無能と追放された定食屋の娘、最果ての死神公爵に「豚汁と塩むすび」を食べさせたら、過保護な大型犬に豹変しました
「──よって、無能なる異界の女、ユイ。貴殿をカシウス・フォン・グランツ公爵の元へ嫁がせるものとする。ただちに荷をまとめ、王都を発つが良い」
玉座の間。金色の豪奢な装飾に囲まれた国王が、まるでゴミの処分でも決めるかのように冷淡に言い放った。
その傍らには、同時に召喚され、「真の聖女」として王宮でもてはやされている華やかな金髪碧眼の美人が、勝ち誇ったような、それでいて哀れむような視線をこちらに向けている。
(……はあ? 異世界の倫理観、マジでどうなってんの!?)
結衣はうつむいたまま、内心で盛大にキレ散らかしていた。
つい一ヶ月前まで、実家である下町の定食屋『ゆきや』で、ねじり鉢巻きの父親の手伝いをして、エプロン姿で注文を取っていたごく普通の十九歳である。それが突然、怪しげな魔法陣の光に巻き込まれてこの国──ロストール王国に召喚されたのだ。
そこまではいい。百歩譲ってファンタジーあるあるだと受け入れよう。
だが、呼び出された瞬間に「見た目が地味だ」「黒髪黒目で華がない」「聖なる魔力が一滴も感じられない」と、王族や神官たちから一斉に眉をひそめられた。
役に立たないと分かった途端、衣食住のレベルをどんどん下げられ、最終的に下された決定がこれだ。
(いきなり強制召喚しておいて、能力がなかったら用済みだからってどこかに押し付ける? しかもその嫁ぎ先、よりによって“死神公爵”って……! あだ名にしても酷すぎない? ていうか、呼び出したんなら元の世界に還す努力をしてよ!!)
ぷりぷりと怒りの湯気を脳内で立ち上らせながらも、結衣はこれ幸いとばかりに深く頭を下げた。
「──謹んで、お受けいたします」
ここで「嫌です」とゴネて、窓もない薄暗い監獄に閉じ込められるか、無能と蔑まれて肩身の狭い思いをしながら王宮の隅で冷や飯を食べ続けるくらいなら、さっさとこのクソ倫理観の城からおさらばした方が何百倍もマシだ。
こうして結衣は、わずかばかりの身の回り品だけを古びた鞄に詰め込み、馬車に揺られて王国の最果て、凍てつく北の大地にあるグランツ公爵邸へと旅立ったのだった。
グランツ公爵領は、雪と岩に閉ざされた過酷な土地だった。
到着した公爵邸は、歴史を感じさせる重厚な石造りだったが、館全体にどんよりとした暗い空気が漂っている。出迎えてくれた老執事や騎士たちも、一様に顔が青白く、まるで明日にでも葬儀が始まるかのような沈痛な面持ちをしていた。
「ユイ様……よくぞおいでくださいました。ですが、覚悟していただきたいのです。カシウス閣下は、今……」
老執事の案内に従い、結衣が通されたのは、最上階にある広大な主寝室だった。
厚いカーテンが閉め切られ、昼間だというのに部屋の中は薄暗い。暖炉の火だけが、パチパチと物悲しい音を立てていた。
その部屋の奥、天蓋付きの大きなベッドに、一人の男が腰掛けていた。
「……また、王宮から使えないゴミが送られてきたか」
地獄の底から響くような、冷徹で低い声。
しかし、結衣は彼を一目見た瞬間、怒りよりも先に「なんて綺麗な人なんだろう」と息を呑んだ。
カシウス・フォン・グランツ公爵。
戦場での呪いを受け、死を望んでいるという〝死神〟。
その素顔は、繊細なガラス細工のように美しかった。透き通るような白い肌、彫刻のように整った輪郭。しかし、その頬は痛々しいほどに痩せこけており、生気が全く感じられない。まるで、生きながらにして美しい彫像に変わろうとしているかのようだった。
「閣下、王宮から遣わされたユイ様でございます。何か少しでも、お口に合うものを──」
「下げろと言っている」
カシウスは執事の言葉をピシャリと遮り、ベッドの脇のテーブルに置かれた豪華な食事を一瞥した。
そこには、騎士たちが最高級の肉や野菜を仕入れ、お抱えの料理人が腕によりをかけて作ったであろう、美しく彩られた宮廷料理が並んでいた。しかし、それらは一切手をつけられないまま、すっかり冷め切っている。
「何を持ってきたところで同じだ。私の口に入れば、すべて泥の味しかしない。味覚のない男に食事を運ぶのは、食材の無駄だ。私はこのまま、静かに死を迎えたいのだ。邪魔をするな」
冷たく言い放ち、カシウスはふいと顔を背けた。
その瞳には、深い絶望と、生に対する完全な諦めが宿っていた。
それを見た結衣の胸の奥で、カチリ、と何かのスイッチが入った。
(……味覚を失って、痩せこけて、死にたがってる? 何よそれ。こんな綺麗な顔して、そんな悲しいこと言わないでよ!)
