第14話 ハズミ
御手洗さんと別れたあと、
ひろはひとり雑貨店の前に立った。
チェックの髪どめを買った店だ。
店の前を行ったり来たり、くり返したのち
ええいっと店内へはいった。
前にみた、チョコの雪だるまが、
頭のすみに浮かんでる。
ほかの陳列棚には目もくれず、
目的の売り場へ、勇んで向かう。
買い物客や、
立ち並ぶ棚の通路を、足早にぬけ、
いざ、店内の中央にある
バレンタインコーナーへたどり着いたとき、
ひろは「アッ」と急ブレーキをかけた。
そこに私服姿のハズミがいる。
ひろはとっさに反対側の棚にまわりこんだ。
「コレにしなよ、クマしゃ〜ん」
聞こえてきたハズミの声に
ひろはギュッと身を縮めた。
わたし…、 逃げまわっている罪人みたい。
さっきまでの浮かれた気持ちが
急に恥ずかしく思えた。
「やだ。ガキっぽいもん!」
声で一緒にいるのが
妹のモカちゃんなのが、わかる。
「小6なんて、まだガキよガキ。
ん〜…じゃあコレは?」
棚の商品のすき間から、
おそるおそる向こう側をのぞく。
ふたりの後ろ姿がみえる。
「コレなに? タイ? 」
モカちゃんが、ハズミの手元をのぞきこむ。
「バーカ、このヒゲみなよ。
タイにヒゲある? コイよ、コイ」
「 なんで、コイ?」
「はぁ〜、…ったく想像力ないね。
あなたにコイしちゃったの〜ってこと!」
おどけるハズミに、
モカちゃんがグーでぶった。
「ンもうっ。そんな ギャグいらないよ。
センス 疑われる」
しばらく姉妹で、やいのやいの言ったあと、
モカちゃんは「これにするっ」と
ひとつ選んだ。
「お姉ちゃんは?」
きかれてハズミは「アタシはいいのー」と
手をヒラヒラさせた。
「エーッ、元木くんは?」
「だっから、イイんだってば」
ハズミは、さあ終わったというふうに
腕をぐんとのばすと、体をほぐしだした。
「エーッ、なんでなんで?」
モカちゃんが、さらに詰めよる。
ひろも意外におもった。
ハズミは去年も元木にあげていた。
「世話になってるから」とそっけなく渡すので、
元木には義理チョコだと思われているだろうが
チョコを買うのに付き合ってるひろは
ハズミが熱心に選んでるのを知っている。
「アッ、そういえばお姉ちゃん、
最近ぜんっぜん、元木くんの話、しない…!」
モカちゃんの声が興奮してくる。
「エ…もしかしてお姉ちゃん、失恋した?
うそっ、失恋しちゃったの?」
ハズミがモカちゃんの頭をはたいた。
「うるさいなあ! バカモカ。
別になにもないよ。ホラ、買っといで!」
そう言ってモカちゃんの両肩をつかみ、
回れ右をさせ、
ポンとおしりをたたいて追い払った。
「モウッ」
怒るモカちゃんの足音が
パタパタ遠ざかる。
モカちゃんがレジに行く。
ハズミはその場に残った。
ハズミはチョコの前をブラつきながら、
ときたま品定めするように
手にとっては戻した。
まだ帰らないようだ。
ひろは今の話が気になった。
ハズミが失恋…?
まさか、ホントに…?
