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第1話 絶望の売却と、むせ返るような土の香り



「レティシア・ヴァン・クリムト! 貴様のような無能な出来損ない、我が侯爵家の恥さらしだ。もはや貴様の居場所などこの王都にはない。辺境の廃村『ザルツ』へ嫁げ。あそこならば、せいぜい野垂れ死ぬのがお似合いだ!」


 豪華絢爛なシャンデリアが輝く応接室。そこに響き渡るのは、私の実の父親であるクリムト侯爵の、毒を吐き散らすような怒声だった。

 父の背後では、異母妹のミカエラが扇の影でクスクスと下品な笑い声を漏らしている。


「お父様、可哀想ですわ。お姉様、あんな魔物が這いずる不毛の地で、たった一人で生きていかなければならないなんて。ああ、でもお姉様は昔から土いじりばかりして、泥まみれがお好きでしたものね?」


 実の家族からの、あまりにも冷酷な宣告。

 普通なら、ここで涙に暮れて足元に縋り付く場面なのだろう。

 しかし、私の脳内を占めていたのは、まったく別の情熱だった。


(……え、廃村? それってつまり、広大な土地が使い放題ってこと? しかも辺境なら、誰にも邪魔されずに堆肥の研究ができるじゃない! 最高かよ!)


 私、レティシアには前世の記憶がある。

 日本の農科大学で、土壌微生物と有機肥料を狂信的に愛していた『農学オタク』としての記憶が。

 この世界に転生して以来、侯爵令嬢という立場が邪魔で仕方がなかった。ドレスは土仕事に向かないし、社交界では「土のpH濃度」について語り合える友人もいない。

 だが、今、私の目の前には「自由」という名の荒野が広がっていた。


「……承知いたしました、お父様。そのお申し出、謹んでお受けいたしますわ」


 私は、震える声を装いながら(実際は歓喜で喉が引き攣っていたのだが)、深々と頭を下げた。

 顔を上げた時、私の瞳には涙が浮かんでいたはずだ。それは悲しみの涙ではなく、ようやく「クソまみれの生活」から「本物のクソ(肥料)を愛でる生活」へ移行できることへの感動の涙である。