実家が定食屋の結衣にとって、「ご飯を食べずに死にたがる人間」を放置することほど、我慢ならないことはなかった。食べないから元気が出ないのだ。食べないから心が後ろ向きになるのだ。
「公爵閣下」
結衣は一歩前へ出た。鞄を床に置き、腕まくりをする。
「死ぬのは勝手ですけど、死ぬ前に一食、私の作ったご飯を食べてからにしてください!」
「……何だと?」
カシウスが驚いたように、切れ長の目を丸くして結衣を見た。王宮から来た女が、まさかそんな大声を出すとは思わなかったのだろう。
「騎士の皆さん! 厨房を借ります! あと、その豪華な食材は一回全部片付けてください!」
「えっ、あ、はい!?」
呆気にとられる執事や騎士たちを押し退け、結衣は迷いのない足取りで厨房へと向かった。
公爵邸の広大な厨房に立ち、結衣は深く息を吐いた。
さすがに公爵家だけあって、見たこともない異世界の調味料や高級な食材が並んでいる。だが、結衣が選んだのは、それらの高級品ではなかった。
(カシウス様の胃は、長年の拒食で限界のはず。いきなりお肉のギトギトした脂や、濃いソースなんて受け付けないわ。こういうときは、やっぱりこれに限る!)
結衣が棚の奥から引っ張り出してきたのは、自分が日本から転移した際、なぜか鞄の中に奇跡的に紛れ込んでいた、実家の定食屋特製の「合わせ味噌」のパックだった。これだけは、どんなに王宮で冷遇されても手放さずに隠し持っていたのだ。
そして、厨房の野菜室から、根菜類(大根や人参に似た異世界の野菜)と、豚肉に酷似したキバノイノシシのバラ肉を取り出す。
「よし、やるぞ!」
トントントントン、と心地よい包丁の音が厨房に響き渡る。
肉を炒め、脂が出たころに硬い根菜を投入してさらに炒める。そこに、じっくりと出汁をとったスープを注ぎ、アクを丁寧に取り除きながら煮込んでいく。
その最中、結衣の指先から、ほんのりと柔らかな、温かい光が溢れ出た。
実は結衣には、王宮の神官たちには気づかれなかった、小さな、本当に微弱な固有スキルがあった。ステータス画面には『家庭の温もり(微弱な浄化)』と書かれていたその力。
大した戦闘力もないし、大怪我を治せるわけでもない。ただ、結衣が心を込めて料理を作ると、その料理に含まれる悪い成分や、食べた人の心の「澱み」をほんの少しだけ洗い流す、そんなささやかな力だった。
「おいしくなぁれ、おいしくなぁれ……」
実家で父親がいつも言っていたお呪いを呟きながら、仕上げに味噌を溶き入れる。
ふわぁ、と、どこか懐かしく、香ばしい、心の奥までじんわりと染み渡るような味噌の香りが厨房いっぱいに広がった。
さらに結衣は、炊きたての白い穀物(米にそっくりなもの)を木の手桶に移し、手の平に少しの塩をつけ、熱いのを我慢しながら、ぎゅっ、ぎゅっ、と三角形に握っていく。
海苔なんて高級品はないけれど、ただの白い塩むすび。それが三つ、大皿に並んだ。
「お待たせしました!」
一時間後、結衣は湯気が立ち上るお椀と大皿をトレイに乗せ、再びカシウスの寝室へと戻ってきた。
部屋に入った瞬間、それまで部屋を支配していた陰惨な瘴気が、お味噌汁の湯気によってみるみるうちに霧散していく。
「それは……何だ。妙な匂いがするな」
カシウスは眉をひそめ、結衣がベッド脇のテーブルに置いた器を見つめた。
そこにあるのは、洗練された宮廷料理とは程遠い、茶色いスープに無骨に切られた野菜がゴロゴロと入った汁物と、ただの白い米の塊だ。
「実家の定食屋の人気メニュー、『具沢山の豚汁と塩むすび』です! 泥の味しかしないって言うなら、騙されたと思ってこれ、一口だけでいいから食べてみてください!」
結衣はスプーン(箸の代わり)をカシウスの手に握らせ、お椀を目の前に突き出した。
カシウスは不快そうに結衣を睨みつけたが、そのお椀から立ち上る、これまで嗅いだことのない「温かい香り」に、本能が揺さぶられたのか、ゆっくりとスプーンを動かした。
