黒猫ツバキ、女神アマテラスの夏休みの宿題を手伝う(後編)
※豆情報
・三界……仏教の世界観における《欲界》・《色界》・《無色界》のこと。もっとも精神性が高く、清らかなのは《無色界》。
ツバキ「猫の足跡は悟りへの道なのニャ!」
「最高神である妾が、そんな失態を犯すわけが無かろう! 妾のは、コレじゃ!」
アマテラスは背後に隠し持っていた1枚の紙を、サッと差し出す。
その紙に描かれている絵を見て、高木神は眉をひそめた。
「なんですか? この墨絵は。下半分は真っ黒で、上半分に点々とあるのは……足跡? これは、まるで猫の――」
「――っ! 素晴らしい!」
突然、ダルマが叫んだ。興奮しながらバンバン飛び跳ねるダルマに、高木神は驚く。
「ど、ど、どうされたのですか? ダルマ殿」
「お分かりにならないのか? 高木神殿。天照殿は、水墨画の技法によって、『煩悩退散』のテーマを完璧に表現してみせた。本当に凄い事である。さすがは、日本神話の最高神殿!」
「ダルマ殿。天照様を褒めてくださるのは嬉しいのですが、その理由が……いったい、何を仰って――」
「説明しよう。まずは、この図の下半分の暗闇。これは煩悩にまみれた衆生が住む《欲界》――その汚泥を表している。ご覧なされ、この濁りきった黒を!」
「単に、墨汁を打ちまけただけのように見えますが」
「そして次に、図の上へのほうへと続き、白き《無色界》へと消えていく幾多の痕跡。この模様は何だと思われる? 高木神殿」
「犬か猫の肉球――」
「まさか! 『煩悩退散』がテーマの水墨画で、そんなふざけたマネをする神など、居るはずも無い。これは5つの煩悩――《五蓋》を象徴化した模様なのだ。なんという、畏るべき発想なのであろう! 貪欲(欲望)・瞋恚(怒り)・睡眠(眠気)・掉悔(後悔)・疑惑(疑い)――瞑想修行の邪魔になる、5つの蓋。すなわち、煩悩を天上世界へと退散させる、その行いを描くとは……ダルマである我輩でさえ、考えつかなかった天才的図柄と言えよう」
「いや……その……どう見ても、動物の足跡で――」
「この大きな黒丸は《貪欲》を、その上にある4つの黒丸はそれぞれ《瞋恚》《睡眠》《掉悔》《疑惑》を意味している。そうであるな! 天照殿」
「あ……う、うん。そうなのじゃ。よくぞ、お分かりになったな。ダルマ殿」
実はアマテラス……ツバキが墨汁をこぼした後にも別の紙にイロイロな墨絵を描いてみたのだが、変な【△】や歪んだ【✖】など、単純でしょ~もない図柄しか作れなかったのである。《太陽の絵》を描いた際は『我ながら、会心の出来!』と思って喜び――しかし、コンデッサから「この絵は何ですか? 【大きな◯から八方へ毛が生えている】なんて……ゾウリムシの新種ですか?」と訊かれて、太陽神の少女はとても心が傷ついた。
そんなわけで、ツバキの足跡だらけになっている最初の図が、意味不明ながらも1番マシであるため「ひょっとして、誤魔化せるかも?」と提出してみたのだ。
すると思いがけず、ダルマに大絶賛されてしまった。
こうなると、調子に乗るのがアマテラスである。
「妾の真意を理解してくれて嬉しいのじゃ、ダルマ殿!」
「天照殿。ともに修行して、悟りへの道を邁進しましょうぞ」
「承知したのじゃ」
「おお! 我輩の心が熱く燃える!」
「わ~! ダルマ殿。体も燃えておるぞ。火ダルマになっているのじゃ!」
「ダルマ殿も天照様も、静かにしてください。自分は未だ、天照様の水墨画が示している意味を呑み込めず……己の中で消化し切れておりません」
「高木神~! 消化の前に、ダルマ殿の消火をしてくれ~!」
高木神とアマテラスが燃焼中のダルマに水を掛けている一方で、タヂカラオ・オモイカネ・ウズメの3柱は顔を見合わせ、互いの意見を口にしあっていた。
「アマテラス様の画、どう考えても猫の足跡だよな」
「見事な肉球跡です」
「アマテラス様は昨日、コンデッサさんのお宅を訪れたはず。つまり、アレは……」
鎮火後。
「ふっ。それにしても妾の水墨画は、極上の作品だったようじゃな。己の才能が天元突破で怖すぎるのじゃ」
