死者が出ている。

 もともと冬の期間はスカーディナウィアにおける経済活動は著しく制限され、山岳などの自然の境界で切り分けられている公領同士の交流は著しく制限されるが、棄民の流入を避けたい各公領では、軍隊を動員して領境を固めている。よって、現状ではすでにヴェスタラ帝国は分裂状態にあると言ってよかった。


「もともと我ポッテン公領では水産物で十分自給自足ができるのですが、近年は南方から輸出した穀類の需要が著しく増加しておりましてな。食生活もずいぶんと変わってしまった。私としても、買占めはやむにやまれずという部分もございまして」


 やたらと腰が低いのはポッテン公爵である。


「さて、お分かりと思いますが、もともとブレーキング公領は他の公領や内領の領主たちとの交流もあまりない。地理的な都合上からも、独立国に近い状態に長い間ございました。これは、仮にマルティン閣下の蜂起がなかったとしても、変わらなかったことでしょう」

「他の公領でも同じ状態になったということか?」

「公領だけではありませんな。ヴェスタラ本領でもマルティン閣下に与さない多数の小領主達はやはり独力での自領の統治をせざるを得ない状態になっておりますし、棄民の発生源に近いわけですから、さらに切実です。本領外の内領でもスオメル貴族の大部分はヘルシンフォス宮廷に組していますが、旧スウェーダ貴族たちは一部のサウリ帝に与する者以外は半独立の統治を余儀なくされております」


 ヴェスタラ帝国の建国以降、公領を除く地方領主たちは領主というよりも、ヴェスタラ宮廷から地方自治を委託された地方官僚に近い存在となっていた。中央からの指示に従いながら、わずかな領地の運営を行っていたに過ぎなかったのだが、この冬以降、税の徴収からその使い方、治安の維持にいたるまで、自力で行わなければならない状況になっている。その力無き者は領民や臣下の反乱によって地位を失う。すでに少数ながらそういった事件も発生していた。


「もっとも奇妙なことになっているのは、恐らくはブレーキングでしょうな」

「…どういうことだ?」

「本来、ブレーキング公領ほどに独立国に近い公領は存在しなかった。しいて言うならセーデル公領ぐらいでしょうが、地理的な条件からするとブレーキングがもっとも中央の影響なく独立に統治されておりました」


 それこそが、スウェーダ王国時代からヴェスタラ帝国の時代になっても変わらない、ブレーキング諸部族の誇りであった。スカーディナウィア全体の政体の変化など関係なく、ブレーキングはブレーキング諸部族のもの、そういう思想が彼らの根底にはあるのだ。


「にもかかわらず、現在はもっとも独立した状態に無い。権勢を握りながら、故郷に対しては何の手助けもできていない、マルティン・アンドレセン閣下の支配に服しておる」

「ブレーキング諸部族の長はそのマルティン・アンドレセンだっ!当然であろう!」

「マルティン閣下は果たしてどうお考えなのでしょうな。本当にブレーキング諸部族の長としての責務を果たすおつもりなら、今の状況でこのような指令は出しますまい…」


 シャウマンの言うのは先ほど提示されたマルティン直筆の指令書である。本来は窮乏しているブレーキングを救うためという理由で、レールムに進軍したのである。糧食が確保できないのなら、レールムから撤退してでも領内の食料の確保に努めなければならない。男手の少ないブレーキングでは、冬の間に独力で食料を確保することは困難であるからだ。

 そのことについては、グスタフ自身も大いに不満を持っていた。だが、彼がその不満を表に出すことは許されない。


「失礼ながら、グスタフ殿の難しい立場を実は存じております。ですが腹を割ってここはブレーキング公領のためにご協力いただけませんかな?」

「何を言うかっ!長年対峙し続けた第二騎士団とポッテン公がブレーキングのためなどと片腹いたいっ!どうせなんぞ卑しい算段あっての話であろうっ!?」


 グスタフは立ち上がり、腰の剣に手を掛けた。文官であるシャウマン、領主であっても武勇についてはとんと聞かれないポッテン公。弁舌はあっても武力は無く、胆力もどうか。弁舌ではかなわないと見て取ったグスタフは彼らを威圧することで精神的優位に立とうとした。それなくして、老練な二人相手に立ち打ちできるとは思えなかった。


