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7話 終焉

時計台の爆破、一斉射撃、黒衣の術式――

それは戦争そのものであり、市街地で展開された苛烈な戦闘だった。

あらゆる手段が尽くされたにもかかわらず、魔獣を斃すことはできなかった。


戦術的な優位すら、あの異常な再生力と怒りの前には意味を持たず、

希望が瓦礫と共に崩れていくなかで、兵士たちはなおも武器を手放さなかった。


退けば、次に喰われるのは王都だ――

その想いが、彼らの足を地に縫い止めていた。


そして――


空気が、震えた。


広場の奥。崩れた建物の影から、一条の黒い気配が現れた。

漆黒のローブをまとい、顔を仮面で隠した黒衣の術師――先ほど、拘束の術を操ったあの集団のリーダー格だ。


だが、皆の視線を奪ったのはその隣に立つ、老猟師オルドーだった。


重苦しい空気を裂くように、彼は姿を現した。


その姿は、戦場に似つかわしくない静謐さを纏っていた。

枯れ木のような身体に無数の古傷。だが、その背筋は伸び、歩みに迷いはなかった。


何よりも、彼の目が語っていた。

かつてこの地を守り続けた“狩人”の眼光が、今再び火を灯していた。


彼は立ち止まり、魔獣を見据えたまま、口を開いた。


「三十秒でいい。拘束してくれ」


大きな声ではなかった。

だが不思議なことに、その言葉は広場にいた誰もがはっきりと聞き取れた。


黒衣の術師は頷き、即座に指示を飛ばした。

倒れていた仲間たちが立ち上がり、術式陣を描き始める。


銀の兵士たちも、その意図を察して動き出した。

構え直された魔導ライフルが一斉に魔獣に向けられる。


数秒後、黒衣たちの詠唱が空気を震わせた。


「バインド――!」


地面から影が伸び、再び魔獣の足を縛る。

その怒号とともに、戦場が再び動き出す。


オルドーの足元には、かつて自身の手で手入れし続けた魔導ライフル――

覚醒を遂げた《ランデル式三型》があった。


「……オルドー、今だ!」


術師の叫びに、老猟師はすでに応えていた。

風のような動きで瓦礫の上に跳び上がり、魔導ライフルを構える。

それは、昔ながらの設計でありながら、手入れの行き届いた一品だった。


けものよ……お前に言葉は通じないが――これだけは伝えてやる」


照準を覗きながら、オルドーはゆっくりと息を吐く。

狙うは、膨張し歪んだ魔獣の心臓――


「俺が終わらせる。お前に奪わせるわけにはいかん……日常を」


指先が、引き金にかかる。


一瞬だけ、風が止んだようだった。


――ズドンッ!


重厚な魔導弾が、光の尾を引いて魔獣の胸部へ一直線に突き刺さる。

炸裂するような音とともに、魔獣の体が大きくのけぞった。


それでも、倒れない。

だが、止まった。

刹那、魔獣の中で何かが壊れるような音がした――骨か、それとも魂か。


そして。


ズシン……!