大根と人参、そして豚肉が一切れ乗ったスープを、カシウスは恐る恐る口に運ぶ。
ごくり。
静まり返った部屋に、彼がスープを飲み込む音が響いた。
次の瞬間、カシウスの緑の瞳が、これ以上ないほど大きく見開かれた。
彼の手がガタガタと震え、スプーンが器に当たってカチカチと音を立てる。
「……あ……?」
「閣下!?」
控えていた老執事が慌てて駆け寄ろうとしたが、カシウスはそれを手で制した。
彼の目から、ぽろぽろと、大粒の涙が溢れ落ち、シーツを濡らしていく。
「味が……する。泥じゃない。これは……温かい。お腹の奥が、じんわりと、解けていくようだ……」
戦場で受けた呪い。それは彼の五感を蝕み、世界をモノクロに変え、あらゆる食べ物を「不浄の泥」へと変える呪いだった。どんな高位の聖女の浄化魔法も、その呪いの核には届かなかった。
なのに、結衣の作ったこの不格好な汁物は、カシウスの口に入った瞬間、その微弱ながらも優しく、どこまでも深い『家庭の温もり』の力によって、頑固な呪いの殻を「お湯で溶かすように」綺麗サッパリと消し去ってしまったのだ。
「おいしい……おいしい、な……これ……」
カシウスは涙を流しながら、今度は塩むすびを素手で掴み、大きな口で頬張った。
ただの米と、ただの塩。なのに、噛めば噛むほど甘みが広がり、冷え切っていた彼の体温を劇的に上昇させていく。
「閣下、閣下が……お食事を……!」
老執事と騎士たちが、その場で崩れ落ちるようにして号泣し始めた。
カシウスは、結衣が作った豚汁とおむすび三つを、一粒の米も残さず、またたく間に完食してしまった。汁を最後の一滴まで飲み干し、ぷはぁ、と息を吐き出した彼の顔には、さっきまでの死神のような陰惨さは微塵もなかった。
それどころか。
「……おいしかった」
カシウスはベッドからバッと起き上がると、結衣の手を両手でガシッと握りしめた。
その目は、まるで散歩をねだるゴールデンレトリバーのように、キラキラと輝いている。
「君、名前は? ユイか? ユイ、凄いな! 君は天才だ、いや、俺の女神だ! 呪いが……呪いが完全に消えた! 体が熱いんだ! こんな感覚、何年振りだろう!」
「え、ええ!? ちょっと閣下、顔が近いです!」
金茶色の髪を振り乱し、さっきまでの冷徹なオーラはどこへやら、カシウスは結衣の周りをぐるぐると回りそうな勢いで大興奮している。
「ユイ、俺はもう死ぬのをやめた! 君を絶対に離さない! だから……だから次は、お前の一番の得意料理が食べてみたい! 何が得意だ? 早く教えてくれ!」
「からあ……げ……かな」
あまりの豹変ぶりに、結衣は呆然とするしかなかった。
死神公爵の正体は、ご飯を一口食べただけで過保護な大型犬と化す、とんでもない男だったのだ。
それからのカシウス公爵の変貌ぶりは、領内だけでなく、王国中に衝撃を与えた。
何しろ、一ヶ月前まで「いつ死んでもおかしくない」と言われていた死神が、今では毎朝元気いっぱいに起きてきては、結衣の後をトコトコとついて回っているのだから。
「ユイ、おはよう! 今日の朝ご飯は何だ? 俺、何でも手伝うよ! 薪割りか? 畑の耕作か? 何なら魔物を一匹狩ってこようか!?」
公爵邸の厨房の入り口で、カシウスがキラキラした緑の瞳を輝かせて尻尾(幻の)をブンブンと振っている。
痩せこけていた頬は、結衣のご飯を毎日三食きっちり食べたおかげで、健康的で若々しい肉体を取り戻していた。筋骨逞しい大男なのに、結衣の前では完全に「甘えん坊な大型犬」そのものである。
「魔物だなんて……厨房にそんな物騒な獲物を持ち込まないでください。あと、私の後ろにぴったりくっつかない! 狭くて歩けないでしょ!」
「だって、ユイがどこかへ行ってしまいそうで不安なんだ。王宮の奴らが、また君に酷いことをしに来るかもしれないし……」
