肥満公爵領宰と謀り若将困惑極まる
ノキア関砦の前方、腕利きの射手でも弓矢が届かない距離に兵が整列していた。
と言ったところで、この吹雪では弓矢などもともと役には立たない。また、整列していると言っても、視界の悪さからそれがはっきり見えるというわけではなかった。見えるのはランタンのわずかな光だけである。雪中行軍用に作られたものだろう。吹雪の中でも風で火が消えない。しかし、ランタンそのものが、風にあおられるので、さして強くもないその光はゆらゆらと揺れ、異様な不気味さを漂わせている。
ノキア関砦の守備隊長は舌なめずりをした。
『この吹雪じゃ兵力も把握するのは難しいが…五千は下らないだろう。こっちは三千。城壁の堅牢さから言えば支えられない数ではないが…』
若者は冷静であった。だが、だからと言ってこの状況を好転させるアイデアは思いつかない。三千の兵と言っても、老兵と少年兵がその大半を占めていた。少年兵の方は実力はともかく士気はそれなりに高いが、老兵の方はまともな兵力とは言えなかった。
「グスタフ様…」
傍らにいる少年兵が不安そうみ若者を見上げる。まだ二十に満たない部隊長、グスタフよりもさらに五歳は下であろう。ブレーキングにおいては、男は十三歳を迎えた時点で成人として扱われる。実際、この年齢から戦力として換算されているのであるが、だからと言って、まだ子供であることには変わりない。
「大丈夫だ。ミカエル。まずは奴らの様子を見よう…」
消極的に見えるが、グスタフの判断は正しい。そもそも、ブレーキング公領を攻撃する正当性を持つ軍は今のところ存在しない。
ヘルシンフォスの宮廷から見れば、ブレーキング公マルティン・アンドレセンは反逆者と言うことになるが、本人は現在ブレーキング公領ではなく、帝都レールムにいる。ブレーキング公領は根拠地と言ったところで、もともと補給拠点としてはたいした備蓄もない上に、兵力もレールムに連れて行かれた人数の方が多い。
結局のところ、マルティンにしてみれば、公領に攻撃を受けたところで大して痛くもないのである。むしろ、外交を駆使して、レールムを拠点に連携可能な勢力、他の地方公爵や中堅以下の貴族たちを見方につける方が先決であって、ヘルシンフォス側にとっても、春が訪れるまでは、戦力の奪い合い、見方を増やすことに全力を傾ける必要がある。
いやな予感はしていたものの、そもそもがこの時期にブレーキング公領に進軍してくる理由が思いつかないのだ。いや、そもそも目の前にいる軍隊がどこの勢力のものなのかもわからない。
『そうだ…まずはそこをはっきりしないと…』
なんだかんだ言っても、グスタフは若い。冷静なつもりであっても、意気込みが強すぎたのだろう。考える手順と言うものを間違っていたようであった。と言っても、泥酔している副隊長などは、たとえ酔っていなくとも、何もできなかったろう。多少の遅れがあっても、気づけただけましで、その遅れもまだ問題になるほどではない。
グスタフは大門の上まで移動した。弓矢が使えるような状況ではないので、狙撃の心配もない。姿をさらし、吹雪に負けぬよう精一杯に声を張り上げる。
「ブレーキングの地を土足で踏み荒らそうとする貴公らは何者かっ?指揮官は名乗りでよっ!」
堂々とした詰問であった。吹雪の中でも敵軍には届いたようである。ゆっくりと、揺れるランタンの光が一つだけ前に出てきた。とろとろと時間をかけて移動してくる。吹雪の強風に押し戻されそうになっているのと、膝下まで積もった雪のためであるのだが、グスタフは苛立ちを覚えた。
ランタンを持つものが城門のすぐ下までやって来た。一人ではない。ランタンを持った、武人然とした人物とは別に一名、きらびやかな防寒服で肥満体を包みながらブルブルと震えている男が一緒にいある。武人の方はそれほど身分の高い者とは思われないので、恐らくは肥満体の随員でしかないのであろう。
「土足で踏みにじるとはずいぶんな言われようですな。私は友邦たるブレーキング公領が主不在の上、困窮していると聞きつけ、助けになればと食料を運んできたのですぞ?」
猛吹雪の中どうにか聞き取れる程度の声でしかない。ただ、肥満の男の口ぶりは気になった。
「私はポッテン公爵ヒャルマル・エークストレムだ。人道的な立場から、おぬしたちを救うため、自らこうしてまかり出てきたのであるっ!早く城門を空けて通しなさいっ!」
「んなっ!?」
ポッテン公領はブレーキング公領の隣接している唯一の公領である。が、地図上では隣接しているものの、領境には人の出入りを阻む険しい山脈があり、直接行き来することはほぼ不可能である。そのため、実際には一度、第二騎士団領に入り、ノキア関を通過する経路しか往来する方法はなく、疎遠な隣人であった。