 果たして、二人は青い顔になって震え上がった。有能であっても武の人ではない。ここに乗り込んでくるだけでも相当な度胸であるが、実際の暴力の前にあってはもろいものであった。だが…


「グ、グスタフ殿…あなたが立ち上がらなければ、今のブレーキング公領はどうなりますか?マルティン閣下が不在、合議制でその代理を任された老族長たちは保身しか考えておりますまい…」


 震えながらも、シャウマンは言い放った。老族長たちの話を出されて、グスタフは逆上した。自分自身が感じていることであったからだ。自分でそう思っていることを言われて、なお、それを認めるわけにはいかない。若者は自分の中の矛盾を否定するために剣を抜かざるを得なかった。


 ガキッ!


 グスタフの一撃は十分に速く、力もあった。実戦経験こそ多くは無いものの、年齢に比してその剣技は洗練されており、見た目以上に剽悍な戦士であった。その一撃をシャウマンの背後にいた大柄の兵士が受け止めた。剣は入室の時点で預かっている。兵士は手甲を付けた両腕を交差させ、挟み込むようにしてグスタフの剣を受けたのだ。


「落ち着きなさい。グスタフ…あなたの気持ちも立場もわかります。でも、投げやりになってはブレーキングの領民たちを救うことはできません」


 グスタフは耳を疑った。小柄な方の兵士の言葉であった。内容よりもその声に驚いたのだ。女性であった。それも自分のよく知る女性の声である。状況にもかかわらず懐かしさを覚えるような。


「あ、姉上…いや…皇后陛下…」

「グスタフ…立派になりましたね」


 兵士は兜を脱いで顔をみせた。それは、アンデルス帝が崩御した後も未だに皇后の称号を保持する女性、マルティン・アンドレセンの実子エスナであった。


「私がブレーキングを出て以来ですね。正式にアンドル族長代理となったと聞きました」


 ノキア関砦守備隊長、グスタフ・アンドレセンはエスナの同腹の弟である。マルティン・アンドレセンの唯一の男児であった。ブレーキングにおいて、アンドル族は代々公爵位に付く者を排出することになっている。ただし、完全な世襲ではなく、アンドル族長に連なる親族の中から最も公爵にふさわしいものが、諸部族の長たちの推薦によって立てられることになっている。そのため、アンドル族の族長と公爵は常に別であり、マルティンが公爵になった後は、その叔父に当たる人物が族長の地位にあった。グスタフは大叔父の死に際して、若年を理由に正式な族長ではなく、族長代理としてアンドル族を率いているのだ。


「グスタフ・アンドレセン殿…このようなやりとりになってしまったことには謝罪いたします。私は第二騎士団副団長ヒューゴ・アールトと申します。皇后エスナ陛下をお連れいたしました」


 ガクガク震えている二人に代わって、武官の代表格のような男がそう言った。


「我々がご提案したいのは、マルティン閣下の不在を補うため、あなたとエスナ陛下が実質的にブレーキングを統治することです。エスナ陛下が聡明で行政能力に長ける女性であることは我々でさえ存じております」

「実質的に…実質的にとはどういうことだ?」


 グスタフは姉と話すことで、冷静さを取り戻した。ヒューゴ・アールトと名乗る人物をジロリと見返しながら尋ねた。


「先ほど、我領宰が申し上げたとおり、本格的な戦闘こそないものの、すでにスカーディナウィアは分裂状態にあります。この状態にあっては、分裂した中でもっともまとまった勢力を持つ者が強い。何より、規模が大きければ大きいほど、軍事的にも経済的には都合が良いことになります」

「それで?」

「ブレーキングのみであれば、エスナ様、またはグスタフ殿であっても統治することができるでしょう。ですが、それでは実戦力のほとんどがレールムに移動した小さな勢力でしかありません」

