第4話 最強の収穫祭と永遠の安寧
「な、なんなのだ……この布切れは!? 我が軍の放った極大禁呪『終焉の黒炎』が、なぜこんな網ごときに防がれるというのだ!」
魔王軍の将軍は、馬上で泡を吹かんばかりに驚愕していた。
無理もない。一国の城壁をも容易く消し去るはずの闇の炎が、私が張ったただの「防虫ネット」に触れた瞬間、パチンという小気味良い音とともに消滅したのだから。
「防虫ネット? 失礼ね。これは私の魔力を極細の絹糸に練り込み、さらに三昼夜かけて『不浄なるものへの徹底拒絶』を念じながら編み上げた、超撥水・超浄化仕様の特製ネットよ。あなたたちの呪いなんて、アブラムシの羽ばたきほども感じないわ」
私は、汗ばんだ額の汗を手の甲で拭った。
作業を邪魔された怒りで、私の体温はかつてないほど高まっている。
シュミーズの隙間から覗く胸元には、宝石のような汗の滴がいくつも転がり、激しい動悸に合わせてそれは乱暴に揺れていた。
「ええい、構わぬ! 全軍突撃だ! その女を、そして国王の首を獲れぇ!」
将軍の号令とともに、数千の魔族が雄叫びを上げ、私の愛する畑へと雪崩れ込んでくる。
その足跡が、私が丹精込めて耕した「ふかふかの土」を踏みにじっていく。
「……あ。今、エシャロットの苗を踏んだわね」
私の脳内で、プツンと何かが切れる音がした。
私は、ポチ(フェンリル)の背に積んでいた特製の「噴霧器」を手に取った。
中に入っているのは、今朝、私の魔力を限界まで濃縮して抽出した『超濃縮・聖域の雫(希釈なし)』。
「害虫駆除、開始よ」
私は噴霧器のノズルを握り、魔王軍に向けて大きく腰を捻った。
シュミーズの裾がひらりと舞い、白く艶やかな太ももが月光にさらされる。
「はあああぁぁぁぁっ!!」
私は全身の力を指先に込め、トリガーを引き絞った。
シュッ、という霧の音が、戦場の怒号をかき消す。
放たれたのは、ただの聖水ではない。
それは、生命の根源を狂わせるほどの「圧倒的な浄化エネルギー」だ。
霧を浴びた魔族たちが、一瞬にしてその場に崩れ落ちた。
「ガ、アァッ!? な、なんだ……この、身体の内側から洗われるような、恐ろしい快感は……っ!」
「気持ちいい……! 邪悪な心が……魔力が、勝手に真っ白に書き換えられていくぅぅ!」
戦場に響き渡るのは、悲鳴ではなく、もはや絶頂に近い悶絶の声だった。
魔族たちは地面をのたうち回り、汗まみれになりながら、己の不浄を洗い流されていく。
その顔は、戦士のそれではなく、まるで救済を得た信者のように恍惚としていた。
「よし、いい感じ。……次はあなたよ、将軍さん」
私は、逃げ出そうとする将軍に向けて、鍬を槍のように構えた。
ポチがその影から飛び出し、将軍の馬を一噛みで沈める。
「ひ、ひぃっ! 来るな、来るなぁ!」
「大丈夫よ。痛いのは最初だけだから。……せいっ!」
私が鍬を振り下ろすと、そこから黄金の閃光が迸り、将軍の全身を優しく、しかし強引に包み込んだ。
魔王の加護を受けていた鎧が粉々に砕け散り、彼はあられもない姿で大地に横たわる。
「あ、あああ……っ! 私、私は……一体何をしていたのだ……。こんなに美しい月夜に、争いなど……。それより、あのトマト……。あのアロマティックな香りのするトマトを、育てたい……っ!」
完全なる「農業教」への洗脳——もとい、浄化の完了である。
魔王軍数千人は、私の放った聖水の霧と、あまりにも官能的な「農業の悦び」の前に、戦意を喪失して全員がその場で土下座した。
「親方様……。俺たちに、鍬の持ち方を教えてください……っ!」
「いいわよ。働き口ならいくらでもあるわ。……さて」
私は、ガタガタと震えながら馬車の陰に隠れていた、元・父親と妹に目を向けた。
