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ヴェスタラ戦記  作者: 槙原勇一郎
帝国崩壊
12/23

暗中に疑心沸き起こり魍魎跋扈す

 男は部屋の中をなんども右往左往していた。落ち着かない様子ではあるが、うろたえているわけではない。これは、難問を解決しようと思案をするときの彼の癖であった。年齢は四十を超えたあたりと見える。体格のいい立派な身なりの男ではあるが、名門貴族というよりは武人としての貫禄が目立つタイプの男である。


 男の名はマルティン・アンドレセン。ブレーキング公領を支配する地方公爵であり、十数年前まではブレーキング公国の君主であった。マルティンは父親の死により、二十一歳即位すると同時に、ヴェスタラ公ヨハンの国王即位と公国の属領化があり、それ以来、ヴェスタラ王国、帝国に対して戦いを挑み続けた男である。今回の作戦は三年越しの計略であり、虎視眈々とアンデルス帝の崩御という機会を逃さなぬように、ありとあらゆる布石を打ち続けてのものであった。


「あの若造・・・こっちのやることに全て気づいていたのか・・・」


 独り言であった。人前では口数の少ない男であるのだが、顔の下半分を覆う髭の中では、実はほとんど絶えず独り言を口にしている。聞こえない声で話すだけなのだ。


「気づいていたのなら、選帝会議をレールムで開催すれば良かったはずだ。皇帝崩御を隠匿するためだろうが、このように私に公開されてしまっては、隠匿した事で立場は悪くなる・・・」


 落ち着きなく、部屋の中をグルグルと歩きまわる。イライラしているわけでもないのだが、考え事をするとどうしてもこうしてしまうのである。だから、難問を抱えているときは、鍵を掛けて自室に引きこもることが多かった。今、彼が歩き回っている部屋は、帝都レールムの宮殿で、帝国宰相ヴィクトル・クルーガーの執務室である。


「何より、なぜ・・・エスナとアストリッドをさらったのか・・・」


 エスナとはアストリッド大公の実母であり、アンデルス帝の皇后である。アストリッドが即位すれば、皇太后となるべき女性であり、マルティンの娘である。マルティンは娘を愛していなかったわけではない。だが、政略の道具にしたことは間違いなかった。それを引け目に感じないわけではない。だが、そんなことを態度にだしてしまうほど、マルティンは子供ではなかった。


 まだ四十代ではあるが、マルティンに孫がいる。それがアストリッドなのだ。マルティンの元々の計画では、アストリッドが戴冠し、エスナを摂政として、自分は地方公爵の身分のまま外戚として権力を振るうつもりだったのである。それを修正する必要性に迫られたのは、レールムを占領した時点で、エスナもアストリッドもすでにレールムにはいなかったからである。




 時は少し遡る。事が起こったのは、レールム城内のブレーキング諸部族が蜂起する前日である。


 その日は、アストリッドの乳母と共に、皇后自らが三歳になった我が子を寝かしつけていた。すっかり眠りについた息子の寝顔を見て、乳母と口元ほころばせた直後、美しい、まだ幼さなの残るエスナの表情に緊張が走る。視線は寝室の窓に向けられていた。


 男は無言で寝室に入ってきた。一言も言葉は発しない。エスナは緊張し、乳母は震えている。だが、二人とも声を上げることはなかった。知ってはいたのである。ただ、いつ、どのような形でかを知らなかったので少々驚いただけであった。男は無言のままうやうやしく最敬礼を施す。


「お迎え、大儀でした」

「・・・・・・・・・」


 労いの言葉に対しても無言であった。本来であればこれは十分不敬罪にあたる。


「私とアストリッド、そしてその乳母の三名、脱出の手はずはできてますね?」

「・・・・・・・・・」


 男はやはり何も言わず、ただ跪いて、胸に手を当てた。


「そうですか。特に荷物はありません。すぐお願いします・・・」


 そういった瞬間、男の背後から三名の男たちが現れた。全員黒装束をまとっている。男たちはアストリッド、皇后、乳母をひとりずつ背中に背負い、最初に入ってきた首領格の男の指示で窓から外にでた。地上七階の高さに有る窓だが、いつの間にか地上に向けて張られているロープを伝って一気に場外に脱出する。騎士団長であるレーナ不在の近衛騎士団は緩みきっていた。当直の者もそれほど周囲に気を払っていない。拍子抜けするほど簡単に、皇后、大公、乳母の三人は場外への脱出を果たしたのであった。