カシウスはしゅん、と耳(幻の)を垂らし、大きな体を小さく丸めて結衣の肩に頭をすり寄せてくる。
そう、彼は結衣に対して、異常なほどに過保護になっていた。
結衣が少しでも指先を包丁で傷つけようものなら、「大変だ! 治癒師を呼べ! いや、俺がこの手で温める!」と大騒ぎし、結衣が「王都の服は窮屈だったなぁ」と呟けば、翌日には領内の一流の仕立て屋を全員呼び寄せて、動きやすい極上の普段着を山ほど作らせる始末。
「はいはい、私はどこにも行きませんよ。実家の味をこんなに喜んで食べてくれる人を置いて、行く場所なんてないですからね」
結衣が苦笑しながらカシウスの金茶色の髪をよしよしと撫でてやると、彼は本当に嬉しそうに目を細め、「くぅん」と喉を鳴らすような声を出す。
この日のメニューは、カシウスが念願にしていた『特製・鶏の唐揚げ定食』。
結衣が醤油とニンニク、生姜(に似た異世界のスパイス)でしっかりと下味をつけた肉に粉を塗し、カラリと揚げていく。サクッ、ジュワァと良い音が響くたびに、カシウスの喉がゴクリと鳴る。
「さあ、お待たせ。お熱いから気をつけてね」
「いただきます!」
カシウスは揚げたての唐揚げを口に放り込んだ。
サクッ、という完璧な咀嚼音のあと、溢れ出る肉汁。
「……う、美味すぎる……! ユイ、これは何なんだ!? 外はカリッとしているのに、中は信じられないほどジューシーだ! 白米が、白米が止まらない……!」
もの凄い勢いで唐揚げを口に運び、ご飯をおかわりするカシウス。
その幸せそうな食べっぷりを見ているだけで、結衣もまた、自分がこの世界にやってきた意味があったような気がして、胸の奥がじんわりと温かくなるのだった。
しかし、そんな平和な二人の食卓を脅かす不届き者が、王都からやってきた。
結衣が追放されてから三ヶ月が経ったある日、公爵邸の門前に、これ見よがしに派手な王室の紋章が入った馬車が数台、停車したのだ。
現れたのは、結衣を無能呼ばわりして追い出した張本人である、王宮の文官長と神官たち。そして、あの「真の聖女」だった。
「お久しぶりですね、カシウス閣下! お噂はかねがね伺っております。なんと、あの恐ろしい戦場の呪いを克服し、見事にご健康を取り戻されたとか!」
文官長は、結衣のことなどまるで視界に入っていないかのように無視し、カシウスに向かってこれ以上ないほど揉み手で近づいていった。
応接室のソファに座るカシウスは、彼らを見た瞬間、それまでの「大型犬」のオーラを完全に消している。
冷徹で、近づく者すべてを凍りつかせるような、本物の〝死神公爵〟の目がそこにあった。
「……何用だ。用件は手短に言え。私はこれから、ユイと大事な昼食の時間がある」
「ハハハ、これは失礼いたしました。いやはや、閣下が元気になられたのは、我が王室にとってもこれ以上ない喜び! ──そこでですな、閣下。王宮から閣下へお贈りした『国宝級の魔除けの宝具』、あれがやはり効いたのでしょう!」
文官長が胸を張って、とんでもないことを言い出した。
隣の神官も、我が物顔で頷く。
「左様! 我々が夜通し祈りを捧げ、聖女様の聖なる魔力を込めてお贈りした宝具のおかげで、閣下の呪いは浄化されたのです。いやぁ、さすがは我が国の聖女様だ! 閣下、この大いなる手柄、ぜひとも国王陛下へ感謝の書状をいただきたい。そして、その『宝具』をさらに強化するため、一度王宮へ返還していただきたいのですな」
結衣は部屋の隅で、呆れて言葉も出なかった。
宝具? そんなもの、結衣が来たときには部屋の片隅で埃を被っていたし、カシウスが泥の味しかしないと苦しんでいたときには、何の役にも立っていなかった。
(カシウス様が元気になったのは、毎日私が栄養バランスを考えて、お味噌汁や唐揚げを作ったからよ! 何が宝具のせいよ、どの口がそんな嘘八百を……!)