地理的に隣接しているものの、領境の山脈の影響で気候はだいぶ違い、領土のほとんどが山岳地帯と言って良いブレーキングに対して、ポッテンはポッテン台地と呼ばれる平坦な土地が広がり、農業には適さないものの、湖や海岸線もあることから水産資源が豊富で、隊商道が張り巡らされ、交易によって発達している。
よって、ポッテン公が資源に乏しいブレーキングを占領するなどと言う野心を抱くことは考えにくい。
だが、『人道』と言う理由だけで食料を運んで来てくれるほどに、ポッテン公爵がお人よしとは思えなかった。また、グスタフはあくまでノキア関砦の守備隊長であって、外交に関する権限などは持ち合わせていない。
「私はノキア関砦守備隊長、グスタフと申す!当方の責任では支援物資とは言え、これほどの人数の通過を許可することはできないっ!仔細をうかがった上で城と連絡を取るっ!まず、公と随員数名のみ入城いただき、残りの人員については申し訳ないが、雪洞を彫って待機いただきたいっ!話がまとまれば、全人員に入城いただくっ!」
状況はつかめないが、支援物資を運んできたと言うのであれば、願ったりかなったりであった。レールムからの糧食が来ない以上、冬があけるまでの食料の備蓄は厳しい状態であった。数年前からレールムに居住していた二万の軍勢は別として、マルティンが率いていった三千の部隊を派兵するだけでも、今のブレーキングにとってはかなりの負担であったのだ。
そもそも、働き手となる壮者の多くはレールムに出稼ぎに出ていたため、狩猟を中心とする食料の生産力は著しく低下していたのである。マルティンによるレールム占領によって、食料を得ることはブレーキングの民全体の生死がかかっている重大事であった。
しかし、喉から手が出るほどほしい支援物資であっても、ポッテン公爵を信用することはできなかった。レールムからの連絡がないだけでなく、街道沿いに配置された守備隊二千も消息が不明である。本来であれば、彼らがノキア関に到着する前に、連絡があるはずなのだ。
「承知したっ!随員三名と共に会談させていただくっ!」
グスタフとしては、彼らが敵にしろ味方にしろ、レールムや街道の様子を知るための貴重な情報源には変わりなかった。外交上の手順としても、まずは、責任者を招きいれて折衝する必要がある。
準備のために、一度引き下がったポッテン公は僅かに間を置いて、すぐに随員を連れて門前に現れ、グスタフは彼らを招きいれた。ノキア関砦は、ブレーキング領全体の玄関である。よって、使節などが訪れたときのための部屋も用意されているし、本来であれば、外部との折衝の権限を与えられた政務官が赴任している。しかし、戦時であり人材不足の現在はそれがいない。
グスタフとしては権限もなく責任だけ負わされているような状態であった。
応接室は必ずしも豪奢とは言えないが、大きなペチカのおかげで十分に暖かい。寒がりらしいポッテン公にとっては、それで十分であった。グスタフにしてみれば、ブレーキングほどでないにしろ、北方の寒冷地の君主として、それで大丈夫かと言う気もするのだが、見た目どおりの暢気な肥満体ではないということをうわさでは知っている。
ポッテン公領は先に述べたとおり、水産資源が豊富な公領である。ヴェスタラ帝国の時代になって以降、その水産資源を運ぶ街道を整備し、スカーディナウィア全域に送り届けられる体制を作りだしたのが、現ポッテン公、ヒャルマル・エーデルストレムである。それは、ヴェスタラのヨハン王の政策を真似たものであり、独創性に掛けると言う批判はあるが、たとえ真似事でも結果を導き出したからには、それなりの手腕があってのことのはずである。
比較的早くからヴェスタラへの恭順を誓った公領でもあるが、臣下となりながら、その立場と情勢を利用して大きな発展を遂げたのだ。さらに、ブレーキング領での度重なる反乱に際して、物資の提供を担い、アンデルス帝の信任を得て、北方地域での交易利権の大部分を得ている。
『卑屈に見えて、したたか。愚鈍に見えて、鋭利。肥満に見えて、強壮』
と言うのが、彼をさして言われる言葉だが、最後の部分だけは、苦笑いを伴い、事実と確認できていない話である。
「さて、早速ですがの、ブレーキング公領は大変厳しい状態にあると思いましての。当方ではある程度食料に余裕がある状態でして、支援の物資をお持ちした次第。快くお受けいただければと。こちらがその目録となります」