いや。髪をバッサリ切ったとしても
失恋とは限らない。
イメチェンとか、
やってみたい髪型だったとか…。
それに今日のふたりに
変わった様子はなかった。
教室に来た元木が、
ハズミに写真を渡したが
いつもと同じ感じに見えた。
写真を受け取ったハズミの
赤いほおを思い起こす。
それだって…これまで何度も目にした、
ハズミらしい反応と言えるじゃないか。
しばらくして
ハズミが一つの品を手に取ったまま
動かなくなった。
考え込むふうに
じっとそれをながめている。
あ…やっぱり元木にあげるのかも。
ひろは位置を変え、のぞいてみた。
でもハズミのかげに隠れ、
そのチョコは見えなかった。
「アッ、ひろちゃん!」
突然の声に、
ひろは飛びあがりそうなほど驚いた。
実際、小さく飛びあがった気がする。
モカちゃんがうれしそうに
ひろに向かって、やってくる。
ひろは棚のものを探すふりをしつつ、
なんとか笑顔で、手を振り返してみせた。
「お姉ちゃん。ひろちゃん!」
モカちゃんが無邪気にハズミを呼ぶ。
そして向こうからハズミが現れ、
ひろを見て
怒ったように顔を赤くした。
モカちゃんは少しも気づかず
ニコニコしている。
「もしかして買いもの?」
ひろは我ながら、
なんて間の抜けたことを聞いてるんだろう、
とおもった。
モカちゃんは少しも気にせず答える。
「ウン! チョコ買いに。
だって、みんなあげるって言うんだもん」
ハズミの顔がこわい。
「モカ。先に帰っててよ。
遅くなったらパパ 心配するし、
アタシもうちょい 買い物して帰るから」
エーッと 怒るモカちゃんを
ハズミは有無も言わさず回れ右をさせた。
モカちゃんは目を三角に、
負けじとその場に踏みとどまる。
でもそれ以上に…ハズミの顔がこわい。
アア……
自分のほうが、消えてしまいたい…。
ひろは繋がれた風船の体で
なるに任せて、つっ立っていると
「あっそ。
お姉ちゃんも早く帰んないと怒られるよ」
と、急にあっさり、モカちゃんが引いた。
どこでナゼそうなったのか
よくわからない間に
もうモカちゃんはハズミから鍵を受け取って
さっき怒ってたのが、嘘みたいな様子で
「サヨナラ」とひろに挨拶をした 。
あわててひろも、笑顔で合わせる。
おそらくなにか察したんであろう、
疑いと気まずさを笑顔に隠しながら、
ひろは帰るモカちゃんを見送った。
ハズミは
妹が見えなくなるまで確認してから、
ひろの方へ向き直った。
まっすぐ見る目が、ひろを捉える。
怒りを隠さず、ハズミは言った。
「いつからいたの?
隠れて見てたってワケ?」
ズバリ聞かれて、ひろはたじろいだ。
バレてなかったとおもう。
とぼけることだって
できたかもしれない。
「…ごめん」
そう答えたとたん
ハズミが勢いよく近づいてきて
ひろのほおを打った。
派手な音がし、
ひろはグラリとよろけ、棚に手をついた。
なみだがでるほど痛かった。
そんなに憎まれていたのか、とおもった。
周囲のどよめきがきこえる。
ハズミのとんがった髪が
ツノのようにみえる。
痛むほおに、なみだがポロリとこぼれたのを
ふしぎと遠くで感じた。
よろめく足で体を起こす。
そして同じぐらいの激しさで、
ハズミの顔にビンタを返した。
びっくりするほど大きな音とともに、
手のひらに痛みがハジけた。
ハズミがよろけ、お尻をついた。
棚からコロンと商品が落ちる。
ひろはそれに構わず、覆いかぶさるように
ハズミの服をつかんだ。
「じゃあ、なんで怒ってるかハッキリ言えば!
ちゃんと…言ってよっっ」
ひろの目から、
バッとなみだがあふれでた。
ハズミは固まったように
ひろを見つめた。
なみだは、あとからあとからこぼれでた。
バカになった蛇口みたいに止まらない。
あっという間にひろの顔は
なみだと鼻水でぐしゃぐしゃになった。
客たちが遠巻きにこちらをうかがい
だれかが店員さんに
事態を説明している気配がした。
しかしひろは
その目をハズミから離さなかった。
つかんでいる手に、
なみだがポタリ、ポタリと落ちていった。
「うざい…」
ハズミがひろの手を振り払った。
「アンタのそういうとこ、超うざい」
ビックリして、なみだが引っ込んだ。
「そうやって自信満々で…
いつも自分が正しいって顔してさ。
すんごいムカつく」
にらみあげるハズミの、言葉が、意味が、
少しずつひろの頭に届いていった。
わたしの、わたしの………、どこが!!