結衣が内心で激怒した、その瞬間。
ドンッ!!! と、応接室の重厚な大理石のテーブルが、凄まじい音を立ててひび割れた。
カシウスが、片手でテーブルを叩き割ったのだ。
「ひ、ひえっ!?」
文官長と神官たちが、恐怖のあまり悲鳴を上げて飛び上がった。
「黙れ、不届き者が」
カシウスの緑の瞳が、本物の殺気を孕んでメラメラと燃え上がっている。
「我がグランツ家の騎士団を、今すぐここに呼び寄せてもいいのだぞ? 貴様ら、どの面を下げて我が領地に足を踏み入れ、そんなくだらない妄言を吐いている?」
「か、閣下!? しかし、閣下の呪いが解けたのは事実で──」
「俺が救われたのは、そこの埃を被っているゴミのような宝具のせいではない!」
カシウスは立ち上がり、部屋の隅にいた結衣の元へ大股で歩み寄ると、彼女の小さな肩を抱き寄せ、自分の大きな背中の後ろへと隠した。
「私が救われたのは、我が妻、ユイが作ってくれた味噌汁……いや、彼女の存在そのもののおかげだ! 彼女の『家庭の温もり』の料理だけが、俺の呪いを根底から洗い流してくれたのだ!」
「な……ッ!? そ、その無能な異界の女がですか!? そんな馬鹿な、魔力も測定できないような女が──」
「お前たちの目は節穴か?」
カシウスは冷酷に鼻で笑った。
「俺の顔を見てみろ。この城にいる使用人や騎士たちの顔も。俺が戦場で受けた呪いの余波で、多くの者たちがずっと体調が悪かったのだ。それが今や、みんなユイの手料理を食べて回復している。騎士たちに至っては戦闘力まで上がっているほどだ。……本当の聖女が誰かも見抜けず、至宝であるユイを俺の元へ送り出してくれたことだけは、国王の唯一の英断として感謝してやる」
カシウスのその言葉に、王宮の使者たちは顔を真っ青にして絶句した。
確かに、結衣が来てからこの領地の人たちは健康そのものだ。それはおそらく、この領地に一歩踏み入ったときから気づいていたきとだろう。
だからこそ、カシウス公爵の回復という「手柄」を横取りして、少しでも自分たちの権威を取り戻そうと必死だった。
「執事!」
カシウスが鋭く呼ぶ。
「はっ、ここに!」
「こいつらを今すぐこの館から叩き出せ。それと、王宮の人間は今後一切、我がグランツ公爵領への立ち入りを禁じる。──全員『出禁』だ!!」
「かしこまりました。おい、不届き者どもを門の外へ放り出せ!」
騎士たちが一斉に剣を抜き、文官長や神官たちを、まるで生ゴミでも処分するかのように力尽くで引きずり出していった。
「お、おのれー! 覚えていろ!」という負け犬の遠吠えが遠ざかっていく。
嵐のような騒がしい連中がいなくなり、応接室には再び静けさが戻ってきた。
「……ユイ、怖くなかったかい?」
カシウスは振り返るや否や、さっきまでの〝死神〟の顔を瞬時に消し去り、心配そうに結衣の両手を包み込んだ。目が完全に心配性の大型犬に戻っている。
「ううん、全然。それより、カシウス様が私のこと『我が妻』とか『俺の女神』って言ってくれたの、ちょっとびっくりしちゃった」
結衣が少し頬を赤くしてうつむくと、カシウスは嬉しそうに耳(幻の)をピンと立て、彼女の手をさらにぎゅっと握りしめた。
「嘘じゃない。俺にとって、ユイは本当の女神だ。君がいない世界なんて、もう考えられない。……だから、これからもずっと、俺の隣で美味しいご飯を作ってくれないか?」
その真っ直ぐな、一点の曇りもない緑の瞳に見つめられて、結衣はふっと優しく微笑んだ。
いきなり異世界に召喚されて、無能だと追放されたときはどうなることかと思ったけれど。
自分の作ったご飯を、こんなにも世界一美味しそうに、幸せそうに食べてくれる人がいる。それだけで、ここが私の「新しい実家」であり、居場所なのだと確信できた。
「はい。喜んで。……あ、でも、あんまり過保護に後ろをくっついて回ったら、お仕置きとして明日のご飯は、カシウス様の苦手なピーマン丸ごと炒めにしますからね?」
「ええっ!? ピーマンは勘弁してくれ、ユイ!」
情けない声を上げる公爵閣下をおかしく思いながら、結衣は彼の手を引いて厨房へと歩き出す。
最果ての公爵邸。外は冷たい雪が降っているけれど、二人が囲む食卓の上には、今日も湯気あふれる、世界一温かいお味噌汁が待っているのだった。
(おわり)