ポッテン公の態度は慇懃と言うよりも卑屈に見える。そもそも、敬語を必要とするような相手などこの場にはいないはずなのである。ヒャルマル・エークストレムはヴェスタラ全土に九人しかいない地方公爵であり、こちらは領境地域の一守備隊長に過ぎない。折衝を行うだけの権限もない。
グスタフは目録に目を通して異常なことにすぐに気付いた。ポッテン公領からの支援物資であれば、当然、水産物が中心となるはずである。そもそも、ポッテン公領では伝統的にマスなどの魚類が主食と言っていい食文化を持つ。だが、支援物資はそのほとんどが穀物であった。ヴェスタラ帝国時代となって以降、スカーディナウィア全域で農耕生産力は著しく上昇しているが、それはヴェスタラの本領以南の地域に限ってのことである。
「こちらは…失礼ですが、ポッテン公領から運ばれた物資ですか?」
すぐにそうたずねた。不自然すぎるのである。ブレーキングと違い、商業の発達したポッテンであれば、交易によって大量の穀物を備蓄している可能性もあるが、それにしても、膨大な量であった。
ポッテン公ではなく、隣にいる文官の服装をした男が意味ありげな笑みを浮かべて話し始めた。
「よく気付かれましたな。こちらはヴェスタラ本領、主にレールム近郊で買い付けたものです」
「この情勢でそのようなことが可能だったのですか?」
すでに、グスタフとしては謀略のにおいを感じ取っている。そもそもが、これだけの大規模な舞台の移動が事前に察知できてないこと自体異常なのだ。また、レールム近郊での穀類の収穫が十分にあったのならば、とっくにマルティンから送られてこなければならないのだ。三千人の直轄部隊の出兵の時点で、領民に対してそう約束したうえで、必要な物資の調達を行ったのである。
「今は無理でしょう。マルティン閣下が事を起こされる前の時点で、我々が買い占めましたからな」
「なっ、何っ!?」
「私は帝国第二騎士団領の領宰、カレヴィ・シャウマンと申します。第二騎士団とポッテン公領の財源、人員をもって、レールムを中心とするヴェスタラ本領の農産物はあらかた買い占めましてな。マルティン・アンドレセン閣下も困窮しておりますから、まあ、こんなお手紙もお預かりしておりますよ」
グスタフは混乱した。話が交錯しすぎている。そもそもが、状況を理解できてない状態での会談であった。その混乱に拍車を掛けたのがシャウマンを名乗る男から渡された手紙である。『ブレーキング領内に備蓄している食糧から可能な限りの量をレールムに輸送せよ』との指令書であった。ブレーキング領内の食料に余裕など一切ない。すでに最低限の量も残っていないのだ。
シャウマンと名乗る男をよく見る。騎士団領の領宰とは、騎士団長に与えられた領地の経営面を補佐するために任命された文官である。副団長同様に騎士団長に任命権があるわけではなく、宰相府から指名される者だが、本来、軍人である騎士団長に代わって、実質的な領主として差配することが多い。しかし、あくまで騎士団領内における政治の担当者であるため、隣接公領の幹部とも面識はほとんどないが常である。
シャウマンと言う男は、貴族や政治家と言うよりも商人のような、計算高さを感じさせる風貌の持ち主である。肥満体のポッテン公とは対照的に痩せ型で上背はあるが、それが逆に貧弱な印象を持たせる。一方で眼光は鋭く、知性的な雰囲気を漂わせていた。
「ところで…グスタフ殿は領外で起きていることをどれぐらいご存知ですかな?」
「…」
グスタフは呆然として思考停止状態になるところをギリギリこらえながら、必死に考えをめぐらせていた。まず、目の前の人物達がなぜ一緒にここにいるのかが不可解であった。ポッテン公爵と第二騎士団騎士団の領宰が揃って、ブレーキングに何をしに来たというのか。そもそも、シャウマンの言う通りであれば、彼らはマルティンによる帝都占領をはじめから察知しており、その時点から共謀していたと言うことになる。
ふと、二人の背後に直立している随員を見る。一人は先ほどポッテン公と共に門前にでてきたと思われる兵士で、堂々たる体躯持ち主であった。その雰囲気からかなりの武術の使い手であることも伺える。案外、ポッテン公領軍か第二騎士団の有力な武将であるかもしれない。もう一人は少年兵とも疑える小柄な兵士で、こちらは逆に武人の持つ雰囲気と言うものを一切持ち合わせていない。二人とも、礼を失しているのだが、兜を被り、面まで降ろしているため、表情は伺えなかった。
「ふむ、では、今起こっていることのあらましをお話しましょう」
グスタフが何もいえないでいるうちに、シャウマンはそのよく回る舌を動かし始めた。