 城壁から少し離れた森の中で待ち構えていたのは、完全武装した二千程の騎兵であった。その先頭にある指揮官らいしい男が武人らしい飾り気のない礼をしめして話しかけてきた。


「エスナ皇后陛下・・・第二騎士団レールム駐屯部隊長ベール・エストマンと申します。我が騎士団長クリストフェル・エリクソンの命令により陛下とアストリッド殿下を第二騎士団領にお連れいたしまする」


 ベールと名乗った男は片目を黒い眼帯で隠し、右腕は布で吊っていた。エスナは知る由もないが、スヴェン・ホシュベリーの馬術によってつけられた傷である。片目は回復の見込みが無いほど潰れ、右腕も完治はしていない。


「わかりました。よろしくお願い致します。クリストフェル殿は無事フリーズ城を脱出されましたか?」

「はい。高官たちをヘルシンフォスまで送ったあと、単身で第二騎士団領に向かっておられるとのことです」

「計画通り進んでいるということですね・・・」


 特に深い感情がこもっているように見えない。いや、そう思うものは観察不足であったかもしれない。少なくともベール・エストマンはよくも悪くも実直な男で、女の内心がわかるほどの人生経験もない。だが、もう一人、エスナをこの場まで連れてきた、黒装束の男たちの頭目は違っていた。しかし、この男はそんなことが分かっても興味はない。


「フギン殿、引き続きレールム城内への潜伏をお願いする。例の計画を進めてもらいたい」


 フギンと呼ばれた頭目はやはり何も言葉にはせず、感情を籠めずに小さく頷いただけであった。


「ムニン殿もフリース城での工作で活躍されたとのこと。将軍もお二人にはどうにかして暑く報いたいとのこと。難しい任務だが・・・命は大切にされよ・・・」


 フギンはやはり無言であった。



二千の騎兵に守られた母子と乳母は用意された馬車に乗り、第二騎士団領に向い、数名の黒装束の男たちはレールム城内に戻っていった。その翌朝、城内の使用人や警備兵達が皇后の不在に気づく前に城内での反乱が始まったのであった。





 即位から半月、女帝となったレーナの前にひざまずいているのは、三人の高官であった。夫であり帝国宰相の地位にあるヴィクトル・クルーガー、暫定的には軍事の最高責任者にあたる軍監総長ボルガー・キュレーゲル、そして新たに宮廷書記総監となったグスタフ・ストーメアである。


「キュレーゲル卿・・・つまり、三つの騎士団はいずれもヘルシンフォスに出向くつもりはないということですか?」


 レーナは女帝となっても言葉遣いは丁寧で、お高く止まった口調で声高に叱りつけるようなことはしなかった。だが、元来、武人でもあった彼女が、例え丁寧な口調であっても詰問する側に回れば、男たちは震え上がってしまう。それだけの、威厳は自然に備わっていた。


 情けないことにブルブルと震えながらボルガーは答えた。


「は、はい・・・クリストフェル・エリクソン将軍は、第二騎士団の戦力を持って、レールムとブレーキング公領の連絡を分断し、機を見てブレーキング公領を攻略する作戦を返答替わりに進言してまいりました・・・」

「檄文についての釈明は?」

「あ、ありませぬ・・・ただ、将軍は自分は臣であって、帝国に仇なすようなことは決してないと改めて忠誠を誓っておりましたが・・・」

「帝国に・・・か・・・」


 レーナは一瞬だけ、下唇を噛んだ。クリストフェルの行動はほとんど意味を理解出来ない。わかるのは、どう考えても彼はフリース城とレールムでの異変を事前に察知していたということだ。問題は彼がそのことを利用して何をなそうとしているのかであった。