「お、お父様……お姉様が、お姉様が化け物になってしまいましたわ……っ!」
「レ、レティシア! 許せ! 悪かった! 侯爵家の財産はすべて貴様にやる! だから、その恐ろしい鍬を下げろ!」
私は、ゆっくりと二人に歩み寄った。
汗で濡れた髪をかき上げ、首筋から鎖骨へと流れる汗を、見せつけるように指で拭う。
「財産なんていらないわ。ここには、最高の土と、最高の水があるもの。……ただ、一つだけ足りないものがあるのよね」
「な、なんだ!? 何でも用意する!」
「……肥料よ」
私は、ゾッとするほど美しい笑みを浮かべた。
「あなたたちは、ずっと他人を蹴落とし、甘い汁を吸って生きてきたわよね。その溜まりに溜まった『業』……。実は、うちの畑のコンポスト(堆肥箱)に入れると、最高の有機肥料になるのよ」
「……え?」
「殺しはしないわ。ただ、これから一生、この村の肥溜めの中で、自分の罪を『発酵』させてもらうだけ。……ねえ、最高に有意義な人生だと思わない?」
二人の悲鳴が辺境の夜に響き渡ったが、それを気にする者は誰もいなかった。
国王陛下も、騎士団長も、浄化された魔族たちも、皆が私の後姿を、神々しい何かを見るような目で見つめていたのだから。
*
一年後。
かつての廃村ザルツは、世界中から「聖地」と呼ばれるまでになっていた。
作物は一年中瑞々しく実り、それを一口食べればどんな病も治り、若返る。
かつての魔族たちは、筋肉隆々の農夫となり、毎日楽しそうに「オーガニック!」と叫びながら畑を耕している。
実家の父と妹はといえば、毎日肥溜めの中で「いい肥料になれよー」と村人たちに声をかけられながら、元気に(?)発酵作業に勤しんでいる。
そして。
「レティシア殿! ……いえ、レティシア様。どうか、我が妻になってはいただけないだろうか!」
騎士団長が、黄金に輝く稲穂の前で、跪いてプロポーズをしていた。
彼はこの一年、私の「助手」として毎日泥まみれになりながら、その逞しい肉体を私に捧げてきた。
汗に濡れた彼のシャツから透ける筋肉を、私は嫌いではなかった。
「……結婚、ですか」
私は、王冠のように編んだ麦わら帽子を直し、彼を見つめた。
彼の瞳には、純粋な愛と、そして少しばかりの「私の野菜への依存症」が見て取れる。
「じゃあ、条件があるわ。……ジャガイモの『芽かき』、一万株分。終わったら、続きを考えてあげてもいいわよ?」
「喜んで! 生涯をかけて、貴女の芽をかき続けます!」
ズレたプロポーズの返事に、私は思わず吹き出した。
ポチが私の脚に大きな頭を擦り付け、満足げに喉を鳴らす。
辺りには、太陽をたっぷり浴びた土の香りと、瑞々しい野菜の香りが満ち溢れている。
王都での窮屈な暮らしも、毒親の嫌がらせも、今となっては遠い昔のこと。
「私はただ、畑を耕していただけなんですが……。……まあ、こんな幸せも、悪くないわね」
私は、収穫したばかりの黄金色のトマトを口に含んだ。
弾ける果汁。広がる甘美な快感。
私は目を細め、どこまでも続く私の「帝国」を眺めながら、最高に淫らで、最高に幸せな溜息を吐いた。
「さて。次はどんな種を植えようかしら?」
聖女の鍬は、今日もまた、愛おしげに大地を穿つのだった。
お読みいただきありがとうございます!
「偏愛を極めた令嬢が追放された先で無双する」をテーマに短編を連作しています。印章フェチ、虫愛ずる姫、土壌狂愛——どの令嬢も変態ですが、全員幸せになります。
▼シリーズ一覧
https://ncode.syosetu.com/s0987k/
現在「追放?いいえ遷都です」を長編として連載中です。シリーズの中で一番スケールの大きい話になっています。




