1話 《裁きの矛先と、市民たちの声》
拘留されたまま、オルドーは七日間、「沈黙の部屋」に置かれていた。
石造りの独房。窓はなく、灯りも魔灯一つだけ。外界から遮断された時間。
質問はなく、ただ三食のパンと水が置かれるだけ。
それでも、彼は座して待った。焦ることも、怒ることもなく。
――老ハンターにとって、獲物を待つ静寂は日常だったからだ。
だが、書類には不穏な言葉が並んでいた。
「市街地における違法銃器使用」
「独断専行による魔獣討伐」
「市民の安全を脅かす危険行為」
あの日、命令に従って魔獣を討った。それだけだった。
命令書には確かに、警備隊長の印も、自身の署名もあった。
それでも、取り調べはそれを“瑣末な証拠”として扱った。
まるで、最初から罪を着せることが決まっていたかのように。
しかし、街は冷たくなかった。
辺境都市――古い石畳と職人の街。
日を追うごとに、裁判所の前に立つ人々が増えていった。
「うちの娘を救ってくれたのは、あの人だ!」
「なんであの人が牢に入れられてんだ! 街を救った恩人だろうが!」
「あの時、自分は広場にいた。確かに命令されていた!」
鍛冶屋の娘、ギルドの後輩、宿屋の老夫婦。
名もなき人々が、口々に語った。
ある者は署名を集め、ある者は市の小新聞に投書し、
やがてその声は街全体に広がっていった。
そして、第一審――地方裁判所において、判決が下された。
判事マルステンは、簡素な法衣をまとい、静かに言い渡した。
「被告オルドー・ガレス、無罪。
当件は緊急性を伴う警備命令に基づき、正当な討伐行為である。
書面証拠および証言を総合し、故意性および危険性は認められない」
人々の間にどよめきが起こる。
それは歓声というより、安堵の吐息だった。
オルドーは、薄く目を伏せて黙礼し、その場を立ち去ろうとした。
* * *
だが――
「控訴だ。――上訴申立を行う」
その声は、傍聴席の後方から響いた。
警備隊の副長、ヴァルク・ヘイム。
冷たい視線でオルドーを睨みつけ、顎で部下に命じた。
「あのままでは、我々の統制に関わる」
「“命令通りに撃った”だと? ならば、今後どの市民が我々に従う?」
* * *
第一審での無罪判決が言い渡された日、辺境都市ラグドレアは小さな祝祭の夜を迎えていた。
市場の広場には屋台が立ち、街角の居酒屋からは酒の香りと笑い声があふれていた。
鍛冶屋の棟梁が、オルドーのために焼いた猪の丸焼きを抱え、
宿屋の老夫婦が、彼のためだけに取っておいたワインを振る舞い、
かつて彼に救われた子供たちは、手作りの花冠を届けた。
「ハンター・オルドーに乾杯を!」
「この街を守ったのは、役人じゃない。ハンターだ!」
人々の輪の中、オルドーは少し離れた椅子に腰かけ、静かに杯を傾けていた。
自らの無罪に、派手に喜ぶ様子はなかった。
だが、頬に一瞬浮かんだ柔らかな笑みが、答え以上のものを語っていた。
一方――
警備隊長ヴァルク・ヘイムは、祝勝の喧騒から遠く離れた隊舎の一室で、
皿の上で冷えたままの煮込み料理を睨みつけていた。
「……正義が歪んだだけだ。あんな老人がヒーロー気取りとはな……!」
絞り出すような独り言。
だがその声に応じる者は、誰一人いなかった。
かつて副官だった者も、目を合わせようとはせず、淡々と辞表を置いていった。
市民たちは、もはやヴァルクの言葉を**「負け犬の遠吠え」**としか見ていなかった。
そして、その夜。
ギルド本館の屋根裏部屋。
帳簿の整理を任された若い事務員――名も知られぬ青年が、机に顔を伏せながらつぶやいた。
「……そういえば、黒衣……見なくなったな」
「いつの間にか、街から……消えてる」
それは、誰かが確かに存在していた証拠でもあり、
誰にも気づかれず、消えていった“何か”の不在でもあった。
誰も語らないが、誰もが感じていた。
あの裁判が、ただの裁判ではなかったこと。
オルドーの無罪と引き換えに、**何かが“引いた”**ということを。
それは、勝利だったのか。
それとも、より深い闇の前触れだったのか。
青年は首を傾げ、黙って帳簿に視線を戻した。
その指先が、いつの間にか震えていることに、本人は気づいていなかった。