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プロローグ:拘留の老猟師

石造りの薄暗い地下牢。その奥で、老ハンター・オルドーは黙して壁に背を預けていた。

捕縛からすでに五日。未だに正式な取り調べはなされていない。


――理由は、わかっている。


魔獣が辺境都市スナグワに迷い込んだのは、ちょうど一月前のこと。

その魔獣グリズラは、一見すると体長1メートルほどの子熊のように見えた。

だが、その体から立ちのぼる瘴気――それは、紛れもなく“魔獣の証”。

瞳は血のように赤く染まり、毛並みの奥には魔力の結晶が燐光を放っていた。


小さくとも、侮れなかった。


最初に遭遇した農夫が投げた鍬は、グリズラの肩に当たって砕け散った。

次に現れた民兵の槍も、逆にへし折られて投げ返された。

――まるで人間の動きを読み取っているかのような、異常な反応速度。


市の東区、石造りの路地を蹂躙し、商店の扉を粉砕し、家畜を貪る。

魔獣はただ飢えていただけだったのかもしれない。

だが、都市に現れた以上、それは“災害”として対処されるべき存在だった。


「民兵じゃ無理だ!魔術師はまだか!」


「魔力障壁が通じない!?あれ、ただの野生獣じゃねぇぞ!」


混乱する警備隊。

通りの角を折れた商人が馬車ごと投げられ、壁にめり込んだ。

瓦屋根が崩れ、街角の噴水が血と泥で濁った。


「あれは……ただの魔獣じゃない!」


「逃げろ、子どもを連れて南門へ!」


叫び声、逃げ惑う市民、そして家々の間に響く低いうなり声。

体格に似合わぬ咆哮が、まるで鐘のように都市全体に鳴り響いた。


そしてひとしきり暴れたのち、魔獣グリズラは――


中央広場の噴水横、倒れた巨木の根元に腰を下ろした。


そこは日差しが差し込む静かな場所で、まるで疲れ果てた獣が

一瞬だけ“野生”に戻ったかのようにも見えた。


ただ、血に濡れた爪を舐めるその姿は、やはり“魔獣”だった。


――朝霧のなか、緊張が街を覆っていた。


中央広場を見下ろす建物の窓には、ひそかに市民たちが顔をのぞかせていた。

通りには兵士の姿がずらりと並び、魔獣との間に即席の防壁が築かれていた。

それでも、誰も近づこうとはしない。


その静けさを切り裂くように、老ハンター・オルドーが現れた。


警備隊員に付き添われ、ゆっくりと石畳を踏みしめてくる。

その顔には焦りも怒りもなかった。ただ、任務に向かう者の静謐な眼差し。


腰には愛用の魔導ライフル《ランデル式三型》。

魔力と鉄で編まれた、かつて数多の戦場を共にした旧式の銃――だが、信頼できる一本。


広場の中央、魔獣グリズラはまだそこにいた。


噴水の脇に身を横たえ、鼻をひくつかせながら、周囲を警戒している。

暴れた後とは思えぬほど落ち着いていたが、その毛並みの奥からはなおも瘴気が漂っていた。


オルドーは魔獣をひと目見て、すぐに判断を下した。


「……まだ暴れる兆しはない。麻痺魔術と拘束術式で、生け捕りにできる」


しかしその提案は、警備隊によって即座に却下された。


「市中で血を流した魔獣だ。見逃せるものか。――射殺せよ」


その場で命令書が作成され、警備隊長の印が押された。

オルドーは無言のまま、それに署名する。

文官が巻物に封蝋を施し、記録として保管した。


張り詰めた空気のなか、兵士たちはさらに距離を取る。

老ハンターは、一人で前へと進んだ。


ゆっくりと、確実に。

靴音が広場に響くたび、兵士たちの喉がごくりと鳴る。


魔獣まで、あと五十メートル。


オルドーは足を止め、膝をついた。

魔導ライフルを構え、銃身をそっと肩にあてがう。


彼の世界からは、音が消えていた。


――風向き、東から微風。

獣との高低差、わずか二度下。

地面の硬さ、踏み込みに適す。

そして、魔力の流れ……いま、この瞬間。


獣が、顔を上げた。

赤い瞳がオルドーの姿を認めた、その一瞬――


――ズン――


魔力が震え、銃口から閃光が解き放たれる。


それは銃声ではなかった。雷鳴のような、魔術と火薬が混じり合った轟音。

紅い魔導弾が一直線に獣の胸を貫いた。


《グリズラ》は一瞬、動きを止めた。


信じられない、というようにこちらを見たあと、

その大きな体が、音もなく――崩れ落ちた。


静寂が戻る。

ただ、魔導銃の銃口からは、まだほのかに煙が昇っていた。


オルドーはゆっくりと立ち上がり、無言のまま背を向けた。


彼は知らなかった。


この一発が、やがて彼の人生を狂わせる火種となることを――



***



命じられるがまま、彼は銃を構え、一撃で仕留めた。誰一人として被害は出なかった。


だが、不可解なことに、その“功績”から一月が過ぎた頃――彼は「市中での危険な銃撃」を理由に逮捕された。


「……警備隊には、昔から嫌われてたからな」


彼は低く呟く。


ハンターズ・ギルドと警備隊――両者の確執は今に始まったことではない。

狩りを生業とするギルドは、自らの技と経験を誇る実力至上主義。


対して、王国直属の役所勤めである警備隊は、規則と命令に縛られた堅物ども。

正直、ハンターたちは彼らを「使えぬ役人」としか見ていなかった。


中でも、オルドーは別格だった。

齢七十を越えてなお、魔導ライフルの扱いに狂いはなく、山の魔獣を百体仕留めた伝説の狩人。

ギルド内では“北の砲眼”と異名で呼ばれ、若手からの人望も厚かった。


「……それが面白くなかったんだろうな。警備隊にとっては」


目を閉じたまま、彼は笑った。

だが、その笑みには憤りと、ほんのわずかな哀しみが滲んでいた。


彼を逮捕したのは、表向きは王都公安の命令だった。

だが、その背後には、公安の影に潜む秘密組織“黒衣の秩序”の存在がちらつく。

魔導銃を自在に扱う存在を警戒するあまり、“排除”の名目で動いている――そんな噂を、オルドーも耳にしていた。


やがて、牢の扉がきぃと音を立てて開く。

入ってきたのは、黒衣の法衣に身を包んだ男。

仮面の奥から放たれる視線が、静かに告げる。


「オルドー。お前の魔導銃所持許可は、正式に剥奪された」


老ハンターは、ゆっくりと顔を上げた。


「……さて、本当に危ないのは、誰のほうだ?」


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