農園の流血
ヴィルゴット・クラインはもはや正気ではなかったかもしれない。ただただ、目の前にいる敵一人一人を斬ることしか、考えられなくなっていた。彼の剣技を以てすれば、襲いかかってくる騎士たちなど、相手にはならない。と言っても、相手はこちらの百倍、一対百の戦いである。どんなに技量に差があろうとも体力がもつはずがなかった。彼らはウィルゴットの力量と気迫を眼前にしても怯む様子はない。全て承知の上でのことだった。命のやり取りになることを前提にして、たった一人に百人で戦いを挑んできたのである。
すでに二十数名の騎士が、彼と娘の住む小さな屋敷の前に屍を晒していた。
一人の騎士と切り結んでいるうちに、別の一人が背後から斬りかかる。大人数とは言え、一人の人間に同時に斬りかかることが出来るのは、せいぜい四、五人程度、騎士たちの用いる長剣を振り回してでは、同士討ちを恐れてせいぜいニ、三人でしかない。ある程度の犠牲は覚悟の上だった。すでに事切れた二十数名のうち、その三分の一程度は同士討ちによって命を落としていた。
ウィルゴットは背後の騎士の突きを、振り返りもせずに躱し、腕を脇に抱え込んだ。前方の騎士が好機と見て飛び込んだ瞬間、仲間の剣の切っ先が彼の胸板を突き破る。その瞬間には突き刺さった剣の持ち主の首が胴体から離れていた。
ウィルゴットの動きは人間の域を超えていた。素早ないなどという言葉では追いつかない。躱すと同時に斬り、斬撃を受けるのではなく反らし、他の騎士との同士討ちを誘発させる。速さ、膂力、技量、そして咄嗟の判断力の全てにおいて百名の騎士たちを圧倒していた。百名の騎士たちはそのことを十分承知している。それでも、百対一である。尋常ではない被害が出ることは分かっていたが、目の前の男が一人で戦っているのであれば、いずれは力尽きる。この男が仮に十人程度の兵士を率いてたとするなら、千人の軍隊を以てしても、勝利はおぼつかなくなるのだ。
小さな家の二階の窓からはウィルゴットの娘がこの地獄絵図を眺めていた。死をかけた父の戦いを自分の目に焼き付けていたのだ。戦いの理由は娘にはわからない。娘の名はフレデリカ。今年で十四歳になったばかりである。
ウィルゴット・クライン。この農園の主は十九歳で当時の第一騎士団に入団した。彼に実の両親はいない。貴族の出身ではあったが、権門とは言えず、財産も殆どなかった。彼はわずか五歳で両親を流行病で失った後、ステファン・エリクソンに養子として引き取られる。エリクソン家はヴェスタラでも有数の旧家ではあったが、ステファンは直接政治や軍事に関わることを嫌い、武術と学問の探求に一生を費やした。子のない彼は五十歳を過ぎた頃、自分の修めた武術と学問を次の世代に引き継がせたいと考え、ウィルゴットを含む三名を養子にする。ウィルゴットだけが年長で、三年ほど早くエリクソン家に入ったが、残り二人を実の弟のようにかわいがっていた。
ステファン・エリクソンの手ほどきで、ウィルゴットの武術と学問はどこに出しても恥ずかしくないものとなった。養父は彼を友人であるカール・ビランデル将軍に依頼して、第一騎士団に入団できるように手を打つ。時はアンデルス王の五年、ブレーキング公爵が散発的にヴェスタラに対する反乱を起こしていた時期である。
ウィルゴットは寡兵、それほもろくに訓練も施されていない、民兵によって、何度もブレーキング公の軍隊を翻弄してみせた。一度は騎士団長であるカール・ビランデルの命も救っている。その功績から、宮廷の警護とヴェスタラ直轄地の治安維持を担う近衛騎士団へ移籍することになった。
だが、ウィルゴットは僅か一年で近衛騎士団を退団する。騎士団長には一身上の都合とだけ、伝えられた。権門の若殿ばかりの近衛騎士団に、まともな家名の追わぬ若者が入団していたのである。空気が合わないのならば、無理に引き止めるのも悪いと思ったのか、近衛騎士団長は何も言わず退団を許可した。
その後、彼は王都から少し離れたこの地に農園を作った。資金はステファン・エリクソンが用意した。農園主となったウィルゴットは一人の赤子を連れていた。その赤子がフレデリカである。農園の使用人達もフレデリカがウィルゴットの実の娘なのかどうかは知らない。周囲には「養女」と言っていたが、どことなく、面影が似ているところもあった。
そのフレデリカも今は十四歳。歳の割には小柄だが、聡明で美しい少女に育っていた。
その日は刈り取りも終わった農閑期で、家畜の世話以外は特に仕事もない暇な時期だった。使用人達のうち、独身で実家のある者には休暇を出し、家族と住んでいる者も、自宅で自由な時間を楽しんでいた。フレデリカとウィルゴットも余暇を楽しんでいたのだ。養父と共に久々に近くの沼まででかけ、鱒釣りを楽しんで返ってきたところだった。
まだ、空が黄昏るには早い時刻、フレデリカはこの日の釣果である大きな鱒を料理しようと台所にいた。父と娘二人だけの生活だが、四年ほど前から食事の用意はフレデリカが担当している。器用なフレデリカは子供ながら、ウィルゴットとは比べ物にならないほど、料理が得意であった。