アマテラスが自画自賛の呟きを漏らしている。もっと皆に褒めてもらいたくて、しょうが無いようだ。
黒焦げになったダルマが転がっている隣で、高木神がアマテラスたちへ述べる。
「では、国語・算数・理科・社会――水墨画以外の宿題も提出してください」
ウズメたちは、キチンと他の宿題も終わらせていた。それに対してアマテラスは「え!?」と叫んだあと、ひたすら硬直している。
高木神が、アマテラスを睨む。
「よもや、天照様。〝取り組んだ宿題は水墨画だけで、他のは全て忘れていた〟なんて事は――」
「…………」
「天照様!?」
「落ち着くのじゃ、高木神。――色即是空、空即是色。形あるモノは、いつかは必ず壊れる。壊れないということは、最初から形をなしてはいなかったということじゃ」
「…………」
「宿題は提出などせずとも、いつかは必ず解答で埋まる。永久に解答を与えられない――ならば、それは宿題では無かったということであり……」
「…………」
「宿題未提出こそ、悟りへ至る本道なのじゃ!」
「…………」
♢
数日後。
コンデッサの家に、ウズメが訪ねてきた。アマテラスが描いた水墨画の事情を、だいたい察したらしい。
「そのような次第で、ツバキさんの足跡がついた図は、ダルマ様から賞賛されました。安心してくださいね、ツバキさん」
「良かったニャン」
コンデッサが、ウズメへ問う。
「それで今、アマテラス様は?」
「高木神様に監視されながら、残りの宿題を必死になって片付けています。国語・算数・理科・社会、更に罰として、大量の追加分がありまして――」
「あにょ、ウズちゃん様。訊いても良いかニャ?」
「ハイ」
「どうして、神様に夏休みがあるニョ?」
「それは……高木神様がアマテラス様のために、春夏秋冬、全ての季節に長期休暇の予定を組んだのが始まりで――やがて、他の神にも適用されるようになったんです」
「休みの日を設けなければいけないほど、アマテラス様は働きづめだったんですね」
コンデッサが思い遣りの言葉を述べると、ウズメは、ゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、逆です」
「え? 逆?」
「夏休みなど、長期の休暇を定めておかないと、アマテラス様は一年中、遊んでしまうのです。アマテラス様に〝それ以外の日には、少しでも働いてもらう〟のが目的で、お休みの期間を作ったら、どんどん長くなって……苦慮された高木神様は勉強の宿題を出されるようになり、けれどアマテラス様は、その宿題をするのを忘れてしまう――」
「……はぁ」
「にゃ~」
カナカナカナ。
セミの鳴き声が聞こえる。
ウズメが窓から外を眺める。
「ああ……空が高い。もうすぐ、夏も終わりますね」
「ええ」
「ニャン」
「未だ山積みになっている、アマテラス様の夏休みの宿題は……いつ終わるか分かりませんが……」
「……ええ」
「……ニャン」
ボロノナーレ王国に、秋の気配が優しく近づいてきていた。
タヂカラオ「スポーツの秋!」
オモイカネ「読書の秋!」
ウズメ「芸術の秋!」
アマテラス「食欲の……焼き芋の秋なのじゃ!」
ツバキ「アマちゃん様だけ、〝秋〟の方向性が違うにゃん」
コンデッサ「私は煩悩がある神様のほうが、好きだけどな」
♢
※猫の足跡のイラストは『無料ペットイラスト【Pet-illust】』様のフリー素材を使わせていただきました。
『黒猫ツバキの夏の日々』はここで終わりますが、コンデッサとツバキの話は、また執筆したいと思っています。ご覧いただき、ありがとうございました。
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♢
カナカナカナ……。
ウズメ「夏の終わりを告げる、セミの鳴き声が聞こえます。風情を感じますね」
アマテラス「セミ・ファイナル!」
ウズメ「アマテラス様。少し、静かにしてください」
アマテラス「ゴメンナサイなのじゃ」
~おしまい~