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第2話 勘違い開拓と、銀色の忠犬



「……あ、あむっ」


 伝説の聖獣、フェンリルが私の差し出したトマトを、その巨大な顎で優しく受け止めた。

 真っ赤に熟れたトマトの皮が、鋭い牙に触れて弾ける。

 瑞々しい果汁が、銀色の毛並みにしぶきを上げた。


「ガル……ッ!? ガ、ガアァァァァン!!」


 その瞬間、フェンリルの巨体が激しく痙攣した。

 あまりの美味しさにか、あるいは私の魔力が注ぎ込まれた作物の衝撃にか、彼は天を仰いで絶叫した。

 銀色の毛が逆立ち、そこからパチパチと神聖な稲妻が迸る。


「あらあら、そんなに気に入ったの? まだあるわよ、ほら、今度はこの長いキュウリ」


 私は、トゲトゲがびっしりと付いた、反り返るように立派なキュウリを差し出した。

 採れたてのキュウリは驚くほど硬く、瑞々しい熱を帯びている。

 フェンリルは、まるで熱病に浮かされたような目でそれを見つめると、ハフハフと荒い息を吐きながら、私の手ごと飲み込まんばかりの勢いで食らいついた。


「んんっ、そんなに急がなくても……。ふふ、指まで舐められちゃう」


 巨大な舌が、私の手のひらをねっとりと這う。

 その感触は驚くほど熱く、ざらりとした刺激が脳まで突き抜けた。

 フェンリルは、私の魔力を含んだ野菜を食べるごとに、その瞳から理性の色を失い、代わりに深い陶酔と忠誠の色を滲ませていく。


「グルゥ……ッ」


 食べ終えた彼は、大きな頭を私の脚の間に割り込ませ、甘えるように擦り寄せてきた。

 シュミーズ一枚の無防備な太ももに、聖獣の温もりがダイレクトに伝わる。

 そのあまりの質量感と、むせ返るような獣の匂いに、私は少しだけ眩暈を覚えた。


「よ、よしよし。いい子ね。……じゃあ、あなたの名前は『ポチ』にしましょう」


 一国を滅ぼすと謳われた終末の狼が、その瞬間、一介の「農家の番犬」へと成り下がった。

 ポチは嬉しそうに尾を振り、その風圧だけで近くの廃屋の屋根が吹き飛んだが、私は気にせず次の作業に取り掛かることにした。


     *


「はぁ、はぁ……っ。いいわ、すごくいい……!」


 月は高く昇り、銀色の光が辺境の地を照らしている。

 私は、ポチを傍らに侍らせ、再び鍬を振るっていた。

 夜の静寂の中に、ザシュッ、ザシュッという、土を穿つ湿った音だけが響き渡る。


 鍬を打ち込むたびに、私の肌からはさらに汗が噴き出した。

 汗で透けたシュミーズが、胸の起伏をあられもなく晒し、激しい運動に合わせてそれは豊かに揺れる。

 魔力を土に流し込む。

 それは、自分の中の秘められた場所を、大地という巨大な器に解き放つような感覚だ。


「もっと……もっと深く……。奥の方まで、私の全部を混ぜてあげるから……っ!」


 私はトランス状態に陥っていた。

 前世で夢見た、完璧な土壌。

 窒素、リン酸、カリ。それらが魔力によって黄金比で結合し、大地が官能的なまでに柔らかく、そして力強く脈動し始める。


 私が耕した跡からは、もはや野菜という概念を超えた「ナニカ」が次々と生え揃っていった。

 自ら発光する大根、触れるだけで疲れが吹き飛ぶナス、そして……あまりにも形状が官能的すぎて、直視するのを躊躇うような自然薯。


「完璧だわ……。これなら、どんなわがままな苗も、受け入れてもらえる……」


 快感に肩を震わせ、私は満足げに大地を見つめた。

 だが、その時。

 森の境界線から、フラフラと這い出してくる影があった。


「あ……ああ……」

「助けて……。もう、一歩も、歩けない……」


 それは、ボロボロの衣服を纏った難民の一団だった。

 十人ほどの男女。彼らはみな、顔色が悪く、肌には黒い痣が浮かんでいる。

 この辺境に蔓延る『魔病』だ。一度かかれば、ゆっくりと生命力を吸い取られて死に至る。


 難民のリーダーらしき、痩せこけた男が、私の姿を見て絶句した。