     *


 ガタゴトと揺れる馬車に揺られること、三日。

 案内役の兵士たちは、私を捨て駒のように扱い、村の入り口に私を放り出すと、逃げるように走り去っていった。

 目の前に広がるのは、見渡す限りの荒廃した大地。

 ひび割れ、生命の気配を感じさせない灰色の土。立ち枯れた木々が、まるで死者の指のように天を仰いでいる。


「ひどい……なんて、なんて素晴らしいのかしら……!」


 私は崩れ落ちるように地面に膝をついた。

 指先を土に突き立てる。

 ああ、乾燥している。栄養を奪われ、呪いすら感じさせるこの土の感触。

 だが、私の指先に集中する「魔力」が、土の奥底にあるわずかな『声』を拾い上げていた。


「よし、まずは着替えなきゃ」


 私は誰もいないことを確認すると、王都から着てきた窮屈な絹のドレスを脱ぎ捨てた。

 下着同然の薄いシュミーズ一枚になり、それを膝上で短く結ぶ。

 令嬢としてはあるまじき格好だが、今はそんなことどうでもいい。

 白く柔らかな肌が、冷たい風に晒される。

 しかし、私の体温は高まっていた。

 前世で培った「不屈の農家魂」と、この世界で授かった「膨大な魔力」。その二つが混ざり合い、私の内側で熱い疼きとなって暴れ始めていた。


「ふぅ……ふぅ……。いいわよ、可愛がってあげる……」


 私は荷物の中から、唯一持参を許された「錆びた鍬」を手に取った。

 それはゴミ同然の道具だったが、今の私にとっては聖剣よりも価値がある。


 私は大きく脚を開き、腰を深く落とした。

 シュミーズの裾から伸びる太ももが、力強く大地を踏みしめる。

 汗が滲み、鎖骨のくぼみを伝って、胸元の深い谷間へと流れ落ちていく。

 視界が熱い。吐息が荒くなる。

 私は、無意識のうちに己の魔力を鍬の先へと流し込んでいた。


「せい……っ! はあぁっ!」


 ザシュッ、と。

 不毛のはずの大地が、いとも容易く抉れた。

 その瞬間、私の指先からドクドクと、粘り気のある濃密な魔力が土へと流出していく。

 ただの開墾ではない。

 私の魔力は、触れるものすべてを「浄化」し、強制的に「超活性化」させる特異な性質を持っていたのだ。


「あ、ああぁっ……! すごい、土が、土が私を欲しがってる……!」


 鍬を振るうたびに、土の色が変わっていく。

 灰色だった大地が、湿り気を帯び、深い焦茶色へと染まっていく。

 それはまるで、渇ききった砂漠が甘美な蜜を啜るような光景だった。

 一振りごとに、私の体力が奪われる代わりに、筆舌に尽くしがたい快感が全身を突き抜ける。

 

「もっと……もっと深く……奥まで……っ!」


 私は夢中で鍬を叩きつけた。

 振り上げた腕から汗が飛び散り、濡れたシュミーズが肌にぴたりと張り付いて、身体のラインを露骨に強調する。

 乱れた髪が顔に張り付き、瞳は熱に浮かされたように潤んでいた。

 傍から見れば、それは狂気の沙汰だっただろう。

 廃村の真ん中で、半裸に近い令嬢が、声を荒らげながら一心不乱に土を穿っているのだから。


 だが、結果は劇的だった。

 私が耕した場所から、あり得ないほどの勢いで「生命」が噴き出してきたのだ。

 

「え……?」


 ふと我に返り、足元を見る。

 そこには、私が無自覚にこぼした「野菜の種(前世の知識を具現化した魔力触媒)」が、瞬く間に芽吹き、天を突くような勢いで成長していた。


「あ、あら……? ちょっと、成長が早すぎないかしら?」


 ほんの数分前まで死の地だった場所に、瑞々しい緑の葉が広がる。

 それだけではない。

 土の中に溜まっていた「死の呪い」や「瘴気」が、私の開墾によって完全に分解され、最高品質の「魔力肥料」へと変換されていた。

 空気は澄み渡り、遠くの森からは、異変を察知した小鳥たちのさえずりが聞こえ始める。


「……まあ、いいわ。これでお腹は空かないし。次は、このあまーい香りのするトマトを……」


 私は、たわわに実った真っ赤なトマトを一つ、もぎ取った。

 太陽の熱を吸い込んだそれは、はち切れんばかりに膨らんでいる。

 それを唇に寄せた、その時だった。


「グゥゥ……」


 背後の茂みから、低く重厚な唸り声が響いた。

 驚いて振り返ると、そこには体長三メートルはあろうかという、銀色の毛並みを持った巨大な狼が立っていた。

 伝説の聖獣、フェンリル。

 本来ならば、一国を滅ぼしかねないその頂点捕食者は、なぜかよだれをダラダラと垂らしながら、私の手にあるトマトを、いや、私自身を、情熱的な目で見つめていた。


「あら、大きなワンちゃん。お腹が空いているの?」


 私は恐怖を感じるどころか、その毛並みの良さに目を輝かせた。


「いい肥料ふんを出してくれそうね。……食べてみる?」


 私がトマトを差し出すと、フェンリルは震えながらそれを口に含んだ。

 その瞬間、聖獣の周囲に爆発的な光が溢れ出す。

 それが、この国の歴史が大きく動き出す、最初の「収穫」であることを、私はまだ知る由もなかった。


「……さて、次はどこを耕そうかしら。夜はまだ、始まったばかりだものね」


 私は再び鍬を握り直し、月明かりの下で艶かしく微笑んだ。

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