ひろの中を、千のおもいが渦巻いた。
「ハズミこそ、ハズミこそ……、
超ムカつくのよ!!
なによっ…あんなふうに無視して…!
ずっとトモダチだって…思ってたのにっっ」
ずっと胸の奥で押さえつけてた
色んなおもいが、
怒りをまとってあふれでる。
目の前のハズミはもう
心許せる友には見えなかった。
白が黒になるほど違って見える。
「うらぎり者……!!」
心底ハズミを憎いと思った。
その髪も気に入らない。バカみたい。
「ああ…そっか。
失恋したから髪切ったってとこ?」
ハズミは恐ろしい顔で
ひろをにらみつけた。
少しの容赦もひろにはなかった。
自分のいやみに快感すら覚える。
友情は壊れたのだ…! こっぱみじんに!
ひろの手からスゥとしずくが流れ、
なみだがぽつ…と肌から離れた。
ハズミが、ひろをどけるふうに
体を起こす。
そして立ちあがると
よたよた歩き出し
ふいに床のものを拾いあげた。
ホルダー付きのマスコットだ。
両腕をあげ、頭のてっぺんが ツンと立った、
ベイビースタイルは、
『キューピーちゃん』だろう。
それが 赤と青に塗りわけた、
奇抜な風貌をしている。
クモのあみ目は見えなかったが、
スパイダーマンの格好か。
そういえば…お返しにハズミをぶったとき、
棚からなにか落ちたっけ。
ハズミはマスコットを手ではたき、
あたりの棚を見わたした。
そして探していた棚を見つけると、
その商品を元の場所へ返した。
返し終えるとハズミは、
まだなにか気にかかるふうに
棚の前にとどまった。
そしてもう一度手を伸ばすと、
今度は棚の奥で散らばっている
他のキューピーちゃんも直しはじめた。
そこだけ押されたように
何体も転がっているので
あのときぶつけたものだろう。
ハズミは人形の向きまで
一体、一体、整えていく。
背後で待つひろのことなど
少しも考えないような、
淡々とした振る舞いに、
ひろはよけい腹がたった。
「こっち向きなさいよ。
まだ終わってない」
ひろが言っても、ハズミは手を止めなかった。
さらにもの申そうと、
ひろが口を大きくあけたとき
ハズミが背中で、ボソリと答えた。
「もう…アンタの顔、見たくないから」
お店の人が近づいてきた。
ひろのそばに立つと
「あなた大丈夫?」ときいた。
突然はいってきた第三者に
ひろはなにも考えられないまま
ぼんやりと振り向いた。
そのおばさんは心配そうに
ひろの顔をのぞきこむ。
この人はなぜ、自分だけ
そう聞くのだろう…。
ひろは不思議におもった。
ハズミは棚を直すのに
背を向けてるから?
それとも…
わたしに、なにかあるんだろうか。
顔を触って確かめてみる。
なみだと鼻水は、とっくに乾いている。
じゃあ……。
ハズミに詰めよる自分の姿が
頭に浮かぶ。
ああわたし……すごい顔してたのかな。
さまようひろの目が、棚を直すハズミの
ツンツンとがった、ヘアスタイルへ移ったとき、
ああ、そうか…と
単純に、わかった気がした。
床に、丸いフタのついた
巾着袋のようなものが、ころがっている。
拾って確かめると、かわいいネコの柄だった。
パッケージに氷嚢と書いてある。
たぶん、これも棚から落ちたのだ。
ひろは、おばさんに向き直り、
「ごめんなさい」と頭を下げると、
商品のあった場所を探した。
氷嚢は、向かいの棚の、
ひろが最初に手をついた場所にあった。
そこもぶつけられたように、乱れている。
壊れたものは、幸いなかった。
ひろもハズミと同じく、直しはじめた。
そのうち、おばさんが離れていった。
全部終えてふりかえると、
ハズミはもういなかった。
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