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第3話 国を救う大根と毒親の再来



「……し、死なせてくれ。もう、この苦しみから解き放ってくれ……っ」


 豪華な装飾が施された、しかし今にも壊れそうなほど揺れる馬車の中から、その声は漏れていた。

 王国騎士団が総出で、厳戒態勢を敷きながら我が『ザルツ農園(仮)』へと運んできたのは、瀕死の国王陛下だった。


 不治の病。身体の芯から魔力が腐り落ちる『魔腐病』。

 王都のいかなる聖女も、いかなる高位魔法使いも匙を投げたその重病人が、私の目の前に横たわっている。


「レティシア殿! 頼む、この通りだ! 君が作った野菜なら、陛下を救えると聞いた!」


 昨日私のキュウリを食べ、あられもない姿で悶絶していた騎士団長が、血走った目で私に縋り付く。

 私はといえば、鍬を肩に担ぎ、汗で肌に張り付いたシュミーズの襟元をパタパタと扇いでいた。


「救えるかどうかは分かりませんが……。とりあえず、これでも食べて落ち着いてくださいな。ポチ、獲れたてのヤツ、持ってきて」


「グルゥッ!」


 ポチこと伝説の聖獣フェンリルが、畑から一本の『大根』を咥えてきた。

 それは、私の濃密な魔力を吸いすぎて、真っ白で、太く、驚くほど長々と反り返った一物……失礼、野菜だった。

 表面には瑞々しい露が滴り、太陽の光を浴びて艶かしく輝いている。


「さあ、陛下。お口を開けてください。奥の方まで、しっかり届けてあげますから」


 私はその巨大な大根を、おろし金(ポチが爪で削って作った逸品だ)で一気に擦り下ろした。

 シュッ、シュッ、と規則正しく腰を振るたびに、私の豊かな胸が激しく上下する。

 飛び散る汁。むせ返るような、新鮮で刺激的な大根の香り。


「んんっ、あぁっ……! はぁ、はぁ……っ!」


 私は我を忘れて擦り続けた。

 魔力を込めた指先が熱を帯び、汗が滴となって大根おろしのボウルの中に混ざり合う。

 それはもはや料理ではなく、私の生命そのものを濃縮した究極の霊薬。


「さあ、召し上がれ」


 震える陛下の唇に、たっぷりと水分を含んだ大根おろしを流し込む。

 その瞬間だった。


「ッ……が、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


 王の絶叫が辺境の空に響き渡った。

 陛下の身体が弓なりに反り、ベッドから浮き上がる。

 どろりと濁っていた瞳に、鮮烈な光が戻る。

 全身の毛穴から、腐りかけていた魔力が黒い霧となって噴き出し、代わりに私の純白の魔力が血管の隅々まで、強引に、そして甘美に突き抜けていく。


「あ、あああ……っ! なんだ、この、身体の芯から突き上げてくるようなエネルギーは……! 熱い……腹の底が、燃えるように熱いぞ……!」


 陛下はがばりと起き上がると、自分の手を見つめて震えた。

 黒ずんでいた肌は、赤子のようにつるつるとした輝きを取り戻している。


「治った……。余の病が、この『白い棒』一本で完治したというのか……っ!」


「あ、良かったですね。あ、その大根の葉っぱも栄養あるんで、後でポチの餌に混ぜておきますね」


 呆然とする陛下を余所に、私は早く作業に戻りたくてウズウズしていた。

 陛下は私の手を取り、涙ながらに宣告した。


「我が国の恩人よ! レティシア・ヴァン・クリムト! 今日からこのザルツ村を『国家直轄聖域』とし、貴殿をその聖女として称えよう!」


「えー、面倒くさい。ただの趣味なんですが、これ」


 国王からの直々の表彰を、私は鼻をほじらんばかりの無関心さで聞き流した。

 そんなことより、今は土の湿り具合の方が重要なのだ。


 しかし、平穏な開拓生活は、予期せぬ不快な訪問者によって遮られることになる。


「——いたぞ! あんな、あられもない格好をして……! なんと破廉恥な!」


 聞き覚えのある、虫の羽音のような不快な声。

 振り返れば、豪華な馬車から降りてくるのは、私を売った張本人——実の父親、クリムト侯爵だった。

 その後ろには、相変わらず下品な笑みを浮かべた妹のミカエラもいる。


「レティシア! 貴様、ここで何をしている! そのポチをどかせ! 汚らわしい!」


 侯爵は、私の現在の価値を嗅ぎつけてやってきたのだろう。

 国王が完治し、この地が聖域に指定されたという噂は、現金な彼らの耳に届くのも早かったらしい。


「戻れ、道具め。貴様をより高く買ってくれる隣国の伯爵が見つかったのだ。今すぐ荷物をまとめろ」


 父親は、傲慢に私を見下ろし、ずかずかと畑に踏み込もうとした。

 その瞬間、私の脳内の「農家スイッチ」が完全に切り替わった。


「あ、その足元の苗、踏まないでもらえます? そっちは来週収穫予定の、大事な大事なエシャロットなんです。クソッタレな貴方の靴で汚されるために植えたんじゃないんですよ」