「お父様。今晩はこの一番大きなやつを食べましょう」
「じゃあ、残りは納屋で燻製にしよう。今日辺りスヴェンの奴が来るかもしれないからな。ご馳走だけでなく、旅中の土産を持たせてやらないと」
スヴェンとは、ウィルゴットの義理の弟の一人である。エリクソン家の養子の一人で、十年前にステファンが病死した直後はその遺言に従って騎士団に所属したが、いくつかの功績を上げたところで、軍隊生活が性に合わないと辞めてしまった男だ。今は手紙配達人やキャラバンの護衛などの傭兵稼業をしながら、国中を放浪している。武術ではウィルゴットに勝るとも劣らない人物で、今一人の義兄弟、クリストフェルとは同い年であった。
スヴェン自身、手紙配達人を生業としている。手紙配達人とはヴェスタラ商人が考え出した制度で、国内各地の都市にある詰所で受け付けた手紙を、国内のどこにでも運ぶという仕事だ。手紙配達人はほとんどは小規模な行商人や芸人、傭兵などの流浪の民が副業として行うもので、旅費の足しとするために配達を引き受ける。大きな都市への手紙であれば、そこに向かうキャラバンを見つけて頼めばいいが、田舎に届けることを頼むことは難しい。流浪そのものが目的であるようなこれらの旅行者たちであれば、ついでとばかりに引き受けてくれるのだった。スヴェンなどは、特に当てもなくさまようことを好む男なので、頼めばどこにでも行ってくれると、手紙配達人組合の詰所でも評判の人物であった。
そのスヴェンが、農園から近い村への配達があるので、近々寄らせてもらうとの手紙をよこしてきた。その手紙はたまたま商用で近くの町に出かけていた、農園の使用人に預けられてきた。ばったり偶然であったのでという話で、それがなければ、何の前触れも無しにいきなりクライン家を訪れたことであろう。
鱒を納屋で燻製にする準備をウィルゴットが始めたとき、招かざる客が現れた。軽装ではあるが、明らかに戦闘用の武装をしている百名の男たち。服装からすれば、第二騎士団の騎士たちだが騎馬ではなく、徒歩であった。百名もの騎士が騎馬で街道を走れば戦争が始まったと大騒ぎになってしまう。あくまで平常の訓練を装うためであったのだろう。
彼らが近づいてきたのを気づいたウィルゴットは、台所にいたフレデリカににこりと笑って、二階にいかせた。
「スヴェンの前に招かれざる客が現れたようだ。お前は二階に隠れていなさい」
「お父様・・・いったい・・・」
「今は詳しくは話せない。いずれ来るべきものがきたということだ。スヴェンが来てくれるのは丁度いい。詳しくは彼から聞きなさい」
「お父様・・・?」
そのまま何も言わず、滅多に持ち出すことのなかった騎士時代に愛用した長剣を手に、ウィルゴットは玄関に立った。
「第二騎士団の方々だと思われるが、この農園にいかなる御用か?」
「我が騎士団長からの命令で、お嬢様を引き取りに参りました。理由はお察しのことと思われますが・・・」
「そうか。それにしても、ご苦労なことだな。十年以上も前に現役を退いた私相手に、これだけの人数を集めてくるとはね」
唇の端が嘲りの帯びた笑を浮かべていた。
「騎士団長はあなたのことをよくご存知です。これぐらいの人数を犠牲にしても、貴方を制することは難しいとおっしゃっておりましたもので」
「そうか、じゃあ、試してみるかね」
壮絶な斬り合いの始まりとしては、間抜けて聞こえてくる問答であった。だが、『試してみるかね』といった次の瞬間には三人の騎士が同時にウィルゴットに斬りかかっていた。
ウィルゴットは時間稼ぎをしているように見えた。スヴェンがこの家を訪れてくるのは今日とは限らない。だが、とにかくスヴェンが現れるまでの間は、この騎士たちと斬り合うつもりなのだ。
すでに、死者は五十人に達しようとしていた。ウィルゴット自身も無数の傷を負っているが、それでも次々と騎士たちを斬殺していった。だが、ウィルゴットも人間であることには変わりない。戦いはすでに三時間ほど続いていた。
フレデリカは農園を横断する真っ直ぐな道のはるか向こうに、二頭の騎馬の姿があるのに気づいた。農閑期だが、このような時間にはほとんど人通りはない。使用人の家もここからは遠く、夕方にこの道を通るなら、クライン家に泊まる予定でなければ、野宿をするしかない時間帯だった。
『スヴェンおじ様だっ!』
直感したフレデリカは、躊躇することなく、自室のカーテンを引きちぎるように窓から外し、燭台のろうそくにかざして火を付けた。
窓から身を乗り出し、火の付いたカーテンを振り回す。
『気づいてくれるはず・・・』
二つの騎影は飛ぶような勢いで走りだした。
性懲りもなく、また連載始めちゃいました。一個も完結していないのに何作も書いて、放置しているのはよくないと思っているんですけど・・・。
何がしたいかといえば、西洋風の世界(今回の場合は北欧を想定していますが)で、三国志とか戦国モノみたいのを書いてみたいと思ったんですね。『不死騎』などよりも、ちょっと硬いノリになりますが、読んでいただけると嬉しく思います。