5話 崩れる防衛線、届かぬ祈り
警備隊は、まさに命を削っていた。
忌避剤を撒き、音を鳴らし、盾を構えて路地に立つ。だがそれらは、異常個体と化した魔獣にとっては、まるで風が木を揺らすほどの意味しか持たなかった。
魔獣は進路を変えることもなく、怒りを纏ったまま、一直線に都市の中心を目指していた。
隊員たちはただ、ひとりでも市民の避難を長引かせるために身を投げ出し、踏みつけられ、薙ぎ払われていく。
「……ハンターに頼らなかったのが、間違いだったというのか」
その叫びは、もはや誰に届くでもなかった。
警備隊長は怒声と共に大通りへ飛び出した。手には魔銃を持ち、自らが囮となって魔獣の進行を食い止めようとした。
しかし、異常個体の魔獣は彼の存在に気づいた様子すらなかった。
ただの風景の一部を蹴散らすように、巨大な体が突進し、
次の瞬間、警備隊長の体は宙を舞った。
まるで紙切れのように――いや、目に留まることすらない塵のように、彼は大通りの壁に叩きつけられ、崩れ落ちた。
隊員たちが目を見開いた。何かを叫んで駆け寄ろうとしたが、魔獣はさらに吠え、彼らの前に立ちふさがった。
誰もが思った。もう、どうすればいいのか分からない。
誰もが、知っていた――この敵は、人の善意や気合では止められない。
***
その時だった。
陽光を跳ね返す銀の鎧が、瓦礫と血の匂いに満ちた通りに現れた。
銀色の兵士――王直属の討伐部隊、その先頭が、堂々と王の御旗を掲げて進む。
「王命により、魔獣討伐に参る」
その声は、死にかけた都市の空気を一変させるには、十分すぎるほど力強かった。
兵たちは訓練された動きで隊列を組み、魔導ライフルを構え、一斉射撃を開始する。
赤黒い閃光と爆音が連続し、剛健な毛皮に覆われた魔獣の身体を撃ちつける。
――が、弾丸は魔獣の肉体を貫かない。
だが、その爆発的な火力と連続する衝撃が、魔獣の感覚を刺激し、明確な苛立ちを引き起こしていた。
怒りにまかせて突進しようとする魔獣を、隊員たちは巧みに弾幕で誘導する。
そして――ついに、広場、時計堂の前へと追い詰めることに成功した。
「バインド――発動」
低く響く呪文の詠唱とともに、広場の影から現れた黒衣の者たち――〈影術師団〉が、同時に手をかざした。
影が魔獣の足元から這い伸び、蠢きながら絡みつく。
その黒い鎖は肉体に食い込み、咆哮も空しく、魔獣の巨体を地面へと押しつけた。
「作戦B、セットアップ完了。時計台を爆破せよ」
「了解。カウント入る、3、2、1――」
ドォン――
くぐもった爆発音が空気を震わせた。
爆煙の中、長く都市の時を刻んできた時計台が、その役目を終えるかのように崩れ落ちる。
瓦礫と石材が魔獣を押し潰し、影の拘束とともに完全にその動きを封じ込めた。
がれきの下に沈んだ魔獣の咆哮が止み、辺りにはただ、瓦礫が崩れた音の余韻と、ゆっくりと漂う土煙だけが残されていた。
「……やったか」
誰ともなく、呟きがこぼれる。
銀色の兵士たちは銃口を下ろし、黒衣の影術師たちもゆっくりと手を下げた。
人々の緊張が、ほんの一瞬、緩んだ。
土煙の向こう、時計台の崩れた石と鉄の山の中から――
ゴゴゴゴ……
かすかな震動。
地面が、うねるように揺れた。
「……まさか」
兵士たちは歯を食いしばり、魔導ライフルに銃弾を再装填した。
「全員、展開!火線を重ねろ!頭部と関節を狙え!」
隊長の号令が響き、銀の兵士たちは土煙の中を走った。誰もが恐怖を感じながらも、それでも一歩を踏み出す。恐怖を知る者だけが、真に勇敢でいられる――それを証明するように。
異形と化した魔獣は、まさに悪夢の具現だった。
かつての四足は膨れ上がり、黒々とした外殻が硬質の装甲のように変異していた。
赤黒い眼が無数に開き、何かを嘲笑うようにギラつく。
「撃てッ!」
一斉射撃。
銃口からほとばしる魔力弾が雨のように魔獣を打つ。
しかし、弾かれ、焼かれ、砕かれても、魔獣は止まらない。むしろ、重厚な歩みで前進し続ける。
「効いていない……っ!」
焦りが兵士たちの間に走る。だが、誰一人として退かなかった。