「な……ッ!? 貴様、父親に向かって……!」


「お父様、見てください。お姉様、あんな格好で……。もしかして、そこの騎士様たちに、身体でも売って野菜を作ってもらっていたのかしら? 汚らわしい……」


 ミカエラがクスクスと笑いながら、私を侮辱する。

 だが、私の怒りは別のところにあった。


「……汚らわしい? ええ、そうね。確かにあなたのそのドレス、化学繊維の匂いがプンプンして、私の畑の微生物たちが嫌がってるわ。今すぐ退場してくれる? それとも、肥料になりたい?」


「お、おのれ……! ええい、兵たちよ! この無礼な女を捕らえろ!」


 父親の命令で、侯爵家の私兵たちが一斉に動き出す。

 だが、彼らが私に触れるより早く、周囲の空気が凍りついた。


「ガルル……ッ!!」


 ポチが、山のような巨体で立ちはだかる。

 さらに、全快した国王陛下が、剣を抜いた騎士団を引き連れて馬車から降りてきた。


「……クリムト侯爵。我が国の救世主に、何をしようとしているのだ?」


「へ、陛下っ!? なぜ、このような辺境に……!」


 顔を真っ青にする父。

 だが、状況はさらに最悪な方向へと加速する。

 侯爵が慌てて懐から落とした一通の書簡。

 それを騎士団長が素早く拾い上げ、中身を確認した。


「……これは! 陛下、侯爵は隣国の『魔王軍』と内通しております! レティシア殿を魔王への生贄として差し出す代わりに、多額の報酬を得る契約書です!」


「な、何だと……っ!?」


 国王の激昂。

 しかし、その宣告よりも早く、地平線の彼方から禍々しい黒雲が押し寄せてきた。

 魔王軍の先遣隊だ。

 侯爵が裏切り、招き入れた軍勢が、この聖域を奪うために進軍してきたのである。


「ヒ、ヒヒヒ! もう遅い! 魔王軍が来れば、こんな村など一捻りだ! お前も、陛下も、全員まとめて地獄へ行け!」


 狂ったように笑う父。

 騎士たちが防衛陣形を組む中、私は軍勢の先頭に立つ魔族の将軍を見つめた。

 将軍は禍々しい剣を振り上げ、咆哮する。


「ここを更地にする! 命が惜しければ、その聖女を差し出せ!」


 私は、そっと溜息をついた。

 そして、手元の肥料袋から、まだ発酵しきっていない強烈な匂いのする『有機堆肥』を取り出した。


「更地? 冗談言わないで。これから二毛作の準備で忙しいのよ。……それにしても、いいわね。魔族って、魔力の含有量が高そうだし。……肥料が向こうから歩いてきた、って考えれば、悪くないわ」


「な、何を言っているんだ、お姉様……?」


 ミカエラの怯えた声を無視して、私は魔王軍に向けてニッコリと微笑んだ。

 それは、獲物を見つけた捕食者の、淫らなほどに冷徹な笑みだった。


「覚悟しなさい。私の畑を荒らす害獣は、一匹残らず『栄養』になってもらうから」


 魔王軍の将軍が、忌々しい禁呪を唱える。

 放たれた漆黒の呪いが、村全体を呑み込もうと襲いかかる。

 だが、その呪いの波動が、私が畑の周囲に張り巡らせていた「防虫ネット(魔力を編み込んだ絹糸)」に触れた瞬間——。


 パチンッ。


 と、まるでおもちゃのような音を立てて、世界最強のはずの禁呪は、霧散して消えた。


「……は?」


 呆然とする将軍。

 私は鍬を握り直し、ゆっくりと腰を落とした。

 汗に濡れた肌が、戦いの予感に粟立つ。


「さて。収穫の時間ね」


 月明かりの下、私の瞳は怪しく黄金色に輝いていた。

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