黒猫ツバキと海のおばけ(後編)
コンデッサたちを乗せた船が魔の海域を通過していると、突然、空が曇り出す。
海中からザバーと姿を現したのは……。
「あ、出てきたニャン」
「モンスターの妖怪《バケツくれ~》か。先ほど聞いたとおりの姿だな」
甲板にコンデッサとツバキ、更に船員たちが集まる。
モンスターが不気味な声で語りかけてきた。
『バケツをくれ~』
「どうぞ」
船員が底の無いバケツを渡そうとするが、モンスターは受け取ろうとしない。
『ダメだ~。そのバケツは、底が抜けているではないか~。ちゃんと底があるバケツをくれ~』
「な!」
モンスターの思いも掛けぬ要求に、慌てる船員たち。
「くそ! 底が抜けていないバケツを欲しがるとは、このモンスター、思ったより抜け目が無いな」
「バケツに底が無いことをわざわざ確認するとは、妖怪《バケツくれ~》め、底意地が悪いぞ」
「心底、まいった」
「これは排水作業、待ったなし~。どん底気分~」
そこそこに焦る船員たちを見て、ツバキは不安になった。
「ご主人様、どうするニャン?」
「心配するな、ツバキ。私に任せておけ。……おい、モンスターよ」
『なんだ~』
「ほら、バケツだ。このバケツには、底があるだろ?」
『確かに~』
コンデッサは手に持っていたバケツを引っ繰り返し、その底をモンスターへ見せた。そしてバケツを、あっさりモンスターへ与えてしまう。
妖怪《バケツくれ~》は嬉々としながら早速、海水を汲もうとするが…………出来なかった。バケツの中に、水が入らない。
「あれ? ご主人様。あにょバケツ……」
「ああ。さっき、魔法で作っておいたんだ。底があるけど、フタも付いているバケツさ。しかもフタは完全に閉まっていて、絶対に開かない」
「それ、もうバケツじゃ無いニャ」
モンスタ-が【フタつき・底つきのバケツ】で海水を汲み上げようと悪戦苦闘しているうちに、船は無事に魔の海域を抜けることが出来た。
船員たちが口々に、コンデッサへ礼を述べる。
「ありがとうございました、魔女様。おかげさまで、助かりました」
「なんてこと無いさ」
「ご主人様、偉いニャ!」
「もっと褒めろ、ツバキ」
♢
後日、ボロノナーレ王国の港町。
コンデッサは、ツバキを連れて遊びに来ていた。
「ご主人様……あにょ人」
「妖怪《バケツくれ~》と一悶着あった……あの時の船員だな」
偶然の再会。
「これは、魔女様と黒猫さん。お久しぶりです」
「あれから、妖怪《バケツくれ~》と、何かあったりしたか? 再び襲われたりなど――」
「ハイ。先日、魔の海域を航行中に、またしても出現しました」
「また、出たニョ。モンスターさん、暇なのかニャ?」
「対応は? 私のように、【底つき・フタあり】のバケツを渡したのか?」
「仰るとおりです。我々も、それが無難だと思いまして……。ところが、妖怪《バケツくれ~》は『ダメだ~。そのバケツは底があるが、フタも付いているではないか~。しかも、フタが開かない~。もはや、それはバケツでは無い~。ちゃんと【底つき・フタ無し】のバケツをくれ~』と言ってきたのです」
「モンスターのくせに、学習能力が高いヤツだな」
「船の皆さん、大丈夫だったニョ?」
「ええ、黒猫さん。妖怪《バケツくれ~》へ『普通のバケツは無いが、ゴミ入れ専用のポリバケツならありますよ。ポリバケツを差し上げましょうか?』と告げると、『ポリバケツ……ポリ・バケツ…………〝警察〟・バケツ!? 凶悪犯逮捕専門、バケツの警察! 警察、怖い。逮捕はイヤだ~、バケツくれ~、ケツまくれ~』と喚きながら、海中へと逃げていきました」
「…………」
「……ニャ~」
「『尻をまくる』は『ふてぶてしい態度をとる』という意味で、逃げる際の表現としては不適切なんですけどね。知ったかぶりは、ダメです」
溜息をつく船員に、コンデッサが同意する。
「妖怪《バケツくれ~》の頭の中身は、〝空のバケツ〟並だったわけだ」
「『尻に帆を掛ける』なら『逃げる』に近い言葉なんですが」
「『帆を掛ける』のは、帆船の専売特許だろ? 妖怪には無理だ」
「お見事です、魔女様! 妖怪《バケツくれ~》とは、格が違いますね」
「魔女は天才、妖怪は天災。しょせん、妖怪は魔女に敵わないのさ」
「言葉尻をとらえて、そこまでフルボッコにするにゃんて……モンスターさんが可哀そうニャン。ご主人様も船員さんも、意地悪にゃ」
黒猫の発言を、大人2人はスルーした。
「しかし、妖怪《バケツくれ~》……一旦はヤツを退けたとしても、結局は問題を先送りにしただけだよな? 根本的な解決手段を見つけなくては、トラブルはズッと続くぞ」
「そうなのです。それで船長はイロイロ思案した末、妖怪《バケツくれ~》をボロノナーレ王国の干拓事業部へ紹介することに決めました」
「干拓事業部……」
「なんと言っても、海水汲み上げのエキスパートですからね。話してみると妖怪《バケツくれ~》も、乗り気になりまして。給金を貰えますし。逮捕もされませんし」
「…………」
「……ニャ~」
「今では『お給料で、新品のバケツを買うのだ~』と張り切って、仕事をしていますよ」
「良かったニャン」
「いまいち釈然としないが、上手いこといってるなら構わないか」
その後、妖怪《バケツくれ~》の活躍もあって、ボロノナーレ王国の干拓事業は大いに進展した。
♢
「ご主人様。アタシ、また船に乗りたいニャン」
「分かった。今回は思い切って、高額料金の客船を利用するかな」
「わ! 嬉しいニャン」
「底抜けに贅沢な船だぞ~」
「底抜け……」
「底抜けに素敵な船だぞ~」
「底が抜けてる……」
「底抜けな船だ!」
「やっぱり、乗らないニャ」
「何故だ!?」
底が抜けている船には乗りたくない、ツバキであった。
「ご主人様。海の生物で最も重いのはニャニか、知ってるニャン?」
「知らないな」
「それは海蛇ニャ!」
「……何でだ?」
「海ヘビーだから、ヘビーなのニャン」
「…………」
「にゃ~! ご主人様、アタシをバケツの中に入れにゃいで!」
※次回は「黒猫ツバキと『魔女たちの秘密基地』(前編)」です!