「で、第二騎士団とポッテン公領の協力を得るのが得策だと?」


 グスタフはきつい視線をヒューゴに向かって投げかけた。姉との再会は彼を冷静にさせたが、それが返って、疑念を捨てられない頑なさつながってしまった。


「もちろん、さまざまな形でご協力させていただきますが、大事なことは分裂している複数の勢力を取りまとめる存在にあります。マルティン閣下と皇家の血を引くアストリッド大公殿下にブレーキング公爵位を継承いただくこと、それが我々の要望です。結果として、皇家とゆかりの深いアストリッド殿下が旗印となれば…」

「ヘルンシンフォス宮廷から離反した第二騎士団長クリストフェル・エリクソン卿の行動も正当化できる上に、騎士団領では賄いきれない糧食はポッテン公領からも得られるということか」


 ほう、と、ヒューゴが感心したようにグスタフを見直した。若く直情的なところもあるが、政戦両略に鋭い。


「しかし、別にそれであればアストリッド殿下をブレーキング公爵にする必要など無いのではないか?糧食も足りない上に、戦力も期待できないブレーキングなどねじ伏せて、第二騎士団とポッテン公領で組めばいいだけではないか? ヘルシンフォス宮廷がぐずぐずしているうちに、我父マルティン・アンドレセンを打倒してしまえば、騎士団長殿の発言権も増大、アストリッド殿下の後見人として権勢もほしいままにできる」


 グスタフは冷静になれば、多角的なモノの見方ができる。第二騎士団長の立場になって考えてみれば、ブレーキング公領などたいした価値が無いのだ。


「我騎士団長、クリストフェル・エリクソン将軍は幼帝の後見人になることなど望んではおりませぬ。それに、発言権を増して権勢を握りたいのであれば、別に離反せずとも、まともな将校の残っていないヘルシンフォス宮廷に残ればいいだけのこと。確実に軍事の第一任者、元帥になれますし、大軍を率いて、レールムとフリース城を制圧できます…」

「では、彼は何がしたいんだ?」

「仮に、レールムやフリース城をヘルシンフォス宮廷が制圧したとしても、一度バラバラになった帝国は簡単には元に戻りません。すでに皇室と帝国の威光は失われております。各地方公領がそれぞれに独立し、長期的な戦乱状態が起こる。そんな状態の宮廷で実権を握るなど、真っ平ごめんとおっしゃっております」


 ヒューゴの口調は急に砕けたものとなった。すでにグスタフはこちらの話に興味を持ち始めている。当然のことなのだ。マルティン・アンドレセンの行動に納得できるものはブレーキング領内でも少ない。まして、若手で残された者たちには反感すらある。誰もが気付いているのだ。彼が故郷を捨てたとこに。


「騎士団長が考えているのは、この北方二公領と第二騎士団領をあわせた地域に、ヘルシンフォス宮廷から独立した勢力を作り、スカーディナウィアを一つにまとめることは難しくとも、小勢力同士の小競り合いが慢性化することを防ぐことです」

「それは別にブレーキング公爵にアストリッド殿下について頂く理由にはなぬではないか?」

「盟主はアストリッド殿下ではなく、エスナ皇后陛下です」

「?」

「アストリッド殿下にはブレーキング公爵になっていただくことで、ヘルシンフォス宮廷側の疑念、最初におっしゃったような、騎士団長が皇帝の後見となるというような疑いを晴らすことができます。その上で、北方同盟とでも呼称いたしましょうか。二公領と一騎士団領の連合体として、皇后エスナ陛下を担ぐことができますれば、形式上、我々も皇軍となります。ヘルシンフォス宮廷が事態を解決したとしても、皇族の指示で動いた皇軍であり、罪問われることはありませんし、恩を売ることもできるでしょう。レーナ陛下には後継者がおりませんから、アストリッド殿下はブレーキング公爵と皇帝を兼ねると言う事もありうる。見方を借りれば、今まで一番対立してきたブレーキング公領が皇室と一体になり敵ではなくなるわけです」


 グスタフはうなった。話はずいぶんとややこしくなっては来ているが、彼らは戦乱を前提に、その収め方、その後にまで考えが及んでいる。だが、グスタフがこの話に乗るとすれば、父であるマルティンを裏切ることになる。