魔獣が、地に崩れ落ちた。


誰もが、息を呑んだ。


広場は、風だけが通り抜ける静寂に包まれていた。


オルドーはライフルを地面に立てかけ、膝をついた。

その瞳は、遠くどこかを見ていた。


「……これで、ようやく眠れるわい」


彼が何を指してそう言ったのか、誰も聞けなかった。



* * *


すべてが――終わった。


未だ戦場に立ち込める土煙は、静かに風に流されていく。

先ほどまで耳をつんざいていた咆哮も、銃声も、術式の余韻も消え、

まるで時間そのものが止まったかのような、静けさが辺りを支配していた。


煙の向こう、崩れた時計台の広場に――それは横たわっていた。

筋肉の塊のような巨大な体、荒れ狂ったまま凍りついた双眸。

かつてこの都市を恐怖の底に沈めた異常個体の魔獣が、動く気配ひとつなく沈黙していた。


まず、一人の少女が、焼けた壁の隙間から顔を出した。

その瞳が、広場の中央にある“なにか”を捉えた瞬間、手を口に当て、小さく震えた。


その様子を見て、他の市民たちも続々と建物の陰から姿を現す。

瓦礫の合間を慎重に踏みしめ、ゆっくりと、ゆっくりと近づいてくる。


ある者は家族を連れて。

ある者はまだ目を疑いながら。

ある者は恐怖に膝をついたまま、ただじっとその死骸を見つめていた。


やがて、誰かが呟いた。


「……終わったんだ」


それは最初、小さな吐息のようだった。

だがその言葉が、次の瞬間には連鎖反応のように広がっていく。


「魔獣が……倒れてる!」

「本当に……死んでるんだ!」

「やった……やったんだ!!」


空気が震えた。

今度は恐怖ではない。

歓喜と、解放の熱だった。


人々は互いに抱き合い、涙を流し、声を上げた。

長い悪夢から覚めたかのように、叫び、泣き、ただその事実を確かめ合った。


一人、また一人と笑顔を浮かべていく。

広場の端に残った兵士たちや、黒衣の術師たちの姿を見つけ、子供たちは駆け寄る。

崩れた家の扉を開け、老夫婦が手をつないで出てくる。


音のない街だった。

だが今、その街が再び“人の声”で満ちていく。


そこに立つ老猟師オルドーは、少し離れた場所でそれを見ていた。

何も言わず、銃を肩にかけ、静かにうなずくと、くるりと背を向けて歩き出した。


拍手も、歓声も、彼の背中には届かなかった。

だが、それでよかった。


「これでいい」――ただ、それだけで。


空には、久しく見なかった青空が、ようやく顔をのぞかせていた。


* * *


かつて恐怖と混乱に包まれていた街々に、ようやく風向きの変化が訪れていた。


各地で魔獣の姿が確認されるたび、ハンターたちが集い、連携し、果敢に立ち向かっていた。

野良ハンターも、かつては独自に動いていた弓士たちも、今は共に肩を並べる。

必要なのは思想でも信仰でもない、ただ、命を守るという共通の目的だけだった。


ハンターギルドは正式に声明を発表した。


「老猟師オルドーの無実が確定し、全ての疑いは晴れた。

そして、辺境都市に出現した厄災獣――前代未聞の異常個体――は、

王都兵団および黒衣の術師団の協力、

そしてオルドー本人の奮戦によって討伐されたことをここに報告する」


この知らせは、たちまち各地の掲示板や市場、酒場に広まった。

一時は裏切り者とまで囁かれた男の名が、今は伝説の猟師として語られる。


「オルドーが……生きてたのか」

「奴がいたから、あの街は残ったんだってよ」

「やっぱりな……俺は最初から信じてたぜ!」


人々の会話には、かつて失われかけていた誇りと希望が戻っていた。

誰もが知っていた。

たとえ王の軍勢が動いたとしても、あの魔獣を止めたのは“現場にいた者たち”だと。


その空気は、徐々に都市を超え、村々へ、辺境へと広がっていく。


討伐に加わる者が増えた。

弓を持つ者、剣を携える者、薬草を担いで歩く者、

――皆が誰かの命を守るために、再び立ち上がった。


そこに教団の影はない。

偽りの正義もない。


あるのはただ、

「もう二度と、日常を奪わせはしない」という意志だけだった。


* * *


木洩れ日が揺れる森の中を、オルドーはゆっくりと歩いていた。


手には、見慣れた猟銃《ランデル式三型》。

騒動の後、黒衣から返されたそれは、今や手になじむだけでなく、かすかに脈動するような「生」を感じさせた。覚醒した魔導ライフルは、まるで相棒のように彼の判断に呼応し、静かに力を貸してくれる。


今日の目的は、食料となる獲物の確保と、魔獣の痕跡の確認。

かつては生活のためだけだったその行為も、今では人知れず、町や村の安全を支える一端となっていた。


獣道に膝をつき、地面に指を這わせる。

草が倒れ、わずかに黒く変色した跡。魔獣の通った痕だ。

だが、古い。3日以上は経っている。今の脅威ではないと判断し、オルドーはまた立ち上がった。


昼には、小川の側で獲れたウサギを焼き、パンをかじる。

彼の食事は質素で簡素だが、それ以上を求めることもない。

「こんな日が、長く続けばいい」

そんな独り言が、風に流れて消える。


午後は、ハンターギルドの依頼で確認されていたの魔獣の探索と間引きの依頼。

急峻な岩場に残された毛の断片と爪痕を見つけると、オルドーは即座に方角を読み取り、追跡を始める。


夕暮れ、森を駆ける影――

魔獣を一撃で仕留めることは難しい。だが、動きのパターン、縄張り意識、恐れの兆候――

獣を知る彼の動きは精密で、執拗で、容赦がなかった。


そして、日が沈むころには依頼は果たされ、獣は静かに倒れていた。


帰り道、彼はふと立ち止まる。

町の明かりが、遠くに見える。

その灯が、以前より少しだけ温かく感じるのは、気のせいではない。


かつて孤独と疑念に包まれていた小屋に戻ると、ドアに紙が挟まっていた。

「オルドーさん、また助けられました。ありがとうございました」

ぎこちない字だが、誠実な感謝がこもっていた。


オルドーはそれを一度読み、炉の火にくべる。

火がはぜる音を背に、彼は今日も銃の手入れを始める。


明日も、また獣道を歩く。

誰にも知られずとも。

誰かを救っていると知られずとも。


彼の生は、確かに「前と変わらず」、だが「少しだけ変わって」続いていた。



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