 月光の下、乱れた衣服で鍬を握り、傍らには伝説の聖獣を従えた、汗まみれの美女。

 彼はそれを、救いの女神か、あるいは死の淵で見せる淫らな幻覚だと思ったに違いない。


「お、おい……。あんた、は……」


「あら、お客様? ちょうどよかったわ。今、肥料が足りなくて困っていたのよ」


 私は、艶然とした微笑みを浮かべて彼らに歩み寄った。

 男は「ひっ」と短い悲鳴を上げて後ずさったが、衰弱した身体は無情にも崩れ落ちた。


「肥料……? 俺たちを、殺して土にするのか……?」


「失礼ね。そんな効率の悪いことはしないわ。……あなたたち、お腹が空いているんでしょ? この『レティシア特製・魔力全開スープ』を飲みなさい。その代わり、元気になったら明日の朝から私の畑で働いてもらうわよ?」


 私は、先ほど収穫したばかりの野菜を素手で握りつぶし、大鍋(ポチが廃村で見つけてきたものだ)に放り込んだ。

 水はポチが近くの枯れ井戸を咆哮一つで「浄化」し、溢れさせた聖水だ。


 ぐつぐつと煮える鍋から、暴力的なまでに芳醇な香りが立ち上がる。

 それは食欲を刺激するだけでなく、嗅ぐだけで下腹部が熱くなるような、生命の本能を呼び覚ます香りだった。


「ほら、飲みなさい。熱いうちに、たっぷり、奥まで流し込んであげる」


 私は木の杓子ですくい、男の口元に運んだ。

 男は、半信半疑のまま、その黄金色の液体を啜った。


「ッ、ぁあぁぁぁぁ……っ!!」


 男の目が見開かれた。

 喉を通る瞬間の熱。

 それが食道を通って胃に落ちた瞬間、全身の血管が沸騰するような衝撃が走った。

 肌に浮かんでいた黒い痣が、まるで熱い蒸気にさらされた雪のように消えていく。


「な、なんだ、これは……! 力が、力が溢れてくる! 死ぬ気がしない! それどころか……なんだ、この、ムラムラするような元気は……!」


「当然よ。私の野菜は、土壌の『愛』をたっぷり受けているんだから」


 他の難民たちも、競い合うようにスープを飲み干した。

 さっきまでの絶望的な表情はどこへやら、彼らの頬は赤らみ、瞳にはギラギラとした野性的な光が戻っている。

 女性たちは、あまりのエネルギーの充填に、自分の身体を抱きしめるようにして悶えていた。


「すごい……。こんなの、王宮の治癒魔法でもあり得ないわ……っ」

「身体が……身体が熱くて、じっとしていられない!」


 完治。

 不治の魔病が、ただの野菜スープ一杯で根絶されたのだ。


「いい返事ね。じゃあ、まずはその辺にある石を全部どかして。夜明けまでに終わらせたら、明日の朝食は『魔力アスパラのベーコン巻き風』にしてあげるわ」


「「「はい、親方様ぁ!!」」」


 難民たちは、まるで取り憑かれたような勢いで、素手で岩を砕き始めた。

 彼らにとって、私はもはや主君を超えた存在、あるいは「この快感を供給してくれる絶対的な支配者」になっていた。


 ポチがその様子を眺めながら、満足そうに鼻を鳴らす。

 荒廃していた辺境の廃村が、奇妙な熱気と、生命の昂ぶりに包まれていく。


 その頃、村から数キロ離れた街道では。

 調査に派遣された王国騎士団の偵察隊が、驚愕に震えていた。


「報告します! ザルツ村の方向から、異常な魔力反応を確認!」

「なんだと……? あの不毛の地で、一体何が起きているというのだ」

「それが……。夜空が黄金色に輝き、まるで……巨大な『祭壇』が顕現したかのような……」


 偵察兵の言葉通り、遠くに見える廃村は、暗闇の中で妖しく、そして美しく発光していた。

 それは、国を揺るがす騒乱の幕開けであり。

 そして、私の「最高の農園」が完成に一歩近づいた証でもあった。


「ふふ、いい感じ。……さあ、ポチ。次はあの森の奥を『開拓』しに行きましょうか」


 私は鍬を肩に担ぎ、汗ばんだ肌を夜風にさらして、淫らに、そして無邪気に笑った。

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