「では、第三騎士団の方は?」

「ハンス・アクセル・フリース将軍は・・・第三騎士団領のヨンショー領境付近にあるカレリア城に兵力を結集させておりますが・・・フリース城に備蓄していた食料は敵の手に渡ったため、糧食が足りないとのことです。現在、ヨンショー公に依頼して、進軍に必要な糧食を借り受ける交渉中との返事がありました・・・」

「裏付けはとりましたか?」

「は?」

「ハンス・アクセルともあろう者が有事に備えて主城以外に食料の備蓄をしていないなんてことはありえません。おそらくは嘘・・・だが、ヨンショー公に協力を依頼しているのは本当かもしれない。使者以外に監察官は派遣しなかったのですか?」

「あ・・・は・・・も、申し訳ありません・・・」


 ボルガーは床に這いつくばった。監察こそが本業のはずなのだが、この男には武勇優れる男たちに不正がないかを監察する仕事などはできそうもなかった。どうも、アンデルス帝はこの監察の役割を軽視していたようであった。


「第一騎士団はっ!?!

「し、使者が戻りませぬ・・・立て続けに五名の使者を出しましたが、一人として戻ってはおりませぬ・・・が、何分第一騎士団領へはフィンマルク山脈を迂回するか、山脈を横断する険路しかありませぬ・・・天候によっては往復にこの程度かかることはおかしくはありませんので・・・」

「下がってよろしい」

「は、は・・・」


 レーナはいらいらを態度に出すようなことはなかったが、ボルガーに対しては失望を禁じ得無かった。と言っても、今は自分に変わって軍事に関する動きを代行できる者は、この軍官僚しかいないのである。近衛騎士団長代理に任じたイングマール・ワルドナーは、首尾よくレールム城外に分散していた近衛騎士団の兵力をヘルシンフォスに集結しつつあった。しかし、つい先日まで部隊長クラスの地位しか得ていなかった彼に、将軍位にある騎士団長たちとの折衝を担当させることは荷が勝ちすぎる。


 次い質問を浴びせたのは自分の夫であった。


「地方公爵達の動きは?」

「ブレーキング公領に隣接するポッテン公爵は第二騎士団への協力を受けたようです」

「それは、まあ、いいでしょう・・・」

「ヨンショー公爵は第三騎士団への協力を申し出ています。ウブサラ公爵は何も言わなくても、第一騎士団へ協力することでしょう」


 そもそも第一、第二、第三騎士団は担当地域の地方公爵を監視することが平時の任務であるが、関係が良好になれば、帝国直轄の隣人であり、戦時には所轄の騎士団を通して協力するのが普通であった。だから、公爵達のこの反応自体を非難することはできない。だが、各騎士団の自体の忠誠心に疑念をいだいてしまった現状においては、いかにも不安であった。


「その他、スコーネ公爵及び第一騎士団管轄のセーデル、ノール公爵からは使者が戻っておりません」

「セーデルとノールは別にしてスコーネ公爵の様子は気になりますね・・・」

「は、現在使者以外に密偵を潜ませて情報収集を始めております」


 セーデル公爵はブレーキング公爵と並んで帝国への反抗を繰り返してきた地方領主である。ブレーキング公爵やフリーズ城を占領している軍と共謀している可能性は否定出来ない。また、ノール公爵は通称『居眠り公』と呼ばれており、その態度はいつも優柔不断で危機感に欠けている。あらゆる式典などにあっても、遅刻常習者と言われている人物であり、使者が戻ってこないことなど不思議でも何でもない。家臣達が判断に困っている間、公爵自らがのんびりと使者を歓待しているのだろう。


 スコーネ公爵は新たに爵位をついで数年、実質的な領土経営を始めて三年程度の若い人物である。アルヴィド・ミュルダールは二十四歳の若輩ながら、農業を奨励しスコーネ公領の農業生産力を著しく高め、『スカーディナウィアの食料基地』と言わしめるまでにした若き名君である。セーデル公爵やブレーキング公爵のような野心家ではなく、レーナの面識があり信頼に足る人物ではある。だからと言って、中途半端な形で即位した女帝レーナに従うとは限らないのである。


