察してもらおうとするなボンクラが
人と関わるほど人を嫌いになる。クソみたいな気分だ。LINEのやり取りにしてもそうだ。顔文字だとか、スタンプだとか、余計な表現幅があるせいで言葉以上の、文字以上の感情を伝えられてしまう。慎ましさの欠片もない。クソだ。
そもそも、今、これを書いているまさに今、LINEにしても、通話にしても、対面にしても、【察してもらおうとすること】に発散場所のない憤りを感じている。
なぜ聞き手が察して、話し手の本音を引き出さなければならないのだ。
そもそも、本音と建前、という言葉がある通りに裏と表をハッキリと使い分けろボンクラが。本音を察してもらう前提の建前はもはや建前ではない。
まぁ、優しい人間もいる。察してあげることを厭わない優しい人間だっているさ。だが私は違う。
そもそも、大前提として理解すべきなのは、お前が中心で世界は回っていないということだ。一度くらいは耳にしたことのあるセリフだろう。他人事だったろうが、お前もその人種だ。
頭に叩き込め。察してもらおうとするな。
少々言葉つきが荒くなってしまったことを謝りたい。申し訳ない。
さて、カッとなった頭を冷やして掘り下げた話をしよう。
【察してもらおうとするな】とこれだけを見ると、私が自分の好みを他人に押し付けているだけのように感じる人もいると思う。そこを弁解させてほしい。
【察する】と【察してもらおうとする】の2つを労力に置き換えるとする。
【察する】の労力は、ブルーカラーだ。体を動かして労働の前線にいるというイメージ。
対する、【察してもらおうとする】の労力は、ホワイトカラーだ。頭を使って労働を指示するイメージ。
さて、ここで私が伝えたいことは、今、あなたとやり取りをしている相手は、仕事という場においての上下関係がある者か。それとも、その他か。
その他、つまりは家族、友達、知人、それら全てだ。表現を変えると、そのやり取りにおいては【平等な存在】ということ。
平等な立場にある相手に対して、一方的にブルーカラーを請け負えと押し付けている状況。それが、【察してもらおうとしている】ということ。
簡潔に言う。
それは厚かましく、不作法で、あまりに品性がない。
本当はそうして欲しい。分かる。
でも言いづらい。分かる。
困った。よし、察してもらおう。分かる。だが……ということ。
仕事であれば、察してもらおうとすることが教育の一環であるから成り立つ。つまり、そもそもやり取りの上で上下関係がハッキリとしている場合、ブルーカラーとホワイトカラーの立場もすでに成立しているので、【察する】と【察してもらおうとする】が成り立つということ。
念の為に追記すると、部下が上司に、「あのー、実は今日予定が……」と察してもらおうとして、上司が、
「あ! なら、早めに帰れた方が良いね!」と察する。これは不愉快である。言わずもがな、上司の方が。部下はブルーカラー。上司はホワイトカラーだから。勝手に立場を逆転させてはいけない。
最後に、【察する】が平等なやり取りにおいて労力でなくなる場合について。
結論。聞き手の、愛情。優しさ。配慮。
愛情をくれ! 優しくしろ! 配慮しろ! と駄々をこねる大人に、誰がそれらを無償で提供しようと思えるだろうか。
普段から慎ましく生きている人と認められているからこそ、【察してくれる】それは労力ではないのだ。
だから、【察してあげようとする気持ち】があることはとても良いこと。だけど、そんな優しさに溢れた人が嫌な気持ちになるのは違う。理不尽だ。
だから、コミュニケーションの基盤として、軸として、【察してもらおうとしない】が重要なのだ。
簡単な話だ。優しい人を疲れさせたくはないだろう。
以上が、【察してもらおうとするな】という話。
私も気をつける。あなたも気をつけて。