「面白い話だが、私が父上を裏切るとでも思っておられるのか?」

「グスタフ。すでに父上は祖国を裏切っているのです」

「姉上…」


 エスナは背筋をただし、大きくも無ければ力強くも無い、しかし通りのよく言葉を旨に刻み付けるような話し方で説明を始めた。


「この数年間、ブレーキングは平和でした。父上がその気になれば、ヴェスタラ本国との交流を促進し、物流を活発化させ、ブレーキングの民の厳しい生活も幾分楽にすることができたはずなのです。レールムに送り出した壮年者たちの一部を帰還させていれば、冬の間の食料に困るようなこともなかったでしょう。今は冬の狩に出られる者もごく少ないはずです」


 実際、ブレーキングは人口が大きく減少し、それも働き盛りの者の何割もがレールムに出てしまったために、慢性的な労働力不足であった。それがなければ、吹雪の中でも狼を狩るといわれるブレーキング諸部族が飢えることなどありえない。


「父上は多数の男たちをレールムに送りながら、彼らの帰還や家族ともども移住することを禁止しました。戦争のために…自分の野望のために、父はブレーキングの民の命と生活を弄んでいるのです」

「しかし、だからと言って…」

「もちろん、ブレーキングの民が父上を打倒する、そのようなことにはなりません。父上と共にあるレールムにいる兵士たちもブレーキングの民。同属で殺しあうことなど絶対にさせません。しかし、マルティン・アンドレセンは諸部族の長というその役割と責任をすでに放棄したのです。ブレーキング公領としては、新しい公爵を迎え、戦乱の時代を乗り切る必要があります。そして、軍事力と食料の大半を失った今、ポッテン公領と第二騎士団の協力は不可欠です。私は皇后としてスカーディナウィア全域の民に責任を持っています。北方同盟の旗印となって、ブレーキングの民を救うと共に、より広い地域の多くの住民をできる限り戦火から守る。そのためにここに来ました」

「父上をどうするおつもりですか?」


 グスタフは必ずしも父のことを信用してはいない。しかし、だからと言って憎んでいるわけではない。確かに姉の言う通り、マルティンはブレーキング公としての責任を今現在果たしていない。レールムでは、アーギュスト帝の摂政になったと言う。ブレーキング公爵がスウェーダ王国やヴェスタラ帝国において、中央の役職を得たことは一度も無い。アンドル族の慣習から言えば、この時点ですでに族長としての地位を失うことになる。ブレーキング公爵になった時点で、族長として地位を失うのと同様である。


「もちろん、私も、父上の死を望んでいるわけではありません。それは人倫にもとることです。ですが、為政者としては、父を公爵として認めることはすでにできません。アストリッドにブレーキングを継承させ、その後は武力以外の方法で父の罪を問います」

「武力以外の方法?」

「父上はいつの間にか人民を自分道具のように考えておりました。優れた政治家ではあっても錯覚してしまったのです。いずれ…人民の方から父上の方を去っていくことになるでしょう」


 グスタフは姉が口を濁している内容を理解できた。マルティン・アンドレセンの国取りはすでに詰んでいるのである。第二騎士団とポッテン公領による策謀の結果、レールム周辺には彼に味方する勢力はほとんどいない。瀬に腹は帰られないのである。中央集権派と地方分権派の対立、ヘルシンフォスにある現閣僚たちや軍の中枢にある者を憎悪する大小の地方領主たちを見方につける算段であったが、食料不足により求心力は著しく低下している。


「…」

「グスタフ、父上のことはとりあえず置いておいてもかまいません。問題は今のブレーキングをどうするかです。アンドレア城の老人たちに任せて置けますか?今、ポッテン公の物資なしにこの冬を越せると思いますか?」


 エスナの言うことはあまりに大胆な話であった。だが、グスタフ自身が内心感じていた危機感とは合致している。食料の問題を差し迫った問題と考えていないアンドレア城の老人たちを排除しない限り、この冬で多数の餓死者を出すことになるかもしれない。


「…わかりました…姉上の存念に従います…」

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