「わかりました。引き続き、各公爵達の動きを探ってください」

「承知いたしました」

「下がって結構です」


 夫の引き下がる姿を見て、レーナは小さく嘆息した。もちろん、ボルガーとは違い、ヴィクトルは信頼に足る手腕を持っており、耳に心地よい話が入ってこないのは彼の責任ではない。彼女に憂鬱な態度を取らせた理由は、夫の覇気の無さであった。仕事はそつなくこなすが、自分の判断で動くことができていないのである。以前であればそんなことはなかった。独創的な政策立案こそがヴィクトル・クルーガーの真骨頂であったのだが、レーナ即位後に全てが変わってしまったのだ。ヘルシンフォス到着後の急展開の中で、主導権をグスタフとレーナに奪われたことで自身を喪失してしまったのかも知れない。


 レーナとて、夫の政治家としての手腕には期待していたのであるが、即位の経緯が彼を傷つけてしまったことには申し訳なく思いつつも、そのようなデリケートな面については苦々しく思っているのであった。


「ストーメア卿、帝国内領の地方貴族達についてはどうなってますか?」


 帝国内領とは、ヴェスタラ帝国の領土たるスカーディナウィア全域の中で、地方公爵の所領を除いた土地の事を言う。そのうち、旧来のヴェスタラ公国時代からの領土を『本領』と呼び、それ以外の内領地域とは区别していた。本領外の内領を統治しているのは主に、旧スウェーダ王国、旧スオメル公国の遺臣たちであった。


「旧スウェーダ貴族たちの動きは鈍いですな。返事が返ってきた領主も消極的な玉虫色の回答しか来ておりません。旧スオメル貴族たちは従順で、ヘルシンフォスへの兵員と糧食の供給を約束する返事が大多数です」


 スオメル公国はスウェーダ王国の手によって滅ぼされた国であり、ヴェスタラに吸収されたとは言え、帝国に対する恨みはなかった。まして、旧首都であるヘルシンフォスで即位した女帝に好意を持ったようであった。

 一方、スウェーダ王国の遺臣達は、自分たちと同等かむしろ侮っていた地方公国が今やスカーディナウィアの統一国家となっていることについて、あまり品の良くない憎悪をいだいていた。


「ふむ・・・スウェーダ貴族については、フリース城との連絡がないかと、過去半年間に代わった動きをしていなかったかを徹底的に調査してください」

「はっ!それから、スオメル、つまり、ヘルシンフォス周辺の貴族たちの協力により、二万程度の戦力が集まりそうです。糧食もそれに見合う以上の量は確保できそうです。しかし、本領内の貴族たちについては、レールムからの進撃を警戒して動けないとの返答が来ております」


 これにより、レーナは近衛騎士団四万と、それ以外の統帥府直轄の小部隊合計三万にスオメル貴族二万が加わり、合計九万の兵力を有することとなる。


「わかりました・・・しかし、もう時期冬となります。雪が積もればフリース城にしろレールムにしろ奪還軍を進めることは困難となります。半月以内に十万以上の軍勢を集めることができなければ、この冬はあきらめざるを得ません。ストーメア卿はその場合の対応を検討してください。そうならなければ、クルーガー侯爵とキュレーゲル伯爵で話は収められるかと思います」


 グスタフは深々と頭を下げた。ヴィクトル・クルーガーに対しては多少後ろめたく思わなくもない。なにより、自分は第一線から一度退いた人間であるため、それほどでしゃばるつもりもない。最悪の場合に備えて対応を検討しておいてくれというのは、グスタフにとってレーナの聡明さを知らされる一言であった。




 しかし、自体は悪い方向に動いていく。半月後、ヘルシンフォスに集結したのは予めその意志を示していた、スオメル貴族と近衛騎士団、それ以外の小規模部隊の九万のみであった。レーナはレールム奪還の軍を起こすことを延期すると共に、ハンス・アクセル・フリースにはフリース城の奪還を、クリストフェル・エリクソンにはブレーキング公領とレールムの連絡を断つことを命じた。


 最後まで様子がわからないのが、主将不在の第一騎